ルーシー

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ルーシー

 ルーシーとは、英語圏における女性の名であり、ラテン語で光を意味するルクスという語から来ている。今でも、明るさの単位をルクスと言うのは、これである。  また、ルーシーとは、考え方により解釈は異なることがあるが、キリスト教とその管理するところの聖書において、悪魔の長となったサタンが堕落する前、天使であった頃の名でもあるという。  ルシファーといえば誰もが知っている名であるが、ラテン語の光に、運ぶもの、という意味の語を付け加えた名詞で、これは明けの明星のことを指す。やはり、光にちなんだ名である。  ルシファーがサタンと同一の存在であるとするキリスト教会の説と、聖書の誤読あるいは誤解釈であるとする研究者の間で論争は尽きぬし、もし、研究者の言うようにルシファーがサタンとは異なる存在であるならば、彼はひどい誤解を受け続けていることになるが、ルシファーが何者であるのかはこの話には一切関係ないから、その問題については触れない。  ただ、ルーシーという名が、光にちなんだものであること、光をもたらす者と呼ばれた者が堕ち、人に煩悩の誘惑と悪意と罪をもたらす存在となったことを示唆する話があることだけを、述べておきたかった。  とにかく、今となっては、ルーシーとはごく一般的な、どこにでもある女の名になったわけだが、彼はれっきとした男である。無論、ほんとうの名ではない。  福田明良(ふくだあきら)。どこにでもある、何の変哲もないそれが、彼の名であった。福だの明るいだの良いだの、ずいぶんとめでたい名であるが、彼はそれが最も相応しい職業に就いていた。 「はい、あかり葬儀社」  電話は、必ず三コールまでに出なければならない。 「はい。はい」  明良の声は、落ち着いている。そういう研修がしょっちゅうあって、お客様第一、心に寄り添う葬儀を、という社訓を実践している。 「心から、お悔やみを申し上げます」  あかり葬儀社は、大きな会社ではない。スタッフは四人。葬儀の際の人手は、派遣会社から借り受けた職員で補う。 「ええ、はい」  明良は、電話越しでも、口元に必ず穏やかな微笑を浮かべる。声に出るのだ。顔が見えていなくても、声の微笑みを伝える。これも、そのような教育や研修の賜物であった。 「それでは、そのように進めさせて頂きます」  話す速さも、ちょうどよい。早口はもってのほか、突然のことで遺族は混乱していることがあるから、ゆっくりすぎて苛立たせてもいけない。  また、そう何度もあることではないから、誰もが不馴れである。できるだけ不安を与えず、安心して任せられる、と思ってもらうことが肝要だ。  だから、落ち着いていて、それでいてしっかりとした確かな口調で話すのだ。 「重ねて、お悔やみを申し上げます」  そう言って、電話を切る。そのあとは、式場の手配である。会葬の規模など遺族の希望を考慮し、最適な式場をただちに選ぶ。  細かなことまで気を配り、よくテレビなどで報じられるような、わけの分からないオプションを山のように付けて価格を吊り上げるようなことはしない。  必要最低限で、それでいて最大限に、残された者が故人を送る気持ちを満たす手伝いをする。  今回は、子供の葬儀である。なぜ、どのようにして故人が亡くなったのかなどは、無論一切詮索しない。しかし、明良は、依頼してきた家族にとても親しまれることが多いから、しばしばその類の話を聴く。  人は、押し潰されそうな悲しみを、他者に打ち明けることで、少しでも肩代わりしてはくれぬものか、と、藁にもすがるように話すものなのかもしれぬ。  生前、どのような人間であったか。  笑い話。  そして、死に至った経緯。  今回の葬儀でもそういうことがあり、会場の手配から通夜膳の発注、寺への連絡の代行等を滞りなく終えて通夜を迎えた明良は、読経が終わり、僧が引き上げたあと、親族が泊まり込む部屋で綺麗な正座をしながら、その話を聞いた。  