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後腐れのない相手が見つかる場所だからと、久方ぶりにその店の扉を開いた。手っ取り早く相手を見繕い、店を出ようと小さいホールを見渡す。外の騒音から遮断されたその空間は、数年前から変わらない赤紫の灯りに照らされていた。
光は壁にあたり跳ね返る。フロアだけでなく、そこにいる人も照らし出す。まるで知らない国にいるようだ。騒がしい程の音楽の中でかすかに聞こえる会話は異国の言葉のようにも聞こえる。
見覚えのある男が、数人目についた。かつて一夜だけ過ごした相手もいるようだった。誰でも構わないのだ、ここでなら簡単に後腐れのない今夜限りの相手は見つかるだろう。
「ねえ、誰か探しているの?」
後ろからふいに声をかけられて、振り返る。入り口からフロアに向けられた灯りを背に黒いシルエットになった男が立っていた。別に誰でも良いのだ、向こうから声をかけてくれた。これで口説く手間も省けると御園は考えた。
「ああ、そこのホテルで。代金は俺が持つ?どうだ?」
「いいよ、お兄さん何だか急いでいるんだね?」
くくっとその男が笑った。出口へと向かう薄暗い廊下で、何気なくその腰に手を回す。期待なのか緊張なのか、その男の身体が僅かに震えた。身体つきは好みかもしれない。このくらいの肉付きがいい、今日は偶然にしても良い出会いだったのかもしれないと御園は考えた。
今しがた入って来たばかりの扉を開き、夜の街へとまた足を踏み出した。季節は春の終わりを迎え夏へと移り変わるとき。日が落ちてもなお生暖かい夜風が、ふわりと隣に立つ男の前髪を揺らした。
「……え?」
「?」
「いや、まさか。すまない……いや」
「何か問題?」
ゆっくりと首を横に振る。何が起きたのか理解できなかった。今、隣に立っているその男の顏は、自分が過去に埋めた男と同じ顔をしていた。
「名前を聞いてもいいかな?」
「え?必要はないですよね」
その声にも聞き覚えがある。そしてその作り笑いにも。右の口の端の方が左より少し上にあがる。忘れたくても忘れられない。間違いなく目の前にいる男は過去に葬り去った相手だった。あの日から二十年近く、積み上げてきたその年月が薄っぺらい紙のように風に飛ばされて消えた。足元のアスファルトが溶けだし、足元からずぶずぶと真黒な沼に沈んでいくような気がした。
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