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2 フォーク先の感触
夜市たちが住むT市は、どこにでもある地方都市だ。繁華街があり、住宅街があり、だけど少し郊外に出れば里山がある。
大都市への交通の便も悪くなく、特急こそ停まらないものの、大都市に一本で行ける路線も通っている。
そんな街の中心。ささやかなロータリーがある駅前に、夜市は緊張した面持ちで向かっていた。
二十歳そこそこの青年が据わった目で駅に向かう図は、周囲から見れば初デートで緊張しているようにも見えただろう。
しかし夜市の内心は、当然そんな穏やかなものではなかった。
「人気のないところに誘い込んで……口封じするには……」
ぶつぶつと口の中でつぶやく言葉は、まがまがしい内容ばかりだ。
殺人鬼『スズメバチ』。その裏の顔を知られてしまった夜市は、どうにかして探偵を名乗る天海というあの男を処分できないかと思案に暮れていた。
今日の服は黒ずくめだ。刺殺して返り血を浴びても、傷を派手にしなければあまり目立たないだろう。体格差を思えば、そのほかの殺害法は現実的ではない。……男を殺すのは信条に反するが、この際そんなことも言っていられない。
こうなると分かっていたのなら、飄々としたあの男の個人情報を――特にどこに住んでいるのかを把握しておけばよかった。そうすれば夜にいくらでも口封じに動けたのに。
今更思っても詮無いことを考えながら、夜市は駅が見える位置までたどり着いた。
駅前にある犬の銅像。その横で目的の人物はスマホをいじっていた。
……隙だらけだ。往来でなければ始末できていたものを。
苦々しい思いをかみしめながら、夜市は彼に歩み寄った。うつむいていた視界に夜市の靴が入り、天海は顔を上げる。
「やあ。五分の遅刻だよ、夜市くん」
「……どうも」
大して責めるつもりもない声で責められ、一応謝るような言葉を発する。肌寒い風にさらわれて彼に届いたかはわからなかったが、天海はそんなことは気にせずに夜市に背を向けた。
「じゃあ行こうか。立ち話もなんだからね」
すらりと伸びた後ろ姿に、何度もナイフを突き立てる想像をする。僕には殺せる。でもこの状況では殺せない。
今までは好きな時に好きなように殺してきたのだ。それを制限されるのがこんなに厳しいものだなんて。
肩にかけたトートバックをぎゅっと握りながら、天海の後ろをついていく。やがて彼が夜市を連れてきたのは、かわいらしい看板を掲げたカフェだった。
クリーム色に塗られた木製のドアを開き、店に入る。店内には若い女性ばかりが座っており、夜市は若干の居心地の悪さを覚えながら、店の奥の席へと案内された。
かしましいざわめきの中で、夜市は縮こまる。対する天海は悠々とこの場に溶け込んでいた。
「ふふ。どうせ喋るならうちのカフェでよかったのに、と思っているのかい?」
唇を弧にしながら、天海は首をかしげる。
「あそこは顔見知りに話を聞かれてしまうからね。こういうにぎやかな場所では、わざわざ他人の話を早々聞かないものさ」
そんなものだろうか。でも確かに自分も殺人を行うときは、あえて繁華街の裏道を狙うときもある。監視カメラの有無は気になるが、それ以上に獲物を連れ込みやすいのと、意外と助けが来ないというのは実証済みだ。
だけどそれを認めるのも癪で、夜市は丸い輪郭の椅子に腰かけてうつむいた。そんな彼の目の前に、天海はメニューを差し出す。
「ここは私のおごりだよ。好きなものを頼みなさい」
受け取らずにいると、天海はテーブルの上にメニューを置いて、僕に向けて開いてきた。
「ほう、ここの店はいろいろとあるんだね。まあ、最近のカフェは大体こんなものか」
能天気なことを言いながら、天海もメニューをのぞき込んでくる。夜市はちょっとだけ目を上げ、華やかなメニューを視線でなぞった。
かわいらしいフォントで書かれたメニューと、回りくどいその解説文。それを目にした瞬間、夜市の脳裏に明るい声がちらついた。
『春風が運ぶ爽やかな……って、素直にチーズケーキって書けばいいのにね』
そう言ってはにかむ少女の顔。いつだって笑顔を向けてくれた女の子。
有留坂冬華。冬華ちゃん。真っ白な肌に赤色が似合う女の子。
「……コーヒーと、チーズケーキを」
「おや、君もスイーツが好きなんだね。僕も好きだよ。天海だけに」
自然と口にしてしまっていた注文に茶々を入れられ、カッと頬に熱が集まる。向かいに座る天海をにらみつけると、彼はいつも通りにまにまと笑っていた。
「スズメバチもハチだからね。花や果物に惹かれるのは当然か」
突然出された『スズメバチ』というその単語に、びくっと肩を震わせる。なんなんだ。試されているのか?
