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「黒曜、イーヴル君の前任地ってどこか知ってるかい?」
「いや、聞いた事は北方くらいでどこかは知らない。調べてもいないし」
「アインスは知ってる?知らないよね」
「あぁ。それこそイーヴル君を知ったのは少し前の飲み会の時だから」
榛原が笑った。
「あの駐屯地、イーヴル君の前任地なんだよ」
黒曜はあの駐屯地に1度しか行っていない。それは6隊異動の前年だった。イーヴルは軍学卒業後の2年間、北方勤務だと黒曜に言っていた。黒曜とアインスがメンテナンスであの駐屯地に行った時、イーヴルもあそこにいたと言う事になる。正直、黒曜は見た覚えがないと思っている。無論それは、黒曜が他人に興味を持っていなかったので余計に、だろう。
「主任、あの駐屯地の機材って…」
「あぁ、レイトン技師が手掛けていた」
「なら尚更、僕はイーヴルと一緒にそこへ異動したい。主任はあれを手掛けたいって言っていましたよね?でも自分は出来ないって。だったら僕が…僕とイーヴルが手掛けたい」
ガサガサとペーパーバッグに手を突っ込み、プレーンドーナツを1つ取り出した。
「黒曜、それは私情だよな?」
「あぁ。私情だ」
ペーパーバッグをアインスに渡すと、榛原はドーナツを齧った。
「…まぁでも港湾祭の時の様子を見る限り、だいぶ良くない感じではあったね」
榛原も参加していた港湾祭の艦船攻防演習、その裏に隠された壁任務。あの時のイーヴルの様子は忘れられそうにない。自分のライフルにすら触れられず、ケースに収める事すらままならない。青白い表情のまま震えていた。
──危惧していた通りになったな。
何となくではあるが、榛原はこの展開を予想していた。どんな経緯であろうが、イーヴルは離脱するであろう、と。ただそれを黒曜が提案して来るのは予想外だった。
「離脱に関してリアン君は何て言ってる?」
「あ、いや。詳細は何も。ぶん殴って来ちゃったし、何より離脱を告げる前に主任と相談したかったから。…でも」
リアンとの会話を省みても、イーヴルはきっと離脱する。それが『離脱する』のか『離脱させられる』のかははっきりしないが、6隊から離れるのは間違いないと察した。だからこそ、黒曜は1番良い『離脱の仕方』を模索した。模索した結果、転属を希望した。
「ぶん殴った?ぶん殴ったの?仮にも上官を!」
「…思わず平手でばっちーんと…」
「本気で?」
「最近の隊長は 何だか冷たい。言われた事は確かにその通りだったんだけど、言い方ってものがね」
他人に対して興味を持たないが故、他人に対して感情を出さない黒曜がこうもストレートに感情をぶつけるとは。
──黒曜にとってイーヴル君は大きな存在だったんだな。
コーヒーでドーナツを流し込んだ榛原は部屋の天井を見上げ、ひとつ息を吐いた。
──黒曜が大きな決断を自分でしたんだ。…シュタールは怒るかな。
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アインスや黒曜と別れた榛原は遊撃2班の事務室に戻ると、律儀に榛原の戻りを待っていたユーディアルライトを捕まえた。彼女は完全なる2班ではないが、信頼信用、両方ともに出来る人材だ。
ロッカーを開けて黒シャツを引き摺り出すと榛原はそれに袖を通した。
「ユーディ。僕、今から中央へ行くから。シュタールから壁仕事が来たら断って」
「了解しました。珍しいですね」
「うん。急ぎの案件が割り込んじゃったんだ」
ネクタイも締めて青い上着を手にすると、バッグをひとつ抱えて事務室を飛び出した。
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