今回の葬儀の規模は、とても小さい。喪主は、いわゆるシングルマザー。親族も、喪主の弟が一人来ているのみ。近年は、ごく小規模な家族葬も多いから、不自然ではない。  喪主は、ときに笑い、ときに涙を流し、まだ中学生であった息子の死を悼んだ。  飲酒運転による交通事故は、規制や罰則、取り締まりが強化されてもいっこうに無くならない。不幸にも、今回の故人は、塾の帰り、夜の道、その飲酒運転の車によって命を落としてしまった。  その話をするときだけ、喪主は、両親を早くに亡くし、他に親しい身内もなく、弟と二人で懸命に生き、ようやく結婚をし、そして離婚をし、それでも授かった息子を愛し、息子には幸多かれと日々願う母の優しくも悲しい顔から、理不尽に対する怒りと、どうにもならない憎しみを必死で押し殺そうとする顔になった。 「それは、大層お辛いことで。お察しして余りあります」  明良は、とても清潔感のある顔立ちをしている。ごく平均的に整った容貌に、奇抜さのかけらもない髪型。背は百七十センチと少し。痩せ型。それが、喪主の悲しみを汲み、その心の震えに寄り添うかのごとく、共振する。  喪主が、母の顔から怒りと口惜しさと後悔に苛まれた修羅の顔となったとき、明良の顔も、あかり葬儀社のスタッフから、一瞬、別のものに変わった。 「そのお恨み、買います」  喪主が、明良がなんと言ったのか咄嗟に飲み込めず、聞き返すような顔を向けてきた。  そこには、とても清潔で頼れる、優しくて若いスタッフの顔が、変わらずあるだけだった。  人は、修羅となる。  悲しみのためか、怒りのためか。  憎しみを晴らしたところで、どうにもならぬ。  今回の故人の命を奪った者もまた、後悔と絶望の中にいることであろう。  それは、明良には関わりないことである。  彼の、もう一つの顔。  翌日の告別式など葬儀一切のことが終われば、喪主とはそれきりである。  誰に頼まれるでもない。  いや、頼まれることも多い。  だがそれは明良にとって、いや、ルーシーにとっては、どちらでもよいことである。  名さえ分かれば、今はインターネットで簡単に個人を特定できる。それをするを、ルーシーは持っている。  の家の前に、ルーシーはいた。  男が、寒空の中にコートを縮め、街灯の光に現れたり消えたりしながら歩いてくる。  警察の取り調べなどで、憔悴しきっているのであろう。歩幅と姿勢で、それが分かった。  その足が、止まった。  安そうなマンションの前。真っ黒のコートを着た見知らぬ男が、ただ立っていたからである。 「──何か?」  その男は、警戒を示した。 「矢本、孝さんですね」  ルーシーは、その男の名を呼んだ。その男は、ちょっと驚いたようであった。 「あんた、恨みを、買っているな」  口調が変わっても、ルーシーの声には、どのような感情もない。ただ、事実だけを述べるような、そんな調子である。  革靴の音だけが冬の住宅街に存在する、唯一の音だった。  すれ違い、そして、ルーシーは立ち去った。  冷たいアスファルトの上、その男は横たわり、暖かな血液を流していた。  人は、修羅となる。悲しみのためか、怒りのためか。  憎しみを晴らしたところで、どうにもならぬ。  だから、ルーシーは笑わず、ただ数える。  自らの見た、人の悲しみを。憎しみと罪を。  その所業は、天に代わって悪を裁くような痛快なものではない。  悪を行った者のうちの多くもまた、深い悲しみの中にいるのだ。  個人の悲しみや憎しみ。  それは、衆のそれとはならない。  しかし、個人の悲しみや憎しみは、個人にとって、全宇宙の存在そのものと等しいほどの質量を持つことがある。  そのようなとき、どこからともなく、囁くように、声がすることがある。 「恨み、買います」  ルーシーとは、そういう者である。
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