18人が本棚に入れています
本棚に追加
─Third party viewpoint.─
程々の雑談が行き来するカフェの片隅、アイゼンとルカ。
「あの滑落事故のあとから、リアンは変わった。表面的には何も変わらないのに、内面がどこか変わった。全部自分が被れば良いと思う様になった。親しい人を作らなくなった。自分の事を話さなくなった。…全部…全部、もし自分が急に死んだ時、周りを悲しませたくないからなんだろうな…」
リアンは双極だ。人を傷付けたくないを理想として、自らを犠牲にしようとする。人を助けて希望を与えておきながら、目の前で自らを傷付け相手に絶望を与える。情に厚いと見せ掛けて、無意識下では非情な人間だ。そうアイゼンは分析している。
「だから決めた。俺はリアンの直属の部下として、相棒として、親友として、リアンに付き合う…と。あいつを生かす為に、俺は付き合う…と。それが理想なのに…」
リアンの『生きている事に乾杯』は、生還した事を喜ぶだけの言葉ではない。グラスや缶コーヒーを重ねる毎にそれを言うのは、アイゼンがリアンに釘を刺す意味合いもあるし、何より命を落としてしまった人達への哀悼の意を示し彼等の意思を継いて行くと言う意思表示。生きていていられる事に感謝して、どんな最期かはわからないがその時まで生を全うする事を誓う言葉。
「…ルカ」
アイゼンはぬるくなってしまったコーヒーが入ったカップを手に取ると、ルカのカップにカツン…と当てた。
「リアンが『生きている事に乾杯』」
自ら他人に対して壁を作っていたリアンが、無意識とは言えアイゼン以外に気を許した相手はルカだった。再会のあと、衝動的にとは言え連絡先を渡した事に驚いたものだ。少しずつルカと会う時間も増え、着実にルカとの壁を壊している。これは大きな事象だとアイゼンは感じていた。
───────────────
5年前のあの滑落事故の時と同じ季節、そして同じ日。なのに北方山岳地帯と西方管轄区では大きく気候が違う。多少の風が吹いていて肌寒くはあるが、アウターはコート1枚だけで充分。何ら凍える事もなく外を歩ける。
綺麗に整備された公園に彼は足を踏み入れる。公園とは名ばかり、ここでは子供は遊べない。石畳に沿って歩を進め、目的のエリアへと赴く。
石畳から外れ、整えられた芝生を踏み締めながら目的の墓標の前に立った。目の前の墓標には既に花が手向けられている。誰かが先に来ていた様だ。
持って来ていた花と祈りを捧げた。ゆっくりと祈りを捧げた。瞼が開き、オレンジ色の瞳が空を見上げる。あの時と同じ様な青空が広がっていた。ただ、あの時と違ってここは天候の急変はなさそうだ。
「お久し振り」
掛けられた声に振り向く。そこに居たのは女だった。右手には杖を携え、ぎこちない動きで彼に近付いて来た。
「久し振り、アリス。今年は会えて良かったよ。本当は毎年この日に来たかったのだけど、どうしても休みが合わせられなくて…」
アリスは穏やかに笑う。
「忙しいのね。リアン君はまだ軍属だっけ?」
「うん、軍属。今はアイゼンと一緒の部隊に居る。2年前にレッドラインに昇格して、そのあとの4月から小隊を任されているんだ」
背が高いリアンはアリスを見下ろす形になる。20cmくらいの差があると、何とも慣れない感覚だ。
「アリスは…その、大丈夫?」
「何が?」
「…リゼが居ない事」
「…そうね、だいぶ慣れた…かな?」
アリスは数歩前に進むと、リゼの墓標にそっと手を添える。
「私とリゼは生まれた時から一緒だったから、正直半身失くした気分だったよ。普段は頼りないくせに、あんな時に限って兄さんぶって、リゼが全部引き受けてさ。最初に飛ばされたのは私なのに…何で?って、たくさん考えた。でもリゼは最期に『還って、生きて』って言った。だから私はリゼに恥じない様に生きるの」
リアンも前に出る。墓標の前にしゃがみ、目線の高さを合わせた。
「そうだね。リゼは『還って、生きて』ってそう言った。だから僕も帰還するし、生き…」
──帰還するし、生きている…?
任務が終われば確かに帰還はしているが、時には自ら犠牲になり負傷する。
──リゼが求めている『生きて』じゃなさそうだなぁ…。
自らの行動に反省点を見出だし、苦笑いするしかなかった。5月の制圧戦後始末でも被弾してアイゼンや部隊員や、間接的にはなるがルカにも助けられた。12月の北方市街地戦演習でも雪がトラウマなのではないかとやはりアイゼンに心配されていた。
「リゼ、ごめんね。僕、もう少し丁寧に生きるよ」
リアンは拳をそっとリゼの墓標に触れさせた。
──リゼ、『生きている事に乾杯』。僕もリゼに恥じない様に生きる努力をするよ。
────────────────
男2人がカウンターのいつもの席に着く。グラスの濁り酒を2つとシーザーサラダと刺身の盛り合わせをいつも通りオーダーした。
お通しが届く。少しして濁り酒が2人の前に置かれた。見慣れた切子のグラスに入れられた濁り酒。いつもと変わらない流れでグラスを重ねる。
「「生きている事に乾杯」」
上質な硝子が奏でる音は周りの騒がしさに掻き消されてしまったが、2人は満足そうに口を付けた。
「どうだった?西方は」
「思ったよりも寒くなかったよ」
2人の間にシーザーサラダと刺身の盛り合わせが届く。すかさずアイゼンが蛤の酒蒸しとほっけ焼きをオーダーしていた。
「アリスは元気だったか?」
「元気そうだったよ。脚の後遺症で軍属は諦めたけど、アリスは呪符を作れたからね。今は呪符関連で仕事が出来ているって言っていた」
リアンが取り分けたシーザーサラダをアイゼンの前に差し出した。それを笑顔で受け取る。
「リアン、何か掴んだのか?」
「ん?何か…って?」
「何だか見えない荷物を下ろしたみたいな面構えしてるから」
「見えない荷物って何だよー」
刺身がとろける様に美味く、それを頂ける事に嬉しくなる。それも今を生きているからこそ。
「アイゼン…」
「ん?」
「僕、もう少し丁寧に生きるよ。リゼやアリス、ルカ、それにアイゼン。皆に恥じない様にもう少し丁寧に生きたい」
暫くすると蛤の酒蒸しとほっけ焼きが届いた。2人は改めてグラスを手に取る。
『生きている事に乾杯』
─────────────────
2020/01/27/005
最初のコメントを投稿しよう!