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トイレに着くと、奥の方から何やらこの場に似つかわしくないような怒声が聞こえてきた。
それも、一人だけの声ではないようだ。
ーほら、あと30秒、ガーンバレー
ーうえ、足濡れたぁ…あんたがちゃんと突っ込まないからじゃん、このっ、くそが!
意地の悪いイントネーションの怒声に、合間合間に聞こえてくるのは人の溺れたような悲鳴、小夜だ。
一連の流れを聞いてしまい、私は逃げ出したい衝動に駆られる。
「まひろ?」
舞もそれに気づいたのか、心配そうに私の袖を掴んでいる。
「一階の、トイレ、行こっか」
「うん」
私はなるべく音を立てないようにトイレを出た。
小夜は、今ここにいたのが私だと気付いていただろうか。いや、まさかそんなことはあるわけない。
小夜は、おそらく便器に頭を入れられていたんだ。私たちの小さな話し声など、聞こえるはずがない。
ー聞こえていませんように
私は切実に、心の中で祈っていた。
下のトイレは、二階と違って平和にしんとしていた。手前の個室が閉まっていたが、いじめが行われている気配はない。
私はほっと胸を撫で下ろした。
すると、手前の個室から水の流れる音がした。そして中からは、私の仲良しグループの一人、新庄弥生が現れた。中性的に整った顔は、驚きを表している。
「やっちゃん」
舞が声を上げた。
「なんで、あんたたちがここに?」
目を丸くして歩み寄ってくる。
「えっと、それには深いわけが」
正直に言うべきか迷ったが、濁しておく。
「じゃあ、やっちゃんはなんでここなの?」
舞の問いかけに、弥生は珍しく口を濁して答えた。
「上だと、星崎がちょっと色々されててさ、うるさいから」
「うそ、じゃ、舞たちと同じだ」
舞は、何を思ったか嬉しそうに食いついていた。
「ちょっと舞、何笑ってんの?」
「あ、ごめんなさい」
少し強めにたしなめると、すぐに慌てたように謝ってきた。舞と弥生は、私と小夜が幼馴染みであることを知っている。だからか私たちの間には、一瞬何とも言えない気まずい空気が流れた。
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