カイスの剣

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 ウロタは、家の前にある石畳に腰かけてカイスを食べていた。大きな口で瑞々しい果肉にかぶりつき、歯でつぶす。すると、洪水が起きたように果汁がじゅわりと口いっぱいに広がった。  ウロタは自分が育てる作物の中でカイスが一番好きだった。美味しいのはもちろんのこと、時間と愛情をかければその分立派に育ってくれるからだ。ウロタにカウラタ特有の力はなかったが、それでも作物を育てることが好きだったし、作物に人一倍の愛情を込めて育てていた。  「あれまぁ、立派なカイスだこと」  もう一口かぶりつこうとした所に影が落ちた。ウロタの祖母、チバヤだ。  「おばあちゃんも食べる?冷えてるよ」  「いただくわ。ウロタが作った作物は一等美味しいからねぇ」  チバヤはいつもウロタを褒めてくれた。水のやり方や、土のかけ方、選ぶ肥料にかける言葉。そのどれもが"良い"と言ってくれた。  しかし、ウロタは褒められる度に胸の中に浮かんでは回る灰色の雲のようなものを感じていた。  「……僕は、どうして力がないんだろう」  赤い果汁が指先から地面に垂れる。  「こんなに作物が好きなのに。僕だっていろんな作物をつくって、もっと皆が暮らしやすい土地をつくりたいよ」  月に語り掛けても返事がかえってくるはずもない。  しかし、ウロタのおばあちゃんはしっかりとその心からの声を聞いていた。  「作物がこの土地をつくってるんじゃぁないよ」  チバヤは、懐から短い木の枝を取り出すと、空中に円を描く仕草をする。すると、木の枝は皮を脱ぎ、身を削り、ささくれを研いでスプーンへと変身した。チバヤは、あっという間に生み出したスプーンでカイスの実をすくって口へ運んだ。  「甘いわねぇ」  「…………」  ウロタは、瞬きを忘れていた瞳を無理やり閉じてうつ向いた。  「僕、本当は作物が好きじゃない…かも…」  「……そうなのかい?」  「シーマの種に生気を吸われてる時、いつも同じ幻覚を見るんだ。『畑をつぶそう、死んで何もないところに行こう』って。言ってるのはおじさんだけど、それを思ってるのは本当は僕で、おじさんたちが代弁してるんじゃないのかな…って」  手のひらに甘い果汁が染み込んでふやけている。手を合わせると、ベタベタとくっついて気持ちが悪かった。  「そうねぇ……きっと、そうなのかもねぇ」  合わせた手に力が入っていくのをウロタは感じた。心のどこかで、チバヤなら否定してくれる、「ウロタは作物が大好きでしょう」と安心させてくれると思っていた。そう、思っていた自分をウロタは恥じた。  「僕は10歳の頃から何も変わってない。いくら練習しても力はつかえないし、エケカには離されるばっかり。僕って、何もない。今までもこれからも。いっそどこか遠くへ、誰もいない、何もないところへ一人、行ってしまいたいよ」  「それで……死んでしまいたいのかい?」  ウロタは、凍てつくように冷たい地底湖の水に二の腕まで両手を突っ込んだ。  底に沈んでいるカイスが黄色い花を咲かせている。ウロタは、水に揺蕩う花を手のひらですくい、力いっぱいに握りしめた。  「やれやれ、楽しそうに作物を育てているもんだから、もう次の手立てを考えているのかと思っていたんだけどねぇ」  「…………」  地下水に浸した腕がジンジンと痛む。皮膚はあまりの冷たさに赤くなり、悲鳴をあげていた。  「ご覧」  チバヤはウロタに花を差し出した。ウロタの一番好きなカイスの花だ。  「『カオテタには剣を カウラタには盾を』」  この土地に古く伝わる言葉だ。  「ふたつの種族は古より共に生きてきた。それがどんな時代であろうとも、手をとりあってな」  チバヤは優しく微笑む。ウロタは、チバヤが話す言葉の由来が自分の知っているものと違うことに戸惑った。  「それって、どういう……」  ドオォオオン──  「!」  「なんだい?」  家の裏、森の方で爆発音に似たような轟音が響いた。  就寝に向かっていた村人たちが様子を見に続々と家から出てくる。  「な、なんだあれは!?」  「木?」  「花咲いてるよー?」  「何の花?