◇001/先を見通そうとする者

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◇001/先を見通そうとする者

◇001/先を見通そうとする者 ─────────────────────── パタン、といつもと変わらない金属音の扉を開ける。事務室に併設されたロッカールームの片隅、そのひとつだ。丁寧に畳まれた着替えとバッグを手に取り、司令部本部に設置されたシャワールームへと向かう。 脱衣所のロッカーに着替えの服とバッグを無造作に放り込むと、上着の胸ポケットに入れてあったスチールケースを大切に棚に置く。 汚れが付着した活動用軍服は、全部まとめて床へ脱ぎ捨てる。彼等に支給された活動用軍服はグレー迷彩の物だ。中央管轄区司令部所属故に、市街地戦が多くなる。だからこそのグレー迷彩だ。黒のハイネックの半袖インナーも何もかも、全部そこへ放り投げた。どうせここには彼以外誰も居ないのだから、多少散らかしても問題ないだろう。  普段どんな物も丁寧に扱い、衣類も脱ぎ散らす事はしなし彼だが、条件が揃うとこうなる。周囲に誰もいない事と、『殲滅戦』のあと。そんな姿を知っている者は皆無だ。 シャワーの前に立ちコックを捻る。温度管理された程良い湯が上から降り注ぎ頭から肩へ、背中を伝い下へ下へと湯が流れる。彼の左上腕と腰から左腿に渡る様に存在する大きな傷痕をなぞりながら、温かい水流が伝い落ちて行った。  いつもは少し跳ね気味の短く整えられた伽羅色の髪も、湯を被る事でぺったりと寝てしまった。 今日の仕事はきつかったと感じていた。軍人と言う仕事を選んだ時点でそれは避けられない。彼はそれ良く知っている。自分の髪色は伽羅色だった筈だが今日は違った。緋い斑模様が入ってしまっていた。今日の現場はそれ程の状況だったと言う事。 ──殲滅はやはり好きじゃない。 仕事の好き嫌いなど到底言える職ではないが、思う事はそれなりにある。どうしたって人の命を奪う事も多いこの仕事。それは軍人故の葛藤だった。 髪や顔に付いた乾いてしまった返り血が、お湯に乗って流れて行く。これは誰のモノだったのか、もう彼にはわからない。『奪う以上、いつ奪われても仕方がない』、そんな世界に居る。 シャンプーやボディーソープを使いどれだけ返り血を洗い流しても、それは表面しか流れてくれない。彼が持つカーネリアンカラーの瞳で見て来た戦場の光景と奪った命は、彼がどれだけ丁寧に洗おうが彼の記憶から流れ去る事はない。自分が背負うべき『業』と割り切り、彼はこれからもこの仕事と向き合うつもりだ。 コックを閉め湯を止める。髪から身体から、湯がぽたぽたと零れ落ちる。暫くこのまま、彼は無の時間を過ごす。 これが彼の割り切り方だった。次へと繋ぐ為の切り替え方。いつまでも人の命を奪った事に凹んではいられない。次は双方犠牲なしに、事を進められたら良いのに。そうでなければ限りなく犠牲は減らしたい。殲滅なんて本当はなくなれば良いのに。理想ばかりが頭に浮かぶ。それを実現出来る程、彼の力はまだ大きくない。所詮彼は上下を繋ぐ中間管理職みたいなものだ。 濡れない場所に掛けてあったタオルを手に取ると、頭をがしがしと拭いた。このあとに約束があるし、どんどん舞い込む仕事は待ってはくれない。 ───────────────────────
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