冬郷家の春 7

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冬郷家の春 7

 桂人の運転で、浅草まで送ってもらった。  隅田川の水面が、春の麗らかな日差しを浴びてキラキラと輝いている。  両岸には桜が咲き誇り、風が吹く度に花びらが不思議な速度で舞い降りてくる。 「わぁ! 海里さん、まるでおとぎ話の世界のようですよ」 「あぁ」  柊一の期待に満ちた顔が愛らしくて、思わずこめかみにチュッとキスをしてしまった。 「あ……」 「可愛い顔だから、つい」 「あ、ありがとうございます」  砂糖菓子のように甘い柊一の笑顔。  今は冬郷家の当主の顔ではなく、俺の恋人の顔をしている。 「海里さん、この辺りでいいですか」 「あぁ、ここが瑠衣の言っていた神社か」 「えぇ、あそこに幸芽神社と書いてあります」 「ここで降りるよ。桂人とテツにも土産を買ってくる」 「それなら、あの……これを」  桂人が俺に、サッと封筒を渡す。 「ん? あの……春子にも何か買ってきてもらえますか」  ぶっきらぼうだが、桂人が兄の顔を浮かべている。 「分かった」  すると柊一がその封筒を押し返す。 「あの、僕が雪也と春子ちゃんにお揃いの桜のお守りを買おうと思っていたので、だから……それは不要ですよ」  おっと、こちらも兄の顔だ。  そういう俺も兄の顔を持っている。 「はは、ここに集う人は、皆、兄の立ち位置だったな」 「あ、確かに、そうですね」 「では、お互いの弟や妹の分は、そろぞれの兄が担おう」 「そうですね。それが筋が通っているようですね」 「では、そういうことで‼ いってらっしゃいませ」  こんな時、桂人の笑みは、艶めいている。    テツに愛され、テツを愛しているからなのか。  凜々しくも色気があるいい男になってきた。 「柊一、足下に気をつけて」 「はい」  幸芽神社は隅田川の橋の袂にある神社だ。  縁起を見ると、なんと平安時代に遡るそうだ。 「随分と歴史がある神社なんだな」 「本尊である観音像が西暦600年代に隅田川で漁をしていた漁師により引き上げられ、時の郷士により祀られたことに起原しています。浅草には歴史のある神社仏閣が多いと聞きました」 「柊一は博学だな」 「いえ、その……予習を」 「流石だ」  律儀で真面目、柊一らしい一面に心が和む。  自分にないものを持っている柊一から受ける刺激は、いつも心地良い。  心をこめて、柊一と歩む人生の安寧と家族の幸せ、雪也くんの留学がつつがなく終わるように祈った。  隣を見ると、柊一が長い睫毛を伏せて、真剣な顔でお参りをしていた。  その後、社務所で桜のお守りをそれぞれ購入した。 「雪也と春子ちゃん、ペアになりますね」 「俺と柊一もだよ」 「はい、みんな、それぞれに贈り合うのって素敵ですね」 「そんな相手がいることに感謝だな」 「本当にそう思います」  頭上から、満開の桜の花びらがひらひらと舞い落ちてくる。  極楽浄土のような光景だ。  君となら、この世でもあの世でも俺は幸せで満ちているだろう。 「少し川岸を歩くか」 「はい。桜の樹の下を歩きたいです」  着物姿でそぞろ歩き。  道行く人は桜に気を取られているので、不躾な視線に遭遇することもなく、穏やかな気分になった。 「海里さん、あそこをご覧下さい。桜色に……」 「あぁ……あれは花筏というんだよ」 「はないかだ?」 「そうだ。桜の花びらが川面を薄いピンクに染め上げる風景は、花筏(はないかだ)」と呼ばれているんだよ」 「まるで極楽浄土に続く道のようですね」 「俺も同じことを考えていたよ。柊一とはどこまでも一緒だ」 「はい、この世でもあの世でも、僕は海里さんのお側に」  散る桜。  美しい春によせて、少しだけ切なくなるのは、人の常。 「でもそれはまだまだ先のことですよ。僕はこの世を海里さんと謳歌したいです」 「喜んで!」  二人の笑顔が揃う瞬間が好きだ!
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