第10話 貴族街の聖女

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 驚くべきことに、エラが近づいていくと異形たちは奇妙な行動にでる。先ほどジークヴァルトたちの後ろを歩いていた時から、それが気になって仕方がなかった。  ジークヴァルトは基本、異形たちに狙われている。異形の者は憎しみの感情を彼に向け、しかしその強大な力に近づくことはできずに、常に遠巻きに(にら)んでくるだけだ。しかし、そのジークヴァルトの隣にリーゼロッテがいると、これまた不思議なことが起きる。  リーゼロッテから(あふ)れる力に()かれるのか、異形たちは引き寄せられるようにリーゼロッテへと近づいてくる。その隣にジークヴァルトがいるというのにだ。  結局はジークヴァルトの力に弾き飛ばされては消しとんでいくのだが、それでも我慢がきかない子供のように、その(けが)れた手を伸ばしてくる異形の者は後を絶たない。  ジークヴァルトが強固な結界をはっているからだろう。それにリーゼロッテは何も気づいていない様子だ。  その後ろを静かに歩くエラは、その光景に全く動じない。禍々(まがまが)しい異形が近づこうとも、目の前で(みにく)い異形が消し飛ぼうとも、エラは微笑ましそうにリーゼロッテを見つめているだけだ。彼女には異形は視えないのだからそれは至極(しごく)当たり前のことなのだが、エーミールにしてみればそれは異様な光景だった。  エーミールはエラの手を引き、さりげなく異形のいる吹き溜まりへとエラの足を踏み込ませる。すると異形は身を縮こませるようにエラから距離を取ろうとした。 (……やはりな)  エーミールが観察した結果、エラに対して異形がとる行動は三パターンあることがわかった。  弱い異形はエラの存在を認めると、一目散(いちもくさん)に逃げ去っていく。今のような大きいが悪意のない異形は、エラとの接触を極端に嫌がる様子を見せる。  そして、強烈な悪意を持つ異形にいたっては、エラに手を伸ばすも、エラはその手を何ごともなくすり抜けてしまう。肩透かしを食らった異形は何度もエラにくってかかるのだが、その腕が(くう)を切るばかりだ。その様子は、言い寄る女性にまるで相手にされない(あわ)れな男のようで、見ていてとても滑稽(こっけい)だった。 (無知なる者とは一体何なのだ……?)  異形の姿を視ることができない只人(ただびと)だとしても、その影響を(まぬが)れることはできない。()かれれば大小の差はあれ何かしらの(さわ)りが起こる。だが、無知なる者はそもそも異形が近づけないのだ。  これは、使いようによってはジークヴァルトのいい手駒(てごま)になり得るかもしれない。そう思うと、エーミールはエラに対して強烈に興味を抱いた。馬車での件はいいきっかけだ。己の醜態(しゅうたい)を逆手にとって、エラを囲い込んでしまおう。 「エーミール様、こちらです」  エラが選んだ店は何の変哲(へんてつ)もない雑貨屋だった。貴族街に店を構えている以上、庶民にとっては高級店なのだろうが、最上ランクとは言い難い店だ。 「こんな店でいいのか?」 「この店がよいのです」  にっこりと微笑んで、エラは扉に手をかけようとする。それに慌てたエーミールが、エラの手を取り自ら扉を引いた。  ちりりんと軽やかな音が店内に響く。ほかに客はいないようだ。ほどなくして奥から店の者と思しき男が顔を出した。 「いらっしゃいませ、旦那様、お嬢さ、まぁ?」  ふたりの来店ににこやかだった店員の目がみるみるうちに見開かれ、語尾が不自然に跳ね上がった。 「エラお嬢様! こちらにいらっしゃるなんて、何かございましたか!?」 「今日は、リーゼロッテお嬢様のお供で来たの。少しお時間をいただいたので、何か買って帰ろうかと思って」 「え? お嬢様からお代をいただくなど」 「いいのよ。今日は素敵なスポンサーがいらっしゃるから」 「へ?」  目の前のやり取りを見て、エーミールはここがエデラー商会の店であるのだと気がついた。エラの家の店で買い物をすればエデラー家の(えき)となる。どうせ店の中でいちばん高価な物を選ぶのだろう。  