1 殺人鬼はカフェにいる

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 ――ミルフィーユ殺人事件。  ふざけたネーミングだが、実際にあった真剣な事件だと聞いている。でもどうしてその事件を自分に? 「夜市くん。ミルフィーユ殺人事件の概要は知っているかな?」  フォークを持った右手はそのままに、夜市は天海の一挙一動を観察する。とてもリラックスしている。殺人鬼が目の前にいると断定しているとは思えない。豪胆なのか? それとも狂人か?  それ以上言葉を発しない天海に、夜市は仕方なく口を開いた。 「……町はずれの山の、粗大ごみの不法投棄場で男性の死体が見つかった事件ですよね」 「その通り。なぜミルフィーユ殺人事件と呼ばれているかは?」  まるで家庭教師が教え子に尋ねるように丁寧に、だけどどこか馬鹿にしているかのような口調で、天海は質問してきた。夜市はまた彼の様子をうかがっていたが、天海はやはりそれ以上を言うつもりはないようだった。 「死体が」  夜市は浅く吸った息で一度言いかけ、そのあとに改めて深く息を吸って答えた。 「死体の上に、無数のマネキンが重ねられていたからでしょう。重なっているから、『ミルフィーユ』と」  その答えに、天海はなぜか、満足そうにふふんと鼻を鳴らした。子ども扱いされているようで、さらに腹立たしい。 「スイーツ大好きな僕としては看過できない不名誉な名づけでね。天海(あまみ)だけに。だから君を見極めるためにこの事件を選んだんだ」  くだらない言い回しの上に、いまいち要領を得ない答えだ。このままではのらりくらりとかわされ続け、彼のペースに飲み込まれてしまいそうだ。夜市は顔をしかめて身を乗り出した。 「見極めるというのはどういうこと――」  強い語調のその言葉を遮ったのは、カランカランと入口のドアが開く音だった。 「ただいまー、夜市くん」  間延びした声がして、五十代ぐらいの男性が入ってくる。この店の店主だ。店主は二人の間に流れていた緊張なんてまったく気づいていないようで、買い出しのビニール袋を片手にふらふら近づいてきた。 「よいしょっ。夜市くん、店番ありがとうね。変わったことはなかった?」  カウンターの奥に荷物を置きながら店主は問う。夜市は天海を見据えたまま、無意識のうちに身構えていた体をゆっくりと元に戻した。 「……いえ」  さすがに店主の前でもめ事を起こすわけにはいかない。だが、このまま帰してしまってもいいのか?  そんな夜市の逡巡を置き去りに、天海はにこりと嘘くさい笑みを浮かべた。 「詳しい話は明日にしようか。君、非番だったよね?」  なんで知ってるんだ。  思わず乱暴な言葉が口から出そうになり、すんでのところで飲み下す。それでも視線で意図は伝わったようで、天海はやれやれと肩をすくめた。 「さっき言ったはずだよ。私は君のストーカーだからね」  誇るようなことじゃない。気持ち悪い。 「じゃあね、夜市くん。明日の正午、駅前で待っているよ」  天海はひらりと片手を振ると、ケーキとコーヒーセットの代金を置いて、さっさと店から出て行ってしまった。  追いかけようにも店主が目の前にいる以上、下手なことはできない。夜市は握りしめたままだったフォークの柄にさらに力を込めた。  今は従うしか、ない。
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