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最終話『ランドマーク』1
「Have a nice trip!」
「Bon Voyage!」
海里と柊一さまとは、別々の海へ航海に出るのだ。
だから、冬郷家の正門で、旅路の別れの挨拶を交わした。
アーサーはタキシード姿、僕は燕尾服のまま、家を出た。
この先、二人で向かうのは、どこだろう?
どうしても僕を連れて行きたい場所があると聞いたのは昨夜のことだった。いずれにせよ、海里と柊一さまが……初夜を迎える屋敷に、僕たちがいるのは無粋なので、ホテルにでも泊るつもりだった。
どこでも構わない。アーサーが行く場所は、僕の行く場所だから。
「アーサー、ところで、どこへ行くの? そろそろ教えて欲しい」
「瑠衣を独り占め出来るところさ」
僕とアーサーは手を取り合って、真っ白なリムジンに乗り込んだ。まるで新婚旅行に行くみたいだ。
「瑠衣……日本を発つ前に、君に贈り物をしたいんだ」
「贈りもの? そんな物は不要だよ。僕には君がいればいいのだから」
「それは分かっているが……君が英国に骨を埋める覚悟だと聞いて、どうしても……」
僕たちが降り立った場所は、海のすぐ近くだった。
目の前には、白い木造の洋館が2軒並んで建っている。
「こっちだよ」
君は優しく僕の手を引いて、右手の家に案内してくれた。
白薔薇を彷彿させる優しいホワイト、クラシカルな雰囲気で素敵だ。
「ここは?」
「ここが瑠衣の家だ」
「あの……何を言って?」
「ここは君の実家だよ」
そんなもの存在するはずもないのに。母の素性すらよく知らない僕には、故郷などない。
「な……なんで?」
「君は日本でのことを何も語らないから……ならば俺が用意してもいいだろう」
「言っている意味が分からないよ」
アーサーの話が見えなくて、困惑してしまう。
「これから思い出を作るから、今はまだ見えないんだ。さぁ、おいで。古い洋館を買い取って、急いでリフォームしたんだ。間に合ってよかったよ」
「あの……?」
「一番に見せたい物がある」
君に手を引かれて螺旋階段を上る。こじんまりとした洋館だが、とても居心地がいい場所だ。
「こっちだ」
二人でミシミシと床鳴りする赤い絨毯を踏みしめ、重厚な扉を古めかしい音を立てながら開いた。
すると僕たちが背負ってきた光が、まるで一本の道のように書庫の中を照らした。
その光を頼りに暗闇を歩き、アーサーは一冊の洋書を手に取った。
書庫といってもウォルナット材の本棚に並ぶ本は、その1冊しかなかった。
「これは瑠衣に贈る物語だ」
アーサーが手渡してくれた本には『Landmark《ランドマーク》』とタイトルがついていた。
「あ……これ……製本したの? いつの間に」
「今日という日に、どうしても間に合わせたかった」
これは僕たちの軌跡──
おとぎ話を受け継いだ、もう一つのおとぎ話だ。
「アーサー、君って人は」
「瑠衣、君に捧げるよ。この身体は……瑠衣のために生きている」
「僕の方こそ……君のために生きている」
僕を抱きしめてくれるのは君。
優しく強く僕を掴まえてくれるのも、君。
「アーサー」
君の名を呼べば、すぐにでも会いたくなる。抱きしめて欲しくなる。
だから、もう呼ばないと誓ったのは、遠い昔だ。
今は――
声に出して呼べば、君が僕を抱きしめてくれる。
心の中で呼べば、振り向いてくれる。
「そして書庫の隣りの部屋が、俺たちの部屋だ」
「そうなの?」
また手を引かれる。
『Landmark《ランドマーク》』と書かれた本だけをもって、部屋を移動する。
扉を開ければ、明るく差し込む光の洪水。だが君は光に向かわず、僕を右手の小部屋に押し込めた。
「あ……ここは」
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