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冬郷家の夜桜 2
僕は着物をさっと脱ぎ捨て、いつもの白いシャツとスラックスに着替えた。
「瑠衣、あっさり脱いでしまうんだな」
アーサーが名残惜しそうに呟いた。
「また今度着るよ。今日はどうしても柊一さんに着せてあげたくて……」
「あぁ、期待しているよ。俺も手際よく脱ぎたい所だが、なかなか難しいな」
「アーサー、帯が絡み付いているじゃないか。あぁもうっ、僕が脱がしてあげるよ」
「優しいんだな」
アーサーの着物を脱がすと、強靭な身体が現れてドキッとした。
「見惚れているのか」
「う……いいから、早く服を着て……あ、でも、やっぱり待って」
儀式のように、僕は君の身体に残る傷痕にそっと触れた。
「もう痛まない?」
「ちっとも」
「どこにも転移しなくて良かった」
「もう大丈夫だ。俺は長生きするよ」
「うん、ずっと傍にいて欲しい。寂しいのは、もう嫌だ」
故郷に戻ってきたせいか、冬郷家にいる安心感からか、いつになく甘えたことを言ってしまう。
「嬉しいよ。甘えてもらえて」
淡い口づけを交わす。
先程まで、視界を埋め尽くす程の桜に包まれていたせいか、吐息まで淡く色づくような接吻だった。
****
「柊一さん、よくお似合いですよ」
「瑠衣、着物って体格差を隠してくれていいね。僕の方が瑠衣より5cm以上背が低いのに」
「誂えたかのようにぴったりですよ」
「ありがとう。実はさっき瑠衣を玄関先で見て、萌葱色の着物がとても素敵で憧れてしまったんだ」
「柊一さんはお小さい頃から、お着物がお好きでしたよね」
「そうだったかな?」
「えぇ、お父様のお着物に憧れておられました」
「そうだね。いつかお父様と着物で観劇をしたいと思っていたよ。でも今は少し違って……海里さんとお出かけしてみたい。今日の瑠衣のように」
柊一さんの夢。
冬郷家を担う長子として厳しく育てられたご当主の夢は、いつもささやかだ。
「では、まずは夜桜見物をしましょう。海里と先に行かれて下さい。僕はアーサーと食事を用意してから行きますいきます」
「ありがとう!」
「どうしたしまして。すぐに海里も仕上げますからね」
隣の部屋を覗くと、まだ上半身裸のアーサーと海里がじゃれ合っていた。
「おい、アーサー よせって! ミイラみたいにグルグル巻きにするな」
「帯の締め心地を確かめさせてくれ」
「バカ!」
アーサーにとって着物は、まだ異国の不思議な物体のようだ。
特に帯に夢中なのは何故かな?
「二人とも、いい加減にしないと」
「お! 瑠衣が睨んでいるぞ」
「瑠衣、ごめんな」
海里は余裕の笑みで、アーサーはしゅんと項垂れた。
対照的な二人だね。
「アーサー、帯は遊ぶものではないよ」
「悪かった」
「もうしない?」
「しない! って、あれ? 俺だけ子供扱い?」
「ふふっ」
君って従順な大型犬みたい。
つい心の中で呟いてしまった。
「海里~ ちょっと聞くが、俺は凜々しい獅子のようだよな?」
「いやいや相変わらず従順な猫ちゃんだ」
「それはナイ‼」
賑やかで楽しいね。
いつの間にか氷の世界は、春の世界になっていた。
冬郷家は、今は僕の実家。
心の故郷になっていた。
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