一方天海は、ひらっと手を挙げて、のんきに店員を呼んでいる。
「僕はミルフィーユをもらおうかな。ホットティーも頼むよ」
かしこまりました、と店員は去っていき、彼女がしっかり遠ざかったのを確認してから、夜市は天海を覗き込むように睨みつけた。
「僕に、話があるんですよね」
刺すような視線を天海に向ける。彼は何が面白いのかにんまりと笑みを深めた。
「ふふ。せっかちだね君は」
カチンと来た。これは完全に馬鹿にされている。
服の中に仕込んだナイフに手をやろうとし――寸前で踏み止まる。
駄目だ。こんなところで殺すわけにはいかない。
行き場のない手を彷徨わせていると、天海は背もたれにゆったりと体を預けた。
「いいだろう。本題に入ろうじゃないか」
その堂々とした様子にイラっとしながら、それに対抗して夜市も余裕の表情を作ろうとする。失敗した。どうしても吸う息が浅くなってしまって、緊張しているのが余計にわかってしまう。
そんな夜市の目の前に、天海は薄いファイルを置いた。
「これを見たまえ」
警戒しながらそれを持ち上げ、中身をめくる。挟まっていたのは、一枚の書類だ。
ごく普通のワープロで作られたらしいそれを取り出し、ざっと目を通す。男性の氏名、年齢、職業。死体が発見された状況と、事件発生の推定時刻。添付された写真。ゴミ捨て場の遠景。
「ミルフィーユ殺人事件……」
「その通り。これは私が独自に集めた資料だよ」
A4の書類に書いてあったのは、一般に噂されている『ミルフィーユ殺人事件』の概要だった。正確に言えば、概要しか書いていなかった。
「杉若竜、男性、21歳。フリーター。10/7の夕方、ゴミ捨て場のマネキンの下から遺体の腕が出ているところを発見。……詳しいことは何もわからないんですね」
「そうだよ。それを今から探しに行くんじゃないか」
「は?」
間抜けな声を上げて口を開けてしまう。まさかこの状態から調査を始めるのか? いくらなんでも無謀すぎるだろう。
天海はそんな夜市のことを、手のひらを上に向けてひょいっと指さした。
「夜市くん。私と一緒にこの事件に挑もうじゃないか」
困惑と不安を顔中で表す夜市に、天海は口の端を持ち上げる。
「その過程で君がどんな行動を取るか、見極めさせてもらうよ」
行動……? 自分の行動なんて知って、どうするっていうんだ。目的が分からない。
「見極めてどうするっていうんですか」
「見極めることこそが目的なのさ。『スズメバチ』くん」
余計に分からない。
「『スズメバチ』の件をバラされたくないのなら、私に従ってもらうよ」
そう言われてしまえば異を唱えることができるわけがない。夜市はせめてもの抵抗に、苦々しく顔を歪めて目を逸らせた。
「僕のような素人が捜査の真似事なんてできるわけないじゃないですか」
「ああ。現実はそう甘くはないね。天海だけに」
イラっとして口の端がひきつる。
「情報は足で稼ぐしかないだろうね」
天海は指でテーブルをとことこと歩かせてみせた。
「大丈夫。私もついていってあげるから、心細くないよ」
彼は悠々とした表情で鼻を鳴らしてくる。根拠のない自信をやめてほしい。いや、根拠がないかははっきりしないけれど。
やがてケーキとドリンクが運ばれてきた。天海はにこやかに、夜市はむすっとした表情でそれを受け取り、どちらともなく甘味を口に運び始めた。
薄い黄色をしたチーズケーキの表面にフォークを立て、その先端を沈み込ませる。
そこにあるのは柔らかく受け止める生地のはずだ。だけど、夜市は硬い表面にぐずぐずと貫いていく感触を重ねて捉えていた。
止まった血液。肌。動き。脈拍。動脈にあてがわれたアイスピックの先端。ぐっと押し込めばその切っ先は青ざめた表皮に沈み、その傷跡の端から赤色が漏れ出はじめる。
「――そうと決まれば移動しようか」
明るく突然の声に、夜市は一気に現実に引き戻される。目の前には空になった皿とカップ。そして、うさんくさく笑う天海の姿があった。
「まっ、まだ捜査とかに了承したわけじゃ」
「君に決定権があると思うのかい?」
うぐ、と言葉に詰まる。
「そういうことだよ。さあ、捜査だ。まずは現場だ。楽しい非日常にいざ!」
テンション高く宣言する天海を、夜市はぎりっとにらみつけた。
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