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森の奥にある洞窟の中に掘られた階段をしばらく進んだ先に地底湖がある。ぴちょん、と澄んだ音が洞窟内に断続的に響いている。地下水が溜まる音だ。
僕とエケカは、冷たい水を汲みに地下の階段を降りていた。地上に汲み溜めている水を補充しにきたのだ。日照りが続く今の時期、作物はたくさんの水を吸って一気に成長する。そのため、普段は2月に1度のところ、この時期はひと月に1度必ず地底湖へ水を汲みにいくことになっていた。
エケカが階段を踏む度にカシャン、と手作りの鎧が音を立てる。音が軽いのは、動きやすさを追求した軽装備なためでもあるが、装飾品が多いからでもある。女性のカオテタは特に美しい石を使った装飾品を多く身につけていた。
「暗いな……火を持ってくればよかった」
「だめだよ。ここで火を焚けば、たちまち大爆発が起こる。ガスが充満してるんだ」
臭いはしないが、この空間には可燃性のガスが充満していた。
この洞窟には、シーマの花を埋めてある。シーマは太陽光がある限り枯れず、触れた者の生気を吸い続け花を大きくしていく。そのため、発見したシーマはこうして光の届かない洞窟にまとめて埋めているのだ。その結果、光を得ることができずに死んだシーマの死体が腐った末にガスを発生させているのだ。幸いにも、このガスが人間に直接害を及ぼすことはない。むしろ、地下水と一緒に地上へ持ち帰って料理や焚火に使う火の元にしている。シーマは、人の命を吸い取る恐ろしい花だが上手く扱えば、薬や火種など生活に大いに役立てることができるのだ。
気温がぐっと下がり、地底湖が見えてきた。洞窟をつくるジストメアという鉱石によって薄紫色に見える美しい湖面だ。神秘的な光景はいつ見ても心動かされる。だが、僕たちはその湖よりも遥か頭上、洞窟の天井を見ていた。
「なんてこった、あんなところに穴が……!」
一部崩れ落ちた天井から、ささくれ立った岸壁に一筋の光が差している。さらに、そこにはまるで宝石のように照らされた一凛の花が咲いていた。美しくもおぞましい黒紫の花、シーマだ。
「うん……わざわざ崖を上ってシーマに触ろうとする人なんていないだろうが、念には念をだ。水を汲み終わったら何人か集めて塞ぎに行くよ」
「助かるよ……ありがとう、エケカ」
「お前たちのためだ。どうってことない」
なかなか大きな穴だ。きっと僕らカウラタ族はいるだけ邪魔だろう。ここは力が自慢のカオテタ族にお任せすることにする。
「……何度見てもぞっとする花だな」
「ああ…」
シーマは、種こそ特効薬になるが、花は毒そのものだ。シーマは、別名を"後追草"という。生気を吸い取られ死んだ夫の妻が、夫の手の中にあったシーマに触れ、後を追うように死んだという逸話からつけられた名前である。
種の時に吸い取った生気を養分に花を咲かせたシーマは、その美しい姿で人をおびきよせ、自分を手折らせた瞬間にその者の生気を全て吸いとってしまう。手折られた花は種を生み、種は風にのって新たな土地へ向かうのだ。役目を終えた花は、その美しさを保ったまま枯れることはない。
僕たちは気を取り直して地底湖から水を木箱に移す作業に取り掛かった。
この木箱には植物の油を塗りこんでいるから、水が漏れることはない。
「こんなことなら大きい桶を持ってくれば良かったな。これでは時間がかかりすぎる」
エケカがここまで運んできてくれた巨大な防水木箱は、村人に必要なひと月分の水を貯えることができる大きさだ。固い木で頑丈につくっていることもあり、その大きさの驚きを越える驚きの重さなのだが、言うまでもなくエケカは涼しい顔で担ぎ運んできた。
僕とエケカは無駄のない動きを心がけて一生懸命に湖と木箱の間を往復する。
「はあ…はあ……は、半分くらい溜まったかな!?」
トン、と飛び上がったエケカが木箱の淵に腰かける。
「10分の1くらいだ」
「なんだってー!?」
ずっこける様にして座り込む。
本来ならばホースを使って小一時間で済むはずだった。しかし、どこを探してもホースがないのだ。いつも湖の傍に置いてあるのに。誰かが別のことに使おうと地上へ持ち出したのだろうか。
ないものねだりをしても仕方がない、幸いにも汗を流すように桶を持ってきていた。それを使って水を汲んでいたが、限界だ。
「………ウロタ、何をしているんだ?」
「ホースを生み出そうとしてるんだよ」
ポケットの中に入っていたカイスの花びらを両手で包み込み、念じる。ホースよ、出ろ。ホースよ~、出ろ。ホース!出ろ!!