暗くてよく見えない」  ウロタは身を固め、心臓の鼓動を聞いていた。  月を隠していた雲が消え、巨大な影が月光に照らされ姿を現す。  「───シーマの花……」  皆、言葉を失った。  一本の茎に夥しい数のシーマの花がついた姿など見たことがない。花の数は、この村に暮らす人間の数を優に越している。  もし、あの花すべてが種子を持っていたら──  「一人残らず生気を吸い取られちまう……ッ!!」  その男の言葉が引き金となり、村は大混乱に陥った。  悲鳴と罵声が溢れた。人々は急いで荷物をまとめ、森とは反対の方向へ逃げていく。転んだ女の背を男が踏みにじって逃げていった。  「み、みんな…落ち着いて…!」  ウロタの声は届かない。傍で小さな男の子が大声をあげて泣いていた。  「うわあん…!」  「大丈夫だよ、泣かないで…」  ウロタが男の子を抱きしめたその時、再び爆音が響くと同時に地面がたわむほどに大きく揺れた。皆立っていることができず、地面に這いつくばる。  ウロタは男の子をしっかりと抱きしめ、チバヤと一緒に家の柱に捕まって揺れを耐えた。  しばらくして揺れがおさまっても、立ち上がれる者はいなかった。  「シーマがいない!」  ウロタの腕の中で男の子が空を指さす。確かに、夜空に悠然と立ち尽くしていたシーマの柱の姿はどこにも見当たらなかった。あれは、村全体で見た酷い夢だったのかとさえ思う。しかし、チバヤははっきりと先までの出来事が現実であったことを宣言した。  「若者は年より、怪我人、身重に手を貸してあげなさい。森とは反対側へ、できるだけ早く逃げるのです」  「ばば様……」  「この村はどうなってしまうのですか…?」  この僅かな時間ですっかり憔悴してしまった村人たちが不安に瞳を揺らがせる。  チバヤは、村人ひとりひとりの目を見据えた。  「我々は、この村を捨てる」  一人、また一人と泣き崩れた。  祖先が荒地を一から創りなおし育ててきた村。豊かで平和そのものだったこの場所には、持っていくには多すぎる思い出がある。  「何を言うか!俺は闘うぞ!この村をあのバケモンにみすみす渡すわけにゃなんねぇ!!」  顔を真っ赤にして叫ぶのは、カオテタ族の男だ。  「そうだ!ここはわしらの村だ!」  「俺たちは何だ!?カオテタだ!!いざという時に村を護れなんでどうする!」  一人の叫びを皮切りに、残ったカオテタ族の男たちが全員足を踏み鳴らしはじめる。  「愚か者め……」  苦い顔で男たちを見つめるチバヤをウロタは横目で見る。ウロタもチバヤも、ここは逃げるのが先決と考えていた。  村などくれてやる。しかし、命をくれてやるわけにはいかない。ここであのシーマを討伐にいこうものなら、みな死んで子孫を残すものはいなくなる。あるのは種族の滅亡のみだ。  「みんな!落ち着いて!闘いにいっちゃだめだ!!」  ウロタの声は、男たちの士気を高める雄叫びにかき消され、一文字でさえ届かない。  「どうしようおばあちゃん……このままじゃみんな…!」  振り返ると、チバヤは男の子の手をひいて森に背を向け歩き出していた。  「おばあちゃん!?」  「ウロタ……」  チバヤの顔は悲しみに暮れていた。  「どんな時もふたつの種族は手をとりあって生きてきたんだよね!?今も……今こそ手をとりあって生きる道を探さなきゃいけないんじゃないの!?」  「……カオテタの衆の目を見なさい。私たちなど、どこにも映ってやしない」  「!」  「幸い、この子がいる。純粋なカオテタ族の血を引くものはもう産まれないが、"種の証"を残すことはできる」  しっかりと自分の手を握った男の子の頭を愛おしそうに撫でるチバヤ。その目には涙が浮かんでいた。  「ウロタもおいで。無理に彼らの手をとる必要はない。お前は私の可愛い孫だ。奴らのせいで無駄死にしてほしくない」  「…………」  「おいで」  「……僕…は……」  少し前のウロタであれば、その胸に飛び込んでいただろう。だが、今のウロタはぬぐえ切れない迷いを抱えている。  「僕は、カウラタだ」  でも、皆と一緒にいって何ができる?  「カオテタの皆も、好きなんだ」  手伝うのか?何もできないのに。  