第十章 木藍

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 水曜日の朝は面倒くさい男との鉢合わせで始まった。  「おはようございます、御園さん。あの、気になっている事がありまして。昼休みに少しお話できますか?」   「ん?羽山がどうかしたのか?」  毎回、名前を出すたびに少しだけ眉根を寄せる。桜井はどこまでいっても桜井だ。  「いえ」  珍しいこともあるものだと、ふざけた調子で答えると「では昼に」それだけ伝えて消えていった。  昼休みになるとほぼ同時には書類キャビネットの向こうにでかい男が立っていた。 社食にでも行くか?と言いかけた時、桜井が左手でそれを静止した。  「第二会議抑えてあります」  「まさかこの前の写真のことか?忘れてた、悪い。ところで俺腹減ってんだけどさ」  御園のその質問には何も答えなかった。会議室に入るとすぐに、困った顔をした桜井が話を切り出した。  「御園さん、恋愛についてとやかく言う立場にないのは分かっています。ただ今回は」  一瞬どきりとする。碧稀が桜井と会ったのはあの焼肉屋で1度だけの事。今更何を言われるのだろうかと。  「鈴木絆、ですよね?」  「えっ?!あ、ああ、違うのか」  「はい?ちょうど海外にいらしてご存知ないとは思いますが。彼は二年前私の隣の部署にいた新入社員でした」  だからといって何の問題があるのかと思うが、桜井の表情は明るくはない。 ちらりと腕時計を確認する様子から何かを待っているのか、それとも急がなくてはならないのか。  「で?それが?」  桜井の話によると彼は入社後半年で辞めてしまった。 色々な噂があったが、同じ部署の先輩との痴情のもつれが原因で自殺未遂をおこしたという。 一時期、会社ではその話で持ちきりだったというのだ。玄関前で話していた時に妙に視線を感じたのはそのせいだったのだろうか。  「とりあえず相手が悪いです。ましてや会社の前で待ち合わせなんて。そして、この前の若い子もいますよね?自暴自棄になってらっしゃるのではと……」  「は?」  「御園さんがどんな恋愛をされても私の関知するところではございませんが。羽山さんが」  「また羽山か、あいつに何話してんだよ」  「あ、そろそろ時間ですね。とりあえず言わなくてはいけない事は申し上げましたので。失礼致しました」  ひとり会議室に残され。人生で最悪の選択肢しか残されていないような気がしてきた。
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