第一章

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第一章

ここは……。ここはどこなの? 汐留美玖はあたりを見回した。 (ここは……、あの時のステージの上なのね) またか……。 この夢を見るのは何度目だろうか。早く、早く覚めてほしいと美玖は願うが、夢は覚めない。 ステージの周りにはたくさんの黒い影がいる。 美玖は一歩前に出て、一呼吸する。 (歌わないと……、早く、早く歌わないと……) 初めてのオーデション。歌が大好きで、歌の先生をしているおばあちゃんに歌のレッスンを受けているけれど……。 こんなたくさんの大人たちの前で歌うのは美玖にとって初めてだった。 しかも、いつもの発表会とはちがう……。 みんながわたしを鋭く見るのはなぜ? どうして意地悪そうに見るの? 美玖がマイクを握ると、観客席から静けさが生まれたと同時に、大人たちの好奇心の目が一斉に美玖に襲い掛かってきた。 大人たちの攻撃的な好奇心と試練に、小学生の美玖は初めて襲われて、戸惑い、驚いて、動くことができなくなった。 暗い影がステージ下に揺らめき、あざけるように笑う。 (こわい。なんで、そんな目で見るの? わたしは……わたしはただ、歌を歌いたいだけなのに……) いつもなら……、マイクも、スポットライトも大好きだったなのに……。 ステージに立って、歌を歌うのも大好きだったに。どうして、こんな気持ちになるの?  身体はこわばってしまっている。 美玖は泣きだしそうになる。 すると、ステージの袖から、美玖と同じくらいの大きさの、小さな影が飛び出してきた。 小さな騎士はステージのライトに照らされても動じず、美玖の手をぎゅっと握りしめた。 「大丈夫だよ……。ぼくもいるから」 「うん……」 美玖は小さくうなずくと、目を閉じた。 (わたしは、ひとりじゃない) 大きく深呼吸する。 (大丈夫。大丈夫。歌える) 美玖は呪文のように心の中で唱える。 手が……、震えている。わたしの手が震えている? ううん、わたしの手だけじゃない。 颯真も……、颯真の手も緊張して震えている。 わたしは颯真の顔を見た。 颯真もわたしの顔を見る。 (大丈夫……。絶対だいじょうぶ。) 美玖はなぜか不安が止んだ。 それから深呼吸して、颯真と手をつないだまま、二人で一礼をする。 颯真はピアノへ移動した。わたしは再びマイクを握りしめた。 大きな影たちが小さく笑いながら、拍手した。 「ううん……」 美玖は、ベッドで冷や汗だらけの朝を迎えた。 まいったなぁ……。 パジャマは汗で濡れて不快で、身体全体が疲れている。 寝ていて疲れるなんて、最悪。 美玖は目覚し時計で時間を確認すると、時計の針は6時半だった。 もう少しで目覚ましが鳴るはずだ。 美玖は眠るのをあきらめ、パジャマを脱ぎ捨て、制服に着替え始めた。 夢の内容は、小学校三年生の時にでたオーディションだ。 (はじめてのステージで声が出なくなったのは、はじめてだからで、それは仕方がないって自分では割り切っていたと思うんだけどなあ。まだこんな夢を見るなんて、意外に心の傷って深いのかもしれない。はあ。) 美玖はため息をついた。 いま思うと、きっとあのときは、すっごく緊張していたんだと思う。 観客席には、知らない大人たちしかいなかった。小学三年生のわたしにはきつかったにちがいない。 もし、あの、オーディションのとき、颯真が来てくれなかったら……。 あのとき、ステージで歌うことができなかったと思う。結局、あのオーディションで歌を歌うことはできたが、大賞はとれず、優秀賞で終わってしまった。 でも、それ以来、美玖はすっかり人前で歌うのが苦手になってしまった。 歌の先生をしている、おばあちゃん曰く、オーディションの嫌な思い出のせいだと言うけれど……。 (このままじゃいけない。わたし、歌が大好きだから。もっとみんなに歌を伝えたい。音楽をしたい。) 美玖はそんな思いから、高校に入学して秘密の活動を始めた。 「歌を歌うのをやめてしまうようなことが起きるかもしれないよ。インターネットの世界は怖いんだからね」 おばあちゃんは心配そうに注意する。 「うん、おばあちゃん、わかってる。でも……、どんなに批判されても……、悪口言われても……、歌おうって決めたの。わたし、どうしても歌を歌いたいの。将来へつなげていけたらって考えているの」 「気持ちはわかるけど……。まだ高校生だし。将来があるから……」 おばあちゃんは返事を渋る。 「そうだよね……。じゃあ、匿名にする。それと……、個人情報を出さないようにするし、顔も出さない」 美玖は思い切って提案する。 「そうだね……。とりあえず、顔を出さないなら……」 おばあちゃんは、美玖が動画を配信することを、最初はいい顔をしなかったけれど、約束を守って、匿名で顔出しもせず、楽しそうに歌っている美玖の様子を見て、今では認めている。 ところが、歌い手として活動するようになってから、オーディションの夢を毎日のように見るようになった。 (やだなあ。せっかく高校生になったのに……。悪いことの予兆かな? それとも、何かいいことが起きるってこと?? できれば、いいことのほうを期待したいな) まさか、またオーディションを受けるようになるとか?  美玖は首を振った。 ないない。あり得ない。だって、わたしは、いま、動画サイトで匿名の歌い手として、満足しているから。 これでも、フォロワー数一万人超えの、謎の歌い手って言われていて、結構人気がある方だ。 動画を配信するんだから、みっともないことはできない。自分が納得できる、ハイクオリティを目指したい。 美玖は、毎日、おばあちゃんの家で発声練習をし、歌のレッスンを受けていた。 (わたしの動画を見た人の心に歌を届けたい) 美玖は、誰かの心に自分の歌声が刺さればいいとおもっていた。 「美玖、そこは、もっと……、もっと丁寧に、そっと歌って!」 おばあちゃんは、レッスンするとき、孫の美玖には特に厳しかった。何度も何度もできるまで、辛抱強く、おばあちゃんは美玖に要求し、妥協しない。 美玖はうまく歌うことができず、悲しくなることはあっても、歌が嫌いにはなれなかった。 おばあちゃんの家には、アイドルの人とか、歌手の人とか……、芸能事務所の人がレッスンを受けに来ていた。美玖にとってはそれは日常で……。だから芸能人を見ても、キャーキャー騒ぐことはなかった。 (アイドルや俳優さんに好きなタイプもいなかったし……) 美玖は苦笑する。 アイドルだって、みんな一生懸命練習して、ステージに立っているんだ。 どちらかというと、同志の感覚だ。 美玖は、動画では顔をスタンプで加工している。 スタンプで顔を隠すのは、純粋に歌を届けるというメリットもあった。 「ブスだから顔出ししてない」、「太っているんでしょ」とか、「背が低い」とか、ときどきしょうもないコメントが届くこともあるけど……。 歌がその人たちにも響いて、わたしに興味を持ってくれたんだなって思うようにしている。 気にしても仕方がないからね。それに高校一年生のわたしの155センチの身長は、いまさら伸びないだろうし。 視聴してくれた人の中で、だいたいは好意的に思ってくれる人が多かった。歌が評価されれば、それでいいと、美玖は考えていた。
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