冬郷家の春 1

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冬郷家の春 1

「テツさん、まだ起きないのか」 「もう起きたのか。またお前に先を越されたな」 「ははっ、おれの方がずっと若いからな」 「言ったな。なぁ、もう一度するか」 「いや、もう時間だ」  昨夜、桜の樹の下でテツさんに抱かれた。  声を殺して月を見上げて喘いでしまった。  まるで……テツさんと二人で自然に還るような逢瀬だった。  鎮守の森の神木のようなテツさん。  俺の中に注がれたものは、俺の樹液となる。  俺を生かしてくれてありがとう。 「テツさん、昨日は良かったよ」 「ふっ、桂人を満足させられたようだな」 「おれ、朝食の準備をしてくるよ。瑠衣さんとアーサーさんがいらしているから、支度に時間がかかりそうだ」  料理の味もなんとか整ってきたが、まだまだ時間がかかるのさ。 「俺も手伝おう。今日のメニューは?」 「クロックムッシュさ」 「なんだ? それ?」 「パンにハムとエメンタールチーズやグリュイエールチーズを合わせて軽く焼いて、ベシャメルソースを塗り温かいうちに食べるものだ。クロックムッシュはフランス語で、クロックはカリカリかじるという意味だよ。食べるとカリカリという音がするのでクロックムッシュとついたそうだ、美味そうだろ?」 「驚いたな。 桂人、いつの間にフランス語の知識まで?」 「この家の書庫はおもしろいよ。学ぶには最適だ!」 「流石だ」  ところが朝食の準備が整ったのに、誰もダイニングにやってこない。 「どうなってんだ? おれ、ちょっと見てくるよ」 「桂人、待て」 「大丈夫だ。野暮なことはしない」  俺は革靴を脱いで芝生に放り投げて、屋敷に沿って立つ巨木を見上げた。  昨日、テツさんと登った木だ。 「ノックよりマシだろ。執事として、住人の安否を確認するまでさ」  するすると木登りをしていくと、昔を思い出した。  雪也さんに頼まれて、以前、こんな風に登ったな。  まずは海里さんの部屋。  だいたい察しはつくが、まぁ一応ね。  海里さんと柊一さんの寝室を覗くと、窓は開いていた。  窓辺のベッドで柊一さんがまどろんでいる。  柊一さんの剥き出しの肩が冷えないように、海里さんが布団をかけ直すところだった。  また海里さんは素っ裸だ。  もう見慣れない光景なので、俺はニッと笑って手を振った。 「お食事はお部屋が良さそうですね」 「頼む、あと今日は着物で出掛けるから、整えてくれるか」 「御意!」  続けて瑠衣さんの部屋を覗いた。  こちらはカーテンは閉まっているが、中から明るい声がする。  へぇ、これ瑠衣さんの声か。  瑠衣さんの甘えた声は珍しい。 「そうしてみようかな。君が連れて行ってくれないか」 「瑠衣~ 甘えてくれてありがとう。さぁ風呂に行こう!」 「ふふっ、体力が有り余っていそうだね」 「そりゃそうさ! 昨夜、君を抱かずに眠ってしまったのだから」 「一糸乱れぬ君も良かったよ」 「俺はいつも品行方正さ」  なるほど。  これは当分降りてこないな。  廊下にでもワゴンを置いておくとするか。  季節は春。  心も春。  冬郷家の屋敷の至る所に、花が咲いている。    
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