「…………」
「…………だめだ」
エケカの視線が痛かった。期待のこもった眼差しだったのが、余計に。
シャン、と石が鳴る音とともにエケカが地面に着地する。
「諦めるな、ウロタ。お前ならできる」
「……いや、ごめん。やっぱり地道にやろう」
エケカは不服そうだったけど、それ以上は何も言わなかった。二人とも、一言も話さずに黙々と作業を続ける。
今度こそ半分くらい溜まっただろう、という時だった。
「あ……!」と、エケカ。
「何?どうしたの?何かあった?」
「すまないウロタ」
「え?何が?」
決まりが悪そうに下唇を噛む。
「この木箱を桶だと思えばいいんだった」
「ん?…………あ~!ね!!」
僕はいつも抜けているが、エケカも極たまに抜け落ちることがある。それがこんな時に限って重なるとは。
エケカは流石に少し重そうな素振りを見せたが、滞りなく木箱を持ち上げて湖に沈めた。そして、水をいっぱいに補充した木箱を再び持ち上げる。踏ん張りが効きにくい体勢もあり、うめき声が漏れるのを聞いた。
「エケカ、大丈夫……?」
手伝いたいが、手伝うことは許されない。そもそも何の力にもならないし、僕なんかが「手伝う」なんてカオテタに言おうものならそれは侮辱として捉えられるだろう。
「んぐ………ぉ……」
「?」
「お……も……く、なァーーーいッ!!」
意地でも弱音を吐かないエケカは、見事に巨大な木箱を陸へ引き上げた。洞窟に轟音が響くとともに地響きを感じる。
「す、すげぇ……」
肩で息を整えたエケカは、僕を振り向いて不敵に微笑んでみせた。
夜。洞窟の天井に穴があいているとの報告を受けたカオテタの男衆3人が現場を見に森へ訪れていた。エケカの姿もある。
4人は苔むした地面にぽっかりとあいた穴を覗き込んだ。
「変ちゃ……この穴、下から加わった力で空いたようちゃね」
「下から?自然に崩れたんと違うちや?」
「これ見ィ。何か鋭いもので抉られた跡がある」
露わになった洞窟の壁面には、切り傷のようなものがついていた。地上の方に向けてその線は細くなっている。
「近くに落ちている小石は、どうやら洞窟の石のようです」
エケカは、苔むしている石をひろって男衆に見せた。森の石は、やすりがかけられたかのように滑らかな表面をしているのに対し、洞窟の石は突起があり、割ると淡い紫色の断面が姿を見せる。エケカが手にした洞窟の石は、注意して見なければ森の石と区別がつかないほど、苔が積もっていた。
この中で最も腕の太いワンが唸った。
「その苔むし様……穴があいたのはここ最近じゃァなさそうだ」
村一番の首の太さを誇るシユが鋭い視線をエケカに向けた。
「前に水を汲みに来たのはいつち?」
「丁度ひと月前です。その時は、異常はありませんでした」
「ひと月!?」
エケカの返答にソクは、その太い足の指で苔を削りとりながら言う。
「3か月はかかるちゃろ、この苔」
誰もが険しい顔をしていた。
4人の眼前を淡く光る虫が尾をひいて飛んでいく。月明りが辺りを明るく照らしていたが、穴の中は何かに月明りを反射されているのではないかと考える程に真っ暗だ。
「こりゃァ、調査する必要がありそうだな」
「俺とシユが降りるちゃ。ワンさんとエケカはここにいてくれ」
「ああ」
「頼みます」
ソクとシユが順番に穴へ飛び込んでいく。穴へ入ったそばからその姿は闇に溶け、数秒後に重量のある着地音が何重にも響いて聞こえた。
「何かあったかー!?」
地上からワンが暗闇に問いかける。
「なんもないちゃねー!」
「くっせぇこと以外は!」
すぐに返答があった。
ワンは、鼻で笑う。しかし、エケカは苔の上に膝をつき、穴に顔を近づける。
「この臭い……シユ!ソク!注意して!いつもの洞窟と違います!」
「何の臭いだ?」
それは、例えるならば、腐ったブカをドブに投げ込みふやかしたような臭い。
「……シーマの血の臭いです」
それも強烈な。
「嫌ァな雰囲気になってきたじゃねェか…」
ワンが洞窟の中にいる二人に撤退を指示しようとしたその時、地面が大きく揺れた。
