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番外編 その後の日々・英国編⑩
「もう! せっかくの浴衣が泥だらけだ」
「はは、ごめんな」
「これ……落ちるかな」
「大丈夫! 泥汚れを落とすのはマーサが得意だ。ロンドンの屋敷では俺の洗い物で苦労させたしな」
僕を野外で抱いたアーサーが、逞しく盛り上がった大胸筋にうっすら汗を浮かべて笑っている。僕の胸の至る所には、桜色の花びらが散っていた。しかも浴衣に飛び散っているのは、僕たち二人分の残滓という淫らな有様だ。
「いや、ここで洗っていくよ」
「じゃあ俺も手伝うよ」
嫌がると思ったのに、ニコニコ笑顔の君に拍子抜けしてしまう。
「あの、嫌では……ないの?」
使用人の仕事を貴族の君がするのは、抵抗があるだろう。
「なんで? 瑠衣と一緒に何かが出来るなんて、最高さ」
「……くすっ、もう……君には叶わないよ。じゃあそっちの端を持って」
「OK!」
庭園には散水のための蛇口があった。
そこで浴衣をゴシゴシ洗って木の枝にひっかけた。
乾くまで下着姿の僕たちは水を掛け合い、飛ばし合った。
季節は夏、どこまでも開放的な心地になっていた。
「あっ、冷たいよ!」
「ははっ、気持ちいいな」
僕たちはまるで高校生。あの頃出来なかった日々を呼び起こしているようだ。
キラキラ、キラキラ――
木漏れ日が舞う庭先で、思いっきり水遊び。
腹の底から笑ったのは、いつぶりだろう?
「ははっ、もうやめて、アーサー!」
「瑠衣、君も水も滴るいい男だな」
「あ……」
木陰で抱きしめられる。
あの最初の別れ。
涙のキスを思い出すシチュエーションだったが、怖くはない。
今の僕らには、溢れる笑顔のキスしかやってこないから。
「アーサー、好き……僕のアーサー」
「瑠衣、好きだ。俺の瑠衣」
二人の影がぴったりと……今度は木陰で重なって行く。
****
「まぁまぁ! あなたたち、どうしたらそんなに汚れられるの?」
屋敷に戻ると、アーサーのおばあ様に目を丸くされた。
「マーサ! マーサ、この二人をお風呂で洗ってきて」
「はいはい、奥様、かしこまりました」
腕まくりしたマーサーが、僕たちをバスルームへ嬉しそうに引きずっていく。
「待って待って! 僕はいいよ」
「駄目ですよ」
「アーサーだけにして」
「瑠衣の方が泥んこです。私は何があっても気にしないから大丈夫ですよ」
参ったな……敵わないよ、マーサには。
僕たちお風呂でゴシゴシ洗われて、ピカピカになった。
「さぁ、これを飲んで少し落ち着きなさい」
「おばあ様」
出されたのは、よく冷えたレモンバームのラビングカップ。
「あら……深く愛し合っている二人には、もう不要かしら?」
これはイースターの時に、ご馳走になったものだ。
中世のイギリスでは、娘に求婚者が訪れた時、緊張している二人を落ち着かせるために娘の母がこの飲み物を作ったそうだ。娘が素敵な男性と恋に落ちて結婚しますように願いがこもっているので『ラビングカップ』と言われている。
薄く切った檸檬、自家菜園で採れたレモンバームをデザートワインとスパークリングワインで割ったものだ。
飲み心地がいいので沢山飲んでしまった。
ほわっと高揚していくのは、僕の恋心。
「……もう酔ってしまいそうです」
「瑠衣、今日はもう仕事はいいわ。さぁ、酔いしれなさい。アーサーはあなたがいない寂しい夜を過ごしていたようよ」
おばあさまはウインクして、マーサと消えてしまった。
「瑠衣、おばあさまは楽しまれているな。俺たちの恋を」
「ん……そうみたいだね。お母様なら照れて卒倒してしまうところだが、おばあ様は……お茶目なので」
「何故だか、許せちゃうな!」
「そう!」
僕はとろんとした目でアーサーを見つめ、にっこりと微笑んだ。
「瑠衣……君は可愛すぎる」
****
「マーサ、私は瑠衣と孫に甘いかしら?」
「いいえ!とんでもないです。むしろ嬉しいですよ。大奥様……あの子があんなに坊ちゃまに愛されているのを見せて下さって、ありがとうございます」
「ふふっ」
世の中には……
想い合う愛があれば……乗り越えられるものが沢山あるのよ。
思いやる愛があれば、どんなに辛い現実と直面しても乗る越えられると信じているわ。
「長い年月、離れ離れで過ごした彼らに青春を巻き戻してあげたいの。私達は魔法使いにはなれないけれども、見守ることは出来るわ。温かい目でね」
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