冬郷家の春 6

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冬郷家の春 6

 海里と柊一さんは10時過ぎになって、ようやく居間に現れた。 「瑠衣、遅くなってごめんなさい」 「よろしいのですよ。今日は休日ですから」 「あ、そうだったのか」  柊一さまの漆黒の髪はまだ少し湿っており、頬は上品なローズピンク色に上気していた。  海里に抱かれた直後を匂わせる姿に、少しだけ戸惑いを覚えてしまった。  初めて出会った時、柊一さんはまだ幼く10歳だった。年の離れた雪也さまが小さかったこともあり、家族の中でぽつんと浮いているようだった。  旦那さまから執事の職務だけでなくお子様のお世話も任されていたので、柊一さまが少年から青年に成長されていく様子をずっと傍で見てきた。  そのせいかな? こんな風に胸が切なくなるのは。 「……瑠衣には、何も隠さないよ」  着付けのために服を脱がすと、至る所にまるで桜の花びらのような淡い色の花が散らされていた。  これは愛情深く愛された証だ。  僕にも同じ痕があるから分かる。  海里に日頃から優しく抱かれているのが伝わり、柊一さんの心と身体が充分に満たされていることを知れて、じわりと涙が浮かんできた。 「瑠衣、どうして泣くの?」 「これは……年のせいです。柊一さんがお幸せそうで嬉しいのですよ」 「そうだね。こんなに穏やかな日が来るなんて……夢のようだよ。瑠衣……僕は冬郷家の当主としての仕事が前ほどは重たくないんだよ。四方八方を手厚く支えてもらっているお陰かな? 海里さん、テツさん、桂人さん、皆頼もしくて……今の冬郷家は本当に穏やかな春の日差しのが降り注いでいるよ。お父さまやお母様がいらした頃のように平穏無事な日々だよ」  坦々と語る横顔は、凜とされていた。  ここにも、新しい風が吹いている。  先祖代々が築いてきたものを踏襲するだけでなく、柊一さまらしく柔軟に受け止めて新しい風を取り入れながら、引き継がれている。 「さぁ、柊一さんは着付け完了です」 「ありがとう」 「よくお似合いですよ。次は海里の番だよ」 「うーむ、瑠衣……屋敷の中は良かったが、外に着ていくのは緊張するな」  珍しい弱音だった。  そう言えば、森宮家では雄一郎さんや旦那さまは和装を好まれたが、海里は嫌がっていた。  そんな君が、柊一さんと並ぶために着ようとしているのだね。 「昨日アーサーと散々歩いて前例を作ったから大丈夫だよ。それにこの着物はアーサーに合わせて選んでもらったから、きっと海里の洋風な顔立ちにも似合うよ」 「そうか、瑠衣のお墨付きなら安心できるな」 「柊一さん、海里、いってらっしゃい。良い思い出を作って来て下さい」  海里も本当に成長した。  愛する人と足並みを揃えて、自分の人生を謳歌するようになった。  僕も君も良き伴侶と巡り会い、そこから縁も幸も広がったね。 (兄さん……)    なかなか面と向かって……素直にそう呼べないけれども、幸せそうで良かった。  柊一さんと仲良く並んで歩き出す姿が見えなくなるまで、心をこめて見送った。  
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