「エケカ!」
穴の中に落ちそうになったところをワンの太い手が後ろへ引っ張ってくれた。
エケカは、落ちないよう姿勢を低くして穴の中に目を凝らす。
「シユ!ソク!無事ですか!?」
返事はなかった。地鳴りが続く。
「シユ!ソク!!」
エケカは絶えず二人の名を読んだ。
揺れがおさまり、瓦礫が転がる音が何重にもなって地上へ届く。
「シユー!ソクー!」
静まり返った森と洞窟にエケカの声が響いた。
しばらくして、再びカラリと瓦礫が動く音がする。
「俺は無事っちゃ」
小さいがソクが応答した。
「シユは!?」
「わかんねぇ。この暗さで何も見えんちゃし。でも……」
気配がなくなったのはわかる。
「…………」
ワンが大きく悪態をついた。
ソクが続ける。
「しっかしこれがおかしいっちゃね」
「何がだ…?どうした!何か見つけたのかァ!?」
だから何も見えんちゃて、とワンをたしなめる。
「俺らは視界がなくても落ちてきた岩くらい、体に触れた瞬間に避けられる。だからシユが瓦礫の下敷きになんてなんねぇはずっちゃけど……」
「なんなんだ、もったいぶるな!シユは生きてるのかァ!?」
「ワンさん落ち着いてください!!」
「!」
二人の顔は、月明りのせいか青白い。
「この臭いがエケカの言ってるもので合ってんなら、あんたたち二人はすぐ村に戻った方が良いってことっちゃ」
エケカが勢いよく立ち上がる。大きく目を見開いて、ワンを凝視している。
シユが殺られた。得たいの知れない何かに。それは確かだ。
戦闘に優れたカオテタは肌に刺激を感じたその瞬間にも反応し身を守ることができる。しかし、"肌に触れたが最期"だったら──瞬間さえも生み出さない、シーマが洞窟にいたら?
「馬鹿をいうな!シーマが自らの意思で動くとでも言うのか!?奴は植物だぞ!!意思のあるモンスターではない!!」
「……"奴"とは?」
「!」
シーマが植物であることは、皆わかっていた。しかし、その力があまりにも悍ましいから、その姿が、あまりにも美しいから。
「ソク!!撤退だァ!上がってこい!!」
ワンのしゃがれた声が洞窟内に反響する。ソクへの指示は残響を残すばかりで本人に届いた様子はなかった。
虫が羽ばたく音の中に巨大な何かが地面を這いずる音がする。
「エケカ──」
ワンの言葉は穴から勢いよく伸び出てきた黒い蔓によって遮られた。
「ワン!!」
「離れろ!決して触れるな!!」
エケカは穴から飛び退り、天高くへ伸び続ける蔓を見上げた。
月明りに照らされて紫色に光る植物。シーマの色だ。
シーマの花に触れれば、生気を吸われて死ぬ。血が半滴でも体内に入れば、毒で内臓が解けて死ぬ。しかし、裏を返せばそれ以外は別段気にすることはない。
ただ、村で一番大きな川幅ほどの太さはあるだろうか。蔓の大きさから推測するに、その花はさぞかし大輪であろう。
「止まったぞ!?」
月をつかみにいくのではないかと疑うほど、蔓を空に向けて伸ばし続けていたシーマは何を思ったのかピタリと動きを止めた。黒紫の柱が天に突き刺さっているような景色は、この世の終わりを想起させる。
エケカは、いつでも反応できるよう手足に意識を集中させる。視線はシーマに。そこでふと、地上に出ている蔓の中腹あたりに膨らみを見つけた。よく見ると、蔓のいたるところに同じような膨らみがある。エケカは、舌を噛み千切りたくなるのを必死に抑えた。そして、その膨らみが月光を浴びて淡く光りだすのを見て悲鳴じみた声をあげた。
「ワン!花が!!」
「ああ……とんでもねえなァ…ッ!!」
意思を持った巨大なシーマは自在に操ることができる蔓を持ち、その蔓に花を咲かせた。花の影にさらなる蕾をつくり、蕾の影に新たな芽を出す。
蔓は、一瞬の間に黒紫色に光る花で埋め尽くされた。ぐらりと大きく揺れて、エケカたちの頭上に落ちてくる。
エケカは剣を抜いた。
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