2994人が本棚に入れています
本棚に追加
紐解いて 4
僕は大きな手に繋がれて、再びお屋敷に戻って来た。
だがその手は門の前で、すっぱりと離されてしまった。
急に手元が空っぽになったので、不安になった。
「あの……?」
「瑠衣……お前を育ててはやる。だが、私はお前の顔をあまり見たくない。だから、なるべく目につかない所にいろ。そして生涯、使用人として生きていけ!」
「……はい」
幼い僕には、それがどんなに惨いことか、まだ理解できなかった。
とにかく、かあさんがいなくても、住む場所と食べ物を与えてもらえる。
幼心に理解できたのは、せいぜいそこまでだった。
だから安易に頷いて、了承してしまったのだ。
それが僕の生涯を左右する、大きな決断とは露知らず。
屋根裏部屋に戻ると、かあさんの私物は全て処分されていた。
「なんで……どうして!」
慌てて女中頭に詰め寄ると、旦那さまからの命令だと言われた。
「瑠衣、お前はねぇ……お情けでここに置いてもらえるんだよ。だから手を煩わせないで。私達はあんたの親でも親戚でもない、赤の他人だから頼るんじゃないよ、みんなそれぞれの生活があるのだから」
「はい……分かりました」
そもそも、かあさんが生きている時から、皆に仲良くしてもらった事などなかった。
「お前はまだ小さいが、明日から、かあさんの代わりに働いてもらうよ」
「……はい」
翌日から、僕はお屋敷の下働きとして働くことになった。
表に出ることのない、裏方の仕事はきつかった。
汚い物や汚れた物にまみれて過ごした。
かあさんがしていた仕事を引き継いで……初めて理解できた。
女中の中でも一番大変な仕事をさせられていたと。
僕は煤だらけの手で、汗をぬぐった。
『瑠衣は色白で透明感のある肌をしているわね。あぁ……故郷の新雪を思い出すわ。誰も足を踏み入れていない清らかな道のようよ』
そう言って、うっとりと僕の頬を撫でてくれたかあさんは、もうこの世にいない。そして、かあさんがいつも褒めてくれた白くて綺麗な肌は、今は黒ずんでいた。
お風呂……そろそろ入りたいな。
本当に必要最低限の食事を与えてもらうだけの、日々だった。
僕……この先、どうなってしまうのかな。
大人になれるのかな、ちゃんと。
日の当たらない屋根裏部屋で、埃と屑にまみれていく日々。
そんな日常を一体、どの位……過ごしただろう。
ある日突然……屋根裏部屋をノックする音がした。
恐る恐る扉を開くと、僕と同じ年代の男の子が立っていた。
整った容姿、華やかな笑顔に驚いた。
「やぁ、君が瑠衣?」
「え……なんで僕の名を」
「さぁこっちにおいでよ。君と話してみたかった」
その男の子は、僕を屋根裏部屋から連れ出してくれた。
汚い僕の手を取って……
すぐに彼の執事に命令して、僕をお風呂にいれてくれ、新しい洋服をくれて……そして翌日から学校に連れて行ってくれた。
その男の子は、僕の異母兄弟、海里だった。
僕と同い年の、恵まれた環境と容姿を兼ね備えた海里は、見かけの派手さとは裏腹に、とても優しい少年だった。
****
「瑠衣……昔を思い出していたのか」
気が付くと、海里が僕の横に座って、優しく肩を抱いてくれた。
躰の中の血が半分繋がっているせいか、海里に触れられると、とても安心出来る。雄一郎さんとも同じはずなのに……どうしてこうも違うのか。
もしかして……海里の中の異国の血が、僕を魅了しているのか。
「あぁ君が迎えに来てくれた日の事をね」
「もう、思い出さなくてもいいのに……」
「あの時に比べたら、今の僕はずっと幸せだよ」
雄一郎さんのデッサンモデルをする位……我慢できる。
我慢しないと……
「どうしても話せないのか」
「いや……本当に話すようなことじゃないんだ。雄一郎さんのお手伝いをしているだけだから」
「……兄貴は……お前に酷いことをしてないか」
「大丈夫だよ」
雄一郎さんと海里の関係を壊したくない。
雄一郎さんの母親は元華族出身という尊い身分だったのに、早くにお亡くなりになった。その後旦那様が英国視察旅行中に知り合い、後妻にやって来たのが海里の母親だった。
海里の母親は英国貴族の血を受け継いだ令嬢だった。混血ではあるが身分的にも問題なかった。
財力のあるお屋敷に生まれた、恵まれた兄弟。
二人は何かと勢力争いの火種になっていた。
僕のように最初から爪弾きにされたものにはない、複雑な悩みを抱えているのを知っている。
「瑠衣、お前はやせ我慢の天才だな」
「ふっ……そんなことない。海里に心配かけて悪かった」
「なぁ我慢し過ぎるな。いつでも俺を頼れ」
「……ありがとう」
最初のコメントを投稿しよう!