◇019/そよぐ風の隙間から掴まえた君に僕は何を思う

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「あれ?イーヴルさん、どうしたんですか?」 部屋から出て来たイーヴルに気付き、アオイが声を掛ける。すっと目の前に出された温かいマグカップを受け取ると自分が腰を掛けていた椅子をイーヴルに譲ろうとした。 「ここから先は当事者だけの方が良いと思って」 やんわりと椅子は断りアオイを座らせる。持っていた本を膝に置き、マグカップに入ったコーヒーを熱そうにゆっくり飲もうとするアオイは20歳そのもの。年相応の笑顔を見せてくれる。 イーヴルは全てを知っている訳ではないが、アオイにも大変な過去がある事を把握している。その結果がアオイの両手首に刻み込まれた呪符だ。その威力は相当で、それで抑え込まれた元々の能力もそれなりに強いのだろうと推測出来た。 この場にはいないが、リアンにも言わない過去がある。コーネリアの名は、北方出身のイーヴルですら知っている名だ。そんな家の長男が次期家督を放り投げた。アリスとの関係も誰に言う訳でもなく、彼はアリスを殺める選択をした。 アイゼンはどうだ。彼にもまた、家の名が付き纏う。父と兄、両方が管理課の歴代責任者故、彼にもその重圧が少なからず掛かっている。それから逃れたかった筈なのに、そこへ身を置いている。 黒曜も榛原もシュタールも菫も、本人の自覚の有り無しは別として何かを背負っている。 自分は何を背負っているのだろうか。イーヴルには自分の人生を変える様な何かを背負っているつもりがない。平凡な家庭に生まれ、父親は他界したが身に余る仕事に就けた。それだけだ。 ──本当に、どうして俺がこの部隊に召集されたんだか。 自分だけが取り残された気分になる。 「…俺だけ何もない」 「何がですか?」 「俺だけ、背負っているものが何もない」 重たい過去も、劇的な転換期もない。 「平凡な家庭でぬくぬくと育ち、流されるままここにいる。自分で大きな壁を壊したり流れを変えたりとか、そんな事は何もない。…俺は…俺は棄てたんだ」 「イーヴルさん」 アオイが立ち上がり、イーヴルの顔を覗き込む。 「イーヴルさん、僕は気持ちが荒んでいました。重たいものを背負っているのなら、みんなどこか荒んでいたと思います。イーヴルさんに重いものがないのなら、イーヴルさんは荒んでいません。だから僕はそんなイーヴルさんに癒されるし頼るんです」 本を椅子に乗せ、マグカップを両手で包んでいるアオイに荒みは感じない。 「リアンさんも優しいです。黒曜さんもアイゼンさんも優しいです。でもみんなそれぞれ重いものがあるせいで、どうにも崩せない壁を感じます。…イーヴルさんにはそれがありません。だからこそ、みんなイーヴルさんに心を開くし本気でぶつかるんです」 「…アオイ?」 「だってあの黒曜さんを手懐けたじゃないですか。最初の頃の塩対応、凄かったでしょ?今でも他部署の人には酷い対応するんですよ、黒曜さん」 にっこりと笑顔を見せるアオイに、寧ろイーヴルの方がいつも癒されていた。自分より10cm背は低く、歳も5つ違う。イーヴルにとってアオイは同僚と言うよりも弟に近い。実際の弟よりも歳が近い故に接し易い。 「僕は今のままのイーヴルさんが好きですよ。だからこれからも頼らせて下さい」 「…アオイ」 イーヴルの右手にはマグカップ。だから左手を伸ばした。 「わぁ!」 アオイが嬉しそうに声をあげる。イーヴルの左手はアオイの頭を撫で回していた。 ────────────────
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