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バーの中を見回すと、カウンターに先ほどの青年が座っていた。軽く手をあげるとにっこりと笑った。真っ直ぐにその隣までいく。どうぞと示された隣の席に座ることもせず御園は口を開いた。
「で?何が望みなの」
「勘違いしないでください。あの夜の続きがあっても良いのかなと思っているだけです」
給湯室から聞こえてきた噂話で御園に興味を持ったという。こんな大きな企業で堂々と自分のことをオープンにしている人がいるのが驚きだったと。会社で何度か見かけたが、流石に声をかけることはできなかった。そんな矢先にこの店で見かけたらそれはもう運命だと思うしかないと。
「この先か、何も有り得ないな」
恋人に遠慮しているのかと問われ、パートナーなどいないと答える。それ自体は嘘ではないのだ。
「じゃあ、何も問題ないですよね?」
「いや、もう終わったことだ」
今も悪いことをしているような気持ちになるのは多分傷ついた碧稀の顔が浮かぶからだ。
いつもなら気にならない音楽が耳につく。人の話し声がちくちくと刺す。早く帰りたいと気が急く。
「悪いがもうこの話は終わりにしてくれ。それとこうやって会うことももうしない」
「んー、どうしようかな。身体の相性も良かったのに、残念過ぎますよね」
誘うような目つきで下から覗き込むようにこちらを見てくる。半年前ならば、一時しのぎの相手として見ることができたかもしれない。1万円札をカウンターに置くと、これで飲んで帰るようにと伝える。
「そうやってお金置いて逃げるんだ」
逃げているつもりはなかったが面倒事が起こると確かにその場を上手く切りぬけて、なかったことにする。そんなところが自分にはあるのかもしれない。相手待ち、相手次第。相手に選んで欲しいと思っているのだ。でも今回は違うそもそも選んで欲しい相手ではないのだ。
「これで切れたとは思いませんから。次のチャンスを楽しみにしていますね」
ふふと笑うと御園に背をむけカウンターから立ち上がり、店の奥へと移動して行った。
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