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番外編 その後の日々・英国編⑦
「ルイ、お帰りなさい」
「おばあ様!」
ノーサンプトンシャーの屋敷に戻ると、すぐにおばあ様が出迎えて下さった。生粋の日本人の僕を孫のように可愛がって下さるおばあ様が、僕も大好きだ。僕は祖母という存在を知らないので、有り難い。
「あの……ただいま」
「そうよ。それでいいの。可愛いルイ」
優しく抱き寄せていただいて、照れ臭くも嬉しくて……頬が緩む。
「あなたがいない間、アーサーはつまらなそうで、さみしそうだったわ」
「……はい」
「やっぱり二人揃っているのが一番ね」
僕とアーサーを交互に見つめてくれる眼差しが、温情に溢れ、心地良い。
日本に行けば嫌でも思い出してしまうのが、僕の暗い過去だった。
森宮の屋敷で、大人達はいつも僕を蔑んだ目で見ていた。だから僕は自分を卑下し、自分は生きているにも値しない人間で、父からの、なけなしの恩情で生かされているだけだと思っていた。
海里が屋根裏部屋に踏み込んで助けてくれるまでは……。
「ルイ、暗い顔ね。どうしたの?」
「すみません。昔を思い出してしまいました。今が……幸せすぎるから」
「そうなのね……ルイの過去は変わらないので、日本に行けば、あなたを今後も暗い気持ちにさせるかもしれないわ。でもね、ルイはもう変わったの。今のルイを大切に思う人が沢山いるのを、そんな時は思い出して頂戴」
「ありがとうございます。あ、あの……おばあ様にお土産を買ってきました」
紅茶をおばあ様のリビングでいただきながら渡したのは、銀座で買い求めた扇子だった。光沢のある和紙を使った婦人用扇子で、紺地を舞う蛍が優雅だ。
「まぁ……とても美しいわ。これは何の模様なの? 黄色いのは何かしら?」
「Fireflyです。蛍はメスがオスを誘う時に光を放つので、日本では平安時代から蛍の光には、幸運を招くとか恋愛成就につながる力が宿っていると言われています」
説明しながら、恥ずかしくなってきた。
恋愛成就か……僕とアーサーのことみたいだ。
「瑠衣。嬉しいよ。俺たちのことをおばあ様に扇子にしたため、伝えるなんて。あぁ、なんと日本人は奥ゆかしく可愛いんだ」
いきなりおばあ様の前で頬にキスをされ、真っ赤になってしまった。
おばあ様は、そんな僕たちの様子をニコニコと見つめていた。
「まぁ! いいわね、お熱いわ」
「ううっ……すみません。ほ、蛍は日本では『蛍の光』という歌で有名で……電気がなかったり貴重で使えなかった時代に、蛍の光や雪あかりで勉強したという『蛍雪の功』を歌った曲です」
必死に話題を変える努力をした。
『蛍雪の功』か……僕も暗い屋根裏部屋で懸命に勉強をした。
「まぁどんな歌なの?」
「あの……歌っても?」
「もちろんよ」
蛍の光 窓の雪
書よむ月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞ けさは 別れゆく
(蛍の光より)
「まぁ、ルイの歌声って透き通っていて綺麗なのね。しかも、それって……『Auid Lang Syne』ね。スコットランド民謡よ」
「そうだったのですね」
「ふふふ、『これから出発!』という意味の歌で、結婚式などでもよく歌われます。ルイったら、沢山惚気てくれてありがとう」
「ええ?」
なんだか墓穴を掘ったようだ。
照れまくる僕を、アーサーが目を細めて見つめてくる。
「ところで瑠衣、俺への土産はなんだ?」
君の青い瞳がキラキラ輝き、期待に満ちている。
「う……それは、その、後で見せるよ」
「えー! なんでだよ?」
「は、恥ずかしいんだ」
そんなやりとりをしていると、おばあ様にクスクス笑われ、背中を押された。
「さぁお若い人たち、ここは暑いから涼んでいらっしゃい」
「……は、はい」
その後、部屋でアーサーに見せたのは、君が希望した花柄の浴衣。
「How beautiful! 」
「その……男性用の浴衣で全体が花柄のものは売っていなくて……その、これは女性ものなんだ」
「それは最高だ! 瑠衣~、いいから早く着てくれ‼︎」
アーサーのお土産の希望は、(僕の)浴衣だった。
以前柊一さまたちと屋形船に乗った時に着てから、君は浴衣の大ファンになった。あの時、沢山買い込んだのに……お土産の希望を聞いたら、僕の浴衣が欲しいなんて、変わっているよ。
結局……君の希望の柄、つまり全身が花柄の男性物の浴衣なんて見つからず、女性物を買ってしまったじゃないか。(この僕が!)
「わ、分かったから、ちょっと落ち着いて!」
「あ、悪い。帰国した瑠衣は、なんだか一皮むけたみたいに可愛くて参ってる‼︎」
そんなカッコイイ顔でウインクするなんて……狡い人。
「そ、そうなの? じゃあ、着てくるよ」
そしてそんな君に甘い僕が、ここにいる。
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