2023年番外編『桜ひらひら、浅草見物』2

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2023年番外編『桜ひらひら、浅草見物』2

 あっという間に耳朶まで染まる身体は、アーサーによって作られたものだ。 「瑠衣、可愛いな。恥じらいを忘れない君も好きだよ。さぁ着替えよう」  アーサーに背中を押されて、呉服屋の店内に入った。 「いらっしゃいませ……えっ」  呉服屋の店主は僕の顔を見て、ぽかんとしていた。  男同士で着物など……変だ。きっとそのせいだ。  思わず顔を背けてしまった。  だが僕の隣で、アーサーは毅然としている。  そう、君はいつだって、まるで僕の騎士のよう。   「彼は桜の精のように美しいだろう? さぁそんなにじっと見つめないで、彼を引き立てる着物を見繕ってくれ」 「も、申し訳ありません。あまりにお美しいお連れの方で、見蕩れてしまいました。それでしたら萌葱色がお似合いかと。満開の桜の下、映えると思います」 「瑠衣、MOEGI色とはなんだ?」  昔、僕が冬郷家にお仕えしていた時、小さな柊一さまに『日本の伝統色』についてお教えしたことを思い出した。    萌葱色とは、青葱に由来する濃い緑色のことだ。古来から雷除けの力がある色と信じられ、眠る時に蚊を防ぐために使う「蚊帳」の色にも使われた。  当時の人々は蚊帳の中で、嵐が過ぎるのを待ったのだろう。 「アーサー、萌葱色は君を守る色だ。だから僕はこの色を着るよ」  しっかりしろ、瑠衣。  ここは日本、僕のホームだ。  アーサーを、周囲の好奇の目から守りたい。  いつも君が騎士のように僕を守ってくれるように、僕も君を――  先程までの恥じらいは消え、僕は手際よくアーサーの着物を選び、着付けを手伝った。 「あぁ、あなたは着付けの心得があるのですね」 「えぇ、以前お仕えしていたお方が、お着物をお好きだったので」 「実にお見事な手捌きです」  柊一さまのお父様は着物を好まれたので、よくお手伝いをした。歌舞伎座への送迎は日常的だった。  店を出ると、アーサーが少し膨れていた。 「どうしたの?」 「俺の知らない瑠衣に妬いた」 「くすっ、アーサーさえ良ければ、毎日君にも着物を着付けようか」 「いや、これは浴衣と違って苦しい。俺はパッと脱げるものが好きだ」 「パッと脱がすものでなくて?」 「瑠衣~ 瑠衣が、そんな軽口を叩いてくれるなんて」 「僕、余計なことを言ってしまったね」 「もっと言っておくれ。そうか、着付けが出来るのなら、先に旅館に寄るか」 「アーサー! 花見をする約束だよ」 「そうだった」  僕達はじゃれ合いながら、隅田川沿いの遊歩道を歩いた。  川沿いを彩る桜並木に、うららかな春風がそよぎ、心地良い。 「日本の桜は、どれも淡いピンク色で、英国の桜とはひと味違うな」 「英国の桜は、チェリー・プラムから始まって濃いピンクや白、赤に近いピンクなど、違う色の花が順々に咲いていくからね。木の背の高さや形も様々で、こんな風に揃って並木にはなっていないので、アーサーにとっては珍しい景色だね」 「英国人にとって桜は『Cherry Blossom』、俺にとっての桜は『瑠衣』だ」  見上げれば桜の花びらが、僕とアーサーのもとに舞い落ちてくる。  アーサのアッシュブロンドの髪に桜の花が絡まり、僕の黒髪を滑り落ちていく。 「瑠衣、君の黒髪に桜色がよく似合うよ」 「……髪飾りはしないよ」 「バレたか」 「君の考えることなら、だいたい分かるようになったからね」 「そうだ、何か桜の思い出が欲しい!」 「そうだね。あ……この先に『幸芽(こうめ)神社』という神社があって、確かそこで売っている根付けは桜がモチーフだったような」 「よし、それを求めに行こう」    桜の花が踊る世界をゆっくりと歩み出した。  僕の人生は、今はもう……とてもゆったりと流れている。  歩き出すと、君と着物の袖が触れ合った。  手を繋いでいるように、仲睦まじく軽やかに。
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