第三章 深碧の淵

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 碧人は高校を卒業すると同時に島に戻り父親の跡を継いだ。同級生の千佳と結婚すると、連絡をしてきたのは御園が大学二年の春だった。結婚式は親しい友人のみを招いた暖かいものだったと親から聞いた。理由を付けて参加できないと連絡をし、直接祝ってやることも出来なかったのだ。もう20年近くも前のことだ。  「君が生まれた時に、碧人から写真が送られてきたよ」  「仲が良かったのですか?」  「知っているだろう、あの島では誰もが皆親戚のようなものだ」  「そう、ですね」  「だがそれが最後だ。もう連絡もとっていない。海外にいる間に携帯の番号も変えてしまった。安心していい、今から聞くことはここだけの話になる」  「じゃあ、このまま帰してください」  「だめだ。今帰したら、また同じことをやるだろう。なぜこんなことをしたんだ。理由が納得できない時は首に縄付けて島まで送り届けてやる」  「理由が納得できたら見逃してくれるという事ですか?」  「とにかく話しを聞く、全てはそれからだ」  「春になったら高校を卒業します、そうしたら帰って親を手伝うのが義務だと思っていました。そしてそうするつもりでした」  高校最後の夏が始まると少し羽目を外したという。自分の恋愛対象が男性だということに気がついてネットで検索した店を誰にも内緒で訪れてみた。けれども平和な島と違い、都会には知らないところに落とし穴がたくさんある。気がついた時には遅かった。高校生が出入りすべき場所ではないところで罠に落ちた。  「何もしていません、ほんとうです、薬なんて知らない」  「脅されているのか」  「親に連絡すると言われました。学校にも。でも少し手伝ってくれれば忘れてやるって、内緒にしてやるって、言われて」  「手伝う?」  「スーツを着た男性を誘って、相手が眠ったら電話するだけだからと……」    「なるほどね、標的は俺の方か。昏睡強盗じゃなくて、未成年を連れ込んだ大人を脅す餌に使われたんだな。こんなことすぐに辞めろ」    「どうしたら良いのかわからない……です」    「携帯で連絡か。どの番号だ?」  御園は碧稀が指さした番号を回した。ぼそぼそと話す声が静かな室内に響く。何を言っているのかよく聞き取れないくらいの声量だった。御園は声を荒げることもなく、その口調は落ち着いたものだった。すぐにその携帯はまた碧稀の手の中へと戻された。  「もう一度今の番号にかけて」  「えっ、僕がですか?」  「そうだ」  しかしその番号に掛けた電話は二度とつながることはなかった。  「あの、つながりません」  「もう二度とかかってくることもないよ。いくらでも代わりはいる。うまく行かなければすぐに切り捨てて終わりだ。失敗したと知ったら、すぐに手を引く。最初に警察に相談すべきだったな、念の為に携帯の番号変えておけ。それ以外は知らせていないんだろうな」  「……ありがとうございました」    いつの間にか碧稀の言葉が丁寧になっている。遊び慣れた口調で声をかけてきた青年とはまるで別人だ、どちらも本来の姿なのだろう。まだまだ未成熟、この若い男は未来への可能性を秘めた子どもなのだ。組み合わせた手を何度も組み替えている、落ち着かないのだ。御園はバスローブを取って来ると、その小さくなった肩にかけてやった。  「春になれば島に帰って親父の仕事を継ぐのか?」  「別に民宿が悪いとは思いません、けれど……」  「けれど?」  「島に帰れば僕のことは誰も理解してくれないし。いずれ結婚してというのは僕には無理ですし、独りでは父の跡を継ぐことも難しいかもしれません」  「で?」  「で?って……だから」  「どうにかして欲しいのか」  「えっ?ち、違います」  「聞いて欲しいだけか?話して楽になるのなら聞いてやるよ」  「……」  「まあ、いい。言いたくないのなら」  「でも」  「でも?まあ、俺には関係ないことか。そういえば親戚の家に住んでいるのだろう?場所は知っている、明日の朝には送ってやるよ」  「親戚ですか?いえ、間借りをしていて一応独り暮らしです」  昔、碧人が住んでいたあの家はもう都内にはないのだろうか。二十年も時が経てばいろいろなことが変わるのだ。  「じゃあ帰りを心配している人はいないな」  「はい」  「話を戻してもいいか。自分の恋愛対象が男だから親には理解してもらえない。そういうことか?」  「そう……ですかね」  自分の恋愛対象が同性あであると親に伝える。簡単なことではない、そんなことは自分が一番知っていると御園は思った。  「聞いてやるだけならいつでもできるよ。今日はとりあえずここで寝ろ」  「あの……」  「は?子どもを襲う趣味はない。もうとっくに萎えたよ。寝ろ」  「いえ、あのそうではなくて。父には、その……」  「そっちか!言っただろう、連絡をとる術もないと」  自分の勘違いがおかしくなり、声を立てて笑った。久々に声を出して笑った気がした。碧稀はもぞもぞとバスローブの前をひっぱり合わせると、ごそごそとベッドに潜り込んだ。布団の中で膝を抱えるような姿勢になった、まるで小さい子供のようだ。御園は大きく伸びをするとベッドの反対側に身体を横たえた。眠れそうにもないと思っていたが、規則正しい寝息に誘われ夢も見ずに眠った。
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