2023年番外編『桜ひらひら、浅草見物』4

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2023年番外編『桜ひらひら、浅草見物』4

 参拝の後、神社の社務所を覗くと、桜の根付が今も置かれていた。    これはあの日、旦那さまが奥さまにとお求めになられたものだ。  だから僕は、この存在を知っていた。 「瑠衣、もしかして大切な思い出があるのか」 「……うん、実は柊一さまのご両親が浅草見物をされた時に、この神社に立ち寄られて」 「そうだったのか」 「あの日は浅草の演劇を観た帰りだったよ。今日のように桜が満開で、旦那さまに桜の根付が売っている場所がないか調べるように言われて、僕がこの幸芽神社にご案内したんだよ」  懐かしい……    僕が冬郷家の執事をしていた頃の、大切な思い出だ。 「それで、お二人は今日の俺たちのように和装だったのか」 「仲睦まじいご夫婦は、僕にもお優しくて、二人で桜の根付を帯に挟んで嬉しそうにされていたよ。僕にもと言われたのに、遠慮してしまったことを後悔しているよ」 90c7443f-8f23-4e1e-8ece-524b220fbc07  根付のプレートの穴に根付紐の輪の部分を通し、根付をくぐらせて結び、すっとアーサの帯の間に差し込んであげた。 「こうやって使うんだよ」 「へぇ」 「うん、どう?」 「とても綺麗だ。瑠衣もつけよう」 「お揃いにしても?」 「当たり前だ。瑠衣が紡げなかった思い出は、俺たちが紡いでいけばいい」 「アーサー」  目を細めて青い空を見上げれば、頭上を覆う満開の桜。  舞い落ちる花びらの向こうに、着物姿の旦那さまと奥さまの笑顔が浮かんだ。 「瑠衣、あれは乗り物か」  アーサーが指さす方向には人力車があった。  あぁ、これはまさに……あの日の続きを見ているようだ。  奥さまが旦那さまにねだられて、お二人は人力車に乗って、浅草界隈を20分ほど巡られた。  僕は乗り場でじっと待つのみだったが、戻ってこられた奥さまの頬は桜色の上気していた。 「懐かしいよ。お二人も乗られたから」 「よし! 俺たちも乗ろう」 「無理だよ」 「どうして? 二人乗りだぞ」 「……男同士で乗っている人なんていない」 「瑠衣、俺たちが前例を作ればいい。何も恥じることなんてない。背筋を伸ばして! さぁ思い出を作りに行こう」  人力車の車夫にアーサーが声をかけると、快く乗せてくれた。  ならば……僕も礼には礼をもって返したい。  背筋をすっと伸ばして座れば、心もスッと整った。    あの日、旦那さまと奥さまを乗せた人力車が桜並木を駆け抜けたように、僕も駆けて行く。  僕はアーサーと共に。 「あの、今日が見頃のおすすめの場所があるので、お連れしても?」 「任せます」  どこへ連れて行ってくれるのだろうか。  歩いている人よりも、一段高い場所で道を切り分けていくのは、まるでロンドンバスのようだね。  人力車は浅草の雑踏を抜けて、少し離れた場所の神社の横で停止した。 04a8e647-b393-4d90-9452-e712efc605cb 「満開の桜と満開のミモザの饗宴が見事でしょう。洋花と和花なのに、見事に引立て合っていると思いませんか」 「あぁ、これは素晴らしいな」 53b1767e-6322-479f-9216-a4dd9d6f3710    僕たちは人力車をおりて、お参りをした。 「ミモザの花色は、明るい君のようだ」 「ほんのりと色づく桜色は、瑠衣の色だ」 f2dee1f0-42c8-4b6b-b5b4-8c313ab32056  神社の境内は、沢山の観光客で賑わっていた。  ここでは満開の花たちが主役で、誰も僕らを見ていない。  だから僕たちはそっと手を繋いだ。  僕の君……  ミモザの花のように弾む僕の心。  桜の花びらのように色づく僕の心。  僕の生まれた国で、君を堂々と見つめられる喜び。  すべての幸せは君から生まれる。  大袈裟かもしれないが、君がいるから僕は生きていけるんだよ。  いつだって君は、僕のランドマーク。  春風に乗せて、愛の言葉を届けよう。  アーサー、君を愛している。  桜の根付が風に揺れている。  幸せを振りまいて……  溢れ落ちた幸せの種は、大地に根づき、幸せの芽となる。  やがて生き生きと元気な芽は、スクスクと成長していく。   きっといつか、あの坊やの元にも、僕らの幸せは届くだろう。                                了  
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