冬郷家の夜桜 4

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冬郷家の夜桜 4

「海里のあんな顔、初めて見たぞ」 「僕も……」  アーサーと顔を見合わせて、笑ってしまった。 「百戦錬磨の海里も、柊一くんの初々しい色気にはメロメロだな」 「海里は、柊一さまと出会ってから一途な男になったんだよ」  そう告げると、いきなりアーサーに唇を奪われた。    僕が焦って目を見開いても、テツと桂人は別段驚きやしない。  英国人であるアーサーの行動は、いちいち派手だ。  外国では気軽に人前で唇を合わせるのが日常でも、僕は相変わらず慣れなくて、その度にカッと身体が火照ってしまうよ。 「あ、アーサー!」 「瑠衣、いつまで直立不動でいるつもりだ? 俺たちも夜桜見物に行こう!」 「うん」  そうだ、僕はもう待たなくていい。  一緒に歩き出していいんだ。  僕も美しい桜を自分の心一杯、愛でよう!  そう思うと、自然と頬が緩む。  僕とアーサーも中庭に出てみた。  月明かりに照らされる庭は、一面の緑の世界だった。    薔薇の季節はまだ先だが、至るところに春の花が咲いている。    テツが丹精込めて手入れをしてくれているので、ここはまるで春のガーデン。  そこにひらひらと舞い落ちるのは桜の花びら。  夜風にのって、とても綺麗だ。  幻想的な光景を目を細めて見つめていると、アーサーが僕の顔を覗き込んだ。 「よしよし、可愛い顔になったな。さっきから執事の顔が見え隠れしていたぞ。俺がいるのに」 「ごめん、そんなつもりじゃ……ただ柊一さんの嬉しそうなお顔と、海里の照れ臭そうな顔を見たくて」 「瑠衣、もっと心を解してくれ。俺も見てくれ」    アーサーの手が僕の襟元のボタンに伸びてくる。 「今は、一番上までボタンは留めるな。君の美しい鎖骨が見たい」 「あっ……」    アーサーが慣れた手付きでシャツのボタンを上から一つ、二つと外していく。 「待って、それ以上は駄目だ」  出国前に抱かれた時に丁寧につけてもらった印が見えてしまうよ。 「大丈夫だ。これは桜の花びらに紛れるから」 「そんな」    僕の胸元を、アーサーの手が辿っていく。   dfb5458c-dd18-47e9-b868-9f4907c7d580(イラスト、おもち様)  君の温もりを感じると、心も色づいていくよ。 「アーサー」 「瑠衣」  僕らは名前を呼び合い、歩み寄り、ギュッと抱き合った。 「瑠衣、日本は楽しいか」 「うん、とても……ありがとう」  桜も僕らを祝福してくれる。 「君の髪に花びらがついているよ、くすっ、可愛いね」 「瑠衣のシャツの中にも、潜り込んだぞ」 「え……あっ、本当だ」  風を孕んだ白いシャツ。  大きく開かれた胸元に、ひらひらとい落ちる花びら。 「取らなくていいのか」 「いや、アーサーにあとで探してもらえばいい」 「瑠衣、それはかなり色っぽい誘いだな」 「……君といると変になる」 「それでいい。さぁ桜を観ながら酒を飲もう。テツお手製の酒は美味そうだ」 「桜色で綺麗だね。でもこれは酔いそうだ」 「酔えばいい。そのためにここにいるのだから」  アーサーの言葉は魔法だ。  おとぎ話の中で、主人公を解き放つ魔法のようだ。  中庭の桜の樹の下で杯を交わすと、和装の海里と柊一さんがしずしずと現れた。  洋装の僕たちと和装の二人。  まるで昼間見た、ミモザと桜の樹のようだ。  四人のグラスが音を奏でる。  桜は毎年花を咲かせ、人の心を喜ばせる。  僕もそうでありたい。  日本を離れ遠い異国で暮らすが、こうやって花が咲く頃には帰国したい。  僕のこと、忘れずにいて欲しい。 「瑠衣、僕はいつも瑠衣のことを思っているよ。だからこうやってたまに帰国してくれると、とても嬉しい」  柊一さまの素直な言葉。 「瑠衣は大切な弟だ。だから定期的に顔を見せてくれよ」  兄としての海里の言葉も、とても嬉しい。 「うん……花が咲く頃には顔を見せたいと思っているよ」 「嬉しいよ、瑠衣、瑠衣の顔をちゃんと見せて」 「はい」  柊一さんと僕は、向かい合って微笑んだ。 「瑠衣の頬、桜色に染まって綺麗だよ」 「そうですか。普段はもっと強いお酒を飲んでも顔には出ないのに変ですね、そういう柊一さんはもう真っ赤ですね」 「僕は、もうポカポカで眠いよ」 「ははっ、相変わらずテツの酒は効き目抜群だな」 「海里、柊一くんが眠そうだぞ」  海里が笑えば、アーサーも笑う。 「そろそろ、夜桜を部屋に持ち帰るか」 「あぁ、あとはそれぞれに……」  恋人と友人と過ごす春の宵は、和やかに更けていく。      
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