「わからない」  今まで耐えていたものが全部こぼれた。  「わからないや」  一体どこからそんなに出てくるのだろう。  涙が大粒になって次から次へと頬を零れ落ちていった。  「僕はなんでここにいるの?なんのために生まれたの?」  「……ウロタ…」  チバヤの瞳からも涙がこぼれた。  遠くで轟音が鳴り響き、夜の空が赤黒く染まっている。それは、終焉を迎えたと言っていいほど、美しすぎる景色だった。  カオテタは歩む。カウラタも歩む。歩めども歩めども、ふたつの種族の道が重なることはない。  この先ずっと──  「ウロタ!!」  「……エケカ…?」  森から飛び出てきた傷だらけのエケカを見て、双方は歩みを止めた。  「エケカ!どうしたのその怪我…!一体森で何が!?」  ウロタが駆け寄るのと同時に力尽きたエケカが膝を折る。ウロタは倒れながらもエケカを受け止めた。  「すまないウロタ……意思をもったシーマが暴走しているんだ」  「意思を持ったシーマ?」  「さっきのあのでけぇ柱のことか!?」  「あいつどこにいったんだ?!」  わらわらと集まってきたカオテタ衆が興奮気味に問う。  「洞窟に潜った……ワンさんが大本を叩いてくれてるけど、あの密度じゃ無理だ…」  苦しそうに呻くエケカの左腕は黒く変色している。  「エケカ、この腕は……」  「感覚がない」  「え…?」  ウロタは真っ黒になったエケカの手を握ってみる。しかし、彼女の言う通り、体温は消滅し、一寸も動きはしない。死んだ人の手のようだった。  「そう嘆くな、ウロタ。私の腕は役に立ってから死んだぞ」  「?」  エケカは、ずっと握りしめていた剣を放し、懐のポケットにその震える手を差し込んだ。取り出したのは、見覚えのある小瓶。  「シーマの血を特効薬に変える薬…?」  「そうだ」  エケカは、この薬を飲んで闘っていたらしい。そのうち左手にシーマの花が触れたが、死の色は二の腕までで浸食と止めたのだという。  「シーマの花は一瞬にして人ひとりの命を奪う。だが、私はまだ生きている。この薬は特効薬の前にシーマの死から逃れることを可能にする薬だったんだ!」  カオテタ族から雄叫びにも似た歓声があがる。  気が付けば、カウラタ族もエケカたちの周りに集まって来ていた。  「ウロタ!すぐにこの薬を大量につくってくれ!これを飲んで私たちは闘いにいく!」  「わかった!すぐに作って──あ……」  「ウロタ……?」  ウロタに少し遅れてエケカも口をつぐむ。ウロタに力がないのを皆知っている。知っているからこそ、かける言葉が見つからなかった。  「私がつくりましょう」  「ばば様…!」  チバヤは、ひとことそう言って家の中に入っていった。その後ろを同じく薬を生み出せるカウラタたちが続く。  「よし、俺はワンのところへ向かう」  「武器を揃えよう」  「おれも行くぞ」  それぞれが、それぞれの価値を示せる場所へ散っていく。  最後までその場に留まっていたのは、手負いのエケカとウロタだけだった。  「ウロタは、どうするんだ…?」  優しく問いかけるエケカにウロタは、しばらく考えたあと首を横に振った。  「わからない」  「……そうか…」  森の奥から戦士たちの闘う音がする。勇壮な雄叫びは、徐々に数を減らしていった。  「私は、ウロタにも力があると思う」  「……え?」  急に何を言い出すのかとウロタが目で問えば、エケカはいつもの自信に満ち溢れた瞳にウロタを映した。  「ウロタに力がないわけがない」  「なんだよそれ……」  「こんなに土地のことを、私たちのことを想ってくれているウロタだ。きっと大事な時のためにとっているすごい力があるはずだ」  「…………」  「嘘じゃない」  「…………」  「ウロタは、私たちから目を逸らさなかった」  「!」  「私たちは、これからも共に生きることができる」  ポタポタとエケカの頬を一粒の雫がつたった。  「……驚いた、君も涙を流すんだな」  「雨でも降ってきたんだろう」  エケカは、目を閉じて穏やかに笑った。                        
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