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その朝、アデライデは緑に燃えるようなラングリンドの豊かな森の中を、腕にさげたカゴに花を摘み入れながら歩き、出がけに父のミロンと交わした会話を思い出していた。父と向かい合っていつものようにささやかな朝食をしていると、父が思い出したように言い出した。
「そういえば、もうすぐ光のお祭りの時期だね。わしらもそろそろ準備をせねば」
「そうね、それじゃわたしはさっそく、今日はジャムにするキイチゴを集めてくるわ」
ラングリンドでは一年で最も光の強くなる夏の三日間、女王の宮殿のふもとの町で光の祭りが催される。親子は毎年、森に自生するベリーなどで作ったジャムや、前の年の冬から保存しておいた木の実で焼いたクッキー、ミロンの手仕事による木工品のほか、森に咲く珍しい花や薬草などを携えて祭りに参加していた。
「うむ、そうだな……」
ミロンは頷きながら、目の前に座る美しい愛娘を眺めた。遅くにできたひとり娘であるため、アデライデを愛しく思う気持ちはひとしおだったが、老齢といえる域に差しかかる年齢を迎えつつある今、娘に対する愛情は様々な心配や希望が入り混じって、ミロンの心にいろいろな思いを抱かせていた。
そんな父の視線に気づいたアデライデは、スープを口元に運ぶ手を止め、青く澄んだ瞳に微笑をたたえ、小首を傾げた。
「なぁに、お父さん?」
「うん、いや、なに……」
ミロンは日に日に輝きを増していく大切な娘をまぶしく見つめながら、近頃すっかり薄くなった頭に手をやった。
「おまえもすっかり娘らしくなったと思ってな。こんな森の中で、わしと暮らしているのはもったいない。どうだろう、そろそろおまえも結婚を考える頃じゃないかな? ひとつ今度のお祭りのときは、おまえにふさわしい町の若者をさがしてみようじゃないか」
アデライデは顔を曇らせて首を振った。
「お父さん、そんな話はやめて。わたしは誰とも結婚しないわ。ここを離れるなんて……お父さんと離れて暮らすなんて考えられないわ」
「なに、おまえがどうしてもここで暮らしたいのなら、森で仕事をしてくれる若者を見つけられるように……」
「そういうことじゃないわ」
思いのほか沈んだ声が出て、アデライデは父を心配させまいと慌てて笑顔を取り繕った。
「わたしには、まだ結婚なんて早いわ」
「しかしなぁ、町の娘さんたちを見れば、おまえの年頃で結婚することはそんなに早すぎるというわけじゃないだろうし……」
「お父さん、わたしはまだ十七年しか生きていないのよ? 結婚に必要なことを、まだ何も知らないわ」
「アデライデ、結婚するのに知っておかなければいけないことなんて、何もないんだよ。ただお互いを心から信頼してさえいればいいんだ」
ミロンは幼いこどもに教え諭すようなやさしい口調で言ったが、アデライデは黙って俯いてしまった。ミロンは娘の思い悩むような様子に胸を痛めた。早くに母を亡くし、ミロンもその後別の女性を家に向かえるようなことをしなかったために、アデライデには夫婦というものが理解できないのではないだろうかと、内心ではいつも心配していたのだ。
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