◇023/離脱を告げた者

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2枚のファイルに収められた資料は現段階で最新のもの。ここまでの経歴が可能な限り記されている。 「私はここへの異動を希望しています。…それこそ『上官合意による人事異動』をです。こちら側の上官に関しましては私が説得をしますし、合意をさせます。だから、私とイーヴルをこちらに貰い受けて下さいませんか?」 北方駐屯地責任者は差し出されたファイルを丁寧に確認する。それは紛れもなく目の前にいる人物と、数年前までここに在籍していた人物の資料だ。こと細かく記されたそれを見る限り、この駐屯地に置くにはあまりにも勿体ない人材だ。 「…どうして。どうしてここなのですか!」 黒曜自身、エンジニアとしてはトップクラスだ。あの西方エンジニア班においても単独で仕事を任せられる程なのだから。そしてイーヴル。ここにいた時もそつなく何でもこなしていたのを、責任者は知っている。中央異動したあとの経歴を見る限り、地方の駐屯地でくすぶるよりも現場にいる方がよっぽど功績が獲れる。 それなのに。 「貴方もイーヴルも、ここよりももっと活躍出来る場がある筈です!どうしてここなのですか!」 尤もだ。 「…イーヴルはもう、前線には立てません」 「は?」 「少し前に大きな案件が入りまして、その時に心に傷を負いました。…だからもう、彼は前線に出られません。私は指揮官と言う立場で戦場に出ていましたが、彼等のように戦えないのです。常に守って貰う為の背中が必要でした。それがイーヴルです」 「…」 「私はずっとイーヴルに守られて戦って来ました。今更他の人が私の背中になる事を受け入れられないのです。それに、イーヴルを傷付けるような指揮を止められなかった私自身、責任を感じているのです」 「それはここを望む理由にはなりません」 「そうですね。私の目的はここの通信設備にあります。ここの設備を私の元上官は大事にしたがったのです」 「通信設備?」 「私達がメンテナンスを施した通信設備です。あれは元々、外部エンジニアが手掛けていたそうですね?」 「そう聞いています。尤も私が赴任して来る前の話なので、詳しくは存じておりませんが」 もう1度、イーヴルの資料を差し出した。 「外部エンジニア故に詳細はあまり残っておりません。ですが、各種書類を突き合わすと出て来る事実があります。当時ここの外部エンジニアとして管理していたのはレイトン技師」 「…レイトン…?」 イーヴルの名前を、黒曜の指がなぞる。 「イーヴル・レイトンのお父様です。彼はエンジニアのお父様に憧れていました。しかし技師が亡くなった事を受け、エンジニアの道を諦めて軍属の道を選びました。私は彼と行動を共にするにあたり、彼が零す事のない本音と触れました。…彼はまだ、エンジニアの夢を棄て切れていません」 「…」 「彼には感謝をしております。私の背中を守るだけではなく、これまで私が知り得なかった事をたくさん彼から教えて貰いました。…私が彼に様々な事を教えているつもりで、私が様々な事を彼から教えて貰っていたのです」 「…あの」 「前線に立てなくなった彼に何をしてあげられるか、考えました。…彼にエンジニアへの道を拓いてあげたくなったのです。彼のお父様が手掛けた設備のある、この地で…」 「あの、こちらとしては貴方クラスの専属エンジニアは助かります」 「付加価値をご所望ですか?」 「…いや、その」 今度は黒曜自身の資料を指し示した。 「私の特記事項として、後方指揮が出来ます。イーヴルが前線に立てない以上、私ももう前線には出られませんが事前情報から作戦等々は立てられます。演習戦における勝利判定の足掛かりは作れます。実戦においても戦況優位にさせる方向に持って行く事は可能でしょう。私個人の判断でよろしければ後方指揮の人材も育てます。いかがですか?」 「…」 資料と黒曜自身の話から、黒曜が何故ブルーライン3本なのかを理解した。単なるエンジニアならグリーンラインが限界だ。それなのに、グリーンラインの上となるブルーラインで、しかも3本。エンジニアとしての技術だけではない。この後方指揮における戦果が付いている。 駐屯地責任者は葛藤する。彼には責任者としての名目のあり、階級はレッドライン1本。『上官合意による人事異動』を行える人物だ。そしてこの駐屯地にはいないエンジニア、付加価値としても十分過ぎる。 2冊の資料を前に、彼は分かりきった葛藤をした。 ────────────────
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