エラは思った以上に狡猾(こうかつ)な女のようだと、エーミールは鼻で(わら)った。自分にしてみればこのような低ランクの店での買い物など痛くもかゆくもない。なんなら店ごと買い取ってやってもいいくらいだ。 「あちらの旦那様は……? はっ、もしやエラお嬢様……庭師と別れたばかりなのに、早速(さっそく)新しい恋人に(みつ)がせようと……ぐほぉっ」  エラの右アッパーがエーミールの死角で炸裂(さくれつ)した。腹をえぐるように(こぶし)を突き立てる。笑顔を作りながらもこめかみに青筋を立たせて、エラは早口でささやいた。 「なんでハンスがそんなこと知ってるのよ! それにエーミール様は恋人などではないわ。いい? よく聞いて? 今日のことは絶対に誰にも口外しないこと。ぜえったいに! もちろん父さんにもよ!」  念を押すように子供の頃からつきあいのある男、ハンスに小声で話しかける。 「ほう……エーミール様……グレーデン侯爵家の次男坊ですね……これはまた大物を釣り上げて……」  さすがお嬢様、とつぶやきながら品定めするように目を細めるハンスに、再びエラは拳を作った。もちろんエーミールには見えないようにだが。 「わかりました! わたしは何も見ていません! 今日エラお嬢様が来たことも、社交界きってのモテ男と手に手を取って歩いていたことも、わたしは何も見ていませんとも!」  ハンスの言いようにエラは眉をひそめたが、下手によその店で買い物するより変な噂が立たずに済むだろう。自分がエーミールに贈り物をされたとあっては、社交界でどう噂されるかわかったものではない。エラはどんな噂がたっても別段(べつだん)困らないが、エーミールにとってはおもしろくはないはずだ。  グレーデン侯爵家は歴史の深い貴族だ。昔ながらの貴族社会の規律を重んじ、エデラー家のような新興(しんこう)貴族(きぞく)を快くは思っていない。その程度の常識はエラもきちんと持ち合わせていた。 「いい? エーミール様に恥をかかせない程度の物を選んで出してちょうだい」  エラのその言葉にハンスの目がキランと光った。彼がいつも売り上げを計算するときにしている目だ。きっとこの店で一番高い物を売りつけるつもりなのだろう。エラはため息をついて小声で付け加えた。 「絶対にぼったりしないで。値段は原価(げんか)()れしない程度で提示するのよ?」 「えぇ~」  男爵令嬢とはいえ、エラも商売人の娘だ。その目利(めき)きをごまかすことなどできない。ハンスは落胆(らくたん)の色を隠しもせずに、エラの言うことに従って店にある最高級の品物をいくつか並べてみせた。 「こちらのクラバット・ピンなどは素敵ですね」  エラは伺うようにエーミールを見上げた。クラバット・ピンとは貴族の男性が首元に巻くスカーフを止めるために使うピンのことだ。 「そんなもの、女性のあなたは使えないだろう? それとも誰かに渡したいのか?」 「い、いえ、その、エーミール様にお似合いではないかと……」 「誰がわたしのために選べと言った。余計なことは考えずに、あなたが欲しい物を選んでくれ」  エーミールは苛立ったように言った。女性など宝飾品(ほうしょくひん)を与えてやればそれでよろこぶと思っていた。なのになぜエラは素直にそうならないのか。  こういった場面で大概(たいがい)の女性は、自分と(そろ)いになるようなものをねだってくる。もしくは、婚約者同士がよくするように、お互いの瞳や髪の色の宝石などを選んで、揃いの物をエーミールにも身に着けさせたがる。 「別にこの店でなくてもいいだろう? 欲しい物がないのなら他の店をあたればいい」  エラは困ったように目の前に置かれた品々に目をやり、そして最終的に別の(たな)に置かれた宝飾品に目を止めた。 「でしたら、こちらのお揃いの……」  エラの言葉に、エーミールはそらみたことかと半ば笑いかけた。エーミールは義理で女性に物を買い与えたことはあるが、揃いの物を贈ったことは一度もない。だがエラのためになら買ってやってもいいだろう。 「ブローチを」
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