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番外編 その後の日々・英国編③
「瑠衣、今日こそは妻のエミリーに会ってくれよ」
「はい、ノアさま。その節は……不義理をお詫びします」
「本当はルイに結婚式にも来て欲しかったんだ」
「……申し訳ありません」
ノアさまが結婚されたエミリー様は、アーサーとかつて婚約しかけた、エミリー嬢とは別人なのに、同じ名前というだけで怯んでしまうなんて、僕はまだ駄目だな。
大抵のことは乗り越えてきたのに……。
あの日……君とアフタヌーンティーを楽しんでいたら、エミリーが突然現れ、僕を思いっきり侮蔑した。汚いものを見るような蔑んだ目で睨まれて心臓が止まりそうだった。
『あなた日本人? ふーん、上手に化けているけれども……』
その言葉に胸が張り裂けそうだった。僕は女性からの冷ややかな視線が極度に怖いから、ノアさまのお相手のお名前を聞いた時、恐怖に震えてしまったのだ。
そもそもノアさまの結婚式は、伯爵家同士で英国でもマスコミの話題になったほど大きなものだった。そんな場所に僕が参列して、よからぬ噂でも立ったら大変だ。あのエミリーと会ってしまう可能性もあって、避けたかった。
僕はそういうことは、全く望んでいない。
僕たちの生きる時代は、まだまだ封鎖的だ。だからあえて戦いは挑まない。
君がいて僕がいる……それだけで幸せだから。
「瑠衣、大丈夫だよ。エミリーはとても気立てのよい女性で、貴族だと鼻にもかけていない。あのエミリーとは別人だ」
「あ、アーサー、君も僕が避けてしまう理由に気付いていたの?」
「俺も若い頃は親のいいなりで……君を傷つけたからね。だから無理はしないで欲しいが、名前が同じなだけで別人だということを、いい機会だから今日会って理解して欲しい」
「ごめん、意気地なしで。ちゃんと会うよ、向き合ってみる!」
暫くして部屋に入ってきた女性が、エミリーだった。
僕の予想と反して、とても親しみのある少しふっくらした可愛らしい女性だった。
お腹はもう臨月でとても大きくなっていて、母親の顔に近づいていた。
「はじめまして! あなたが瑠衣ね。やっと会えたわ」
「えっ、何故……日本語を?」
「私、日本文化にとても興味があるの。だから『ルイ』の漢字もかけるのよ」
「えっ」
驚いたな。僕だけ逃げていたのか……なんだか恥ずかしい。
こんなにも向こうから歩み寄ってくれていたなんて、知らなかった。
「エミリーさま、はじめまして」
「まぁ堅苦しい挨拶はよして。あなたはアーサーお兄様の大切な方だと伺っています」
そこまで知って……。
「も、申し訳ありません」
「あぁ違うのよ。どうか謝らないで……えっとね、少し驚いたけれども、ノアくんもアーサーお兄様も、瑠衣のことを話す時は目尻が下がりっぱなしで……だからきっと素晴らしい方なんだと想像していたの」
「そんな……もったいないお言葉です」
すると彼女は、紙に何かを書き出した。
「あのね、もっと親しく呼んでもらいたくて考えたの。これはどうかしら?」
『笑里』
漢字でエミリと?
「えみり?」
「そうよ。是非そう呼んでくださらない?」
「あ……喜んで、素敵な漢字ですね」
「よかった! お腹の子が生まれたらあなたも可愛がってね。ノーサンプトンシャーにも遊びに行かせてね」
「はい、喜んで。お待ちしています」
ようやく……克服出来たようで、素直に言葉が出てきた。
僕と笑里さまの会話を、アーサーとノアさまが肩を組んで嬉しそうに見守ってくれていた。
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