2976人が本棚に入れています
本棚に追加
冬郷家の夜桜 4
「海里のあんな顔、初めて見たぞ」
「僕も……」
アーサーと顔を見合わせて、笑ってしまった。
「百戦錬磨の海里も、柊一くんの初々しい色気にはメロメロだな」
「海里は、柊一さまと出会ってから一途な男になったんだよ」
そう告げると、いきなりアーサーに唇を奪われた。
僕が焦って目を見開いても、テツと桂人は別段驚きやしない。
英国人であるアーサーの行動は、いちいち派手だ。
外国では気軽に人前で唇を合わせるのが日常でも、僕は相変わらず慣れなくて、その度にカッと身体が火照ってしまうよ。
「あ、アーサー!」
「瑠衣、いつまで直立不動でいるつもりだ? 俺たちも夜桜見物に行こう!」
「うん」
そうだ、僕はもう待たなくていい。
一緒に歩き出していいんだ。
僕も美しい桜を自分の心一杯、愛でよう!
そう思うと、自然と頬が緩む。
僕とアーサーも中庭に出てみた。
月明かりに照らされる庭は、一面の緑の世界だった。
薔薇の季節はまだ先だが、至るところに春の花が咲いている。
テツが丹精込めて手入れをしてくれているので、ここはまるで春のガーデン。
そこにひらひらと舞い落ちるのは桜の花びら。
夜風にのって、とても綺麗だ。
幻想的な光景を目を細めて見つめていると、アーサーが僕の顔を覗き込んだ。
「よしよし、可愛い顔になったな。さっきから執事の顔が見え隠れしていたぞ。俺がいるのに」
「ごめん、そんなつもりじゃ……ただ柊一さんの嬉しそうなお顔と、海里の照れ臭そうな顔を見たくて」
「瑠衣、もっと心を解してくれ。俺も見てくれ」
アーサーの手が僕の襟元のボタンに伸びてくる。
「今は、一番上までボタンは留めるな。君の美しい鎖骨が見たい」
「あっ……」
アーサーが慣れた手付きでシャツのボタンを上から一つ、二つと外していく。
「待って、それ以上は駄目だ」
出国前に抱かれた時に丁寧につけてもらった印が見えてしまうよ。
「大丈夫だ。これは桜の花びらに紛れるから」
「そんな」
僕の胸元を、アーサーの手が辿っていく。
(イラスト、おもち様)
君の温もりを感じると、心も色づいていくよ。
「アーサー」
「瑠衣」
僕らは名前を呼び合い、歩み寄り、ギュッと抱き合った。
「瑠衣、日本は楽しいか」
「うん、とても……ありがとう」
桜も僕らを祝福してくれる。
「君の髪に花びらがついているよ、くすっ、可愛いね」
「瑠衣のシャツの中にも、潜り込んだぞ」
「え……あっ、本当だ」
風を孕んだ白いシャツ。
大きく開かれた胸元に、ひらひらとい落ちる花びら。
「取らなくていいのか」
「いや、アーサーにあとで探してもらえばいい」
「瑠衣、それはかなり色っぽい誘いだな」
「……君といると変になる」
「それでいい。さぁ桜を観ながら酒を飲もう。テツお手製の酒は美味そうだ」
「桜色で綺麗だね。でもこれは酔いそうだ」
「酔えばいい。そのためにここにいるのだから」
アーサーの言葉は魔法だ。
おとぎ話の中で、主人公を解き放つ魔法のようだ。
中庭の桜の樹の下で杯を交わすと、和装の海里と柊一さんがしずしずと現れた。
洋装の僕たちと和装の二人。
まるで昼間見た、ミモザと桜の樹のようだ。
四人のグラスが音を奏でる。
桜は毎年花を咲かせ、人の心を喜ばせる。
僕もそうでありたい。
日本を離れ遠い異国で暮らすが、こうやって花が咲く頃には帰国したい。
僕のこと、忘れずにいて欲しい。
「瑠衣、僕はいつも瑠衣のことを思っているよ。だからこうやってたまに帰国してくれると、とても嬉しい」
柊一さまの素直な言葉。
「瑠衣は大切な弟だ。だから定期的に顔を見せてくれよ」
兄としての海里の言葉も、とても嬉しい。
「うん……花が咲く頃には顔を見せたいと思っているよ」
「嬉しいよ、瑠衣、瑠衣の顔をちゃんと見せて」
「はい」
柊一さんと僕は、向かい合って微笑んだ。
「瑠衣の頬、桜色に染まって綺麗だよ」
「そうですか。普段はもっと強いお酒を飲んでも顔には出ないのに変ですね、そういう柊一さんはもう真っ赤ですね」
「僕は、もうポカポカで眠いよ」
「ははっ、相変わらずテツの酒は効き目抜群だな」
「海里、柊一くんが眠そうだぞ」
海里が笑えば、アーサーも笑う。
「そろそろ、夜桜を部屋に持ち帰るか」
「あぁ、あとはそれぞれに……」
恋人と友人と過ごす春の宵は、和やかに更けていく。
![dfb5458c-dd18-47e9-b868-9f4907c7d580](https://img.estar.jp/public/user_upload/dfb5458c-dd18-47e9-b868-9f4907c7d580.jpg?width=800&format=jpg)
最初のコメントを投稿しよう!