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偶然の遭遇
駅に着いてすぐには電車に乗らず、れんげはフラフラと駅ビル内を歩き本屋へ向かう。
だからと言って、今さら参考書を買うつもりでもない。
本屋の匂いというかインクの匂いというか、そういったものが心を落ち着けてくれると知っていたからだ。
特に、幼い子供が読むような絵本を見るのは、好きだった。
月が笑っていたり、狼が優しかったり。
絵本をめくっていると難しいことを考えなくて済むし、可愛らしい絵にも癒される。
下校から少し時間が経っているせいか、同じ制服の高校生はほとんど見当たらない。
明後日から始まるテストを前に、皆早々と帰路についたのだろう。
本屋のゲートをくぐったれんげは、絵本コーナーへ向けていた足をふと止めた。
(あれって、東條君?)
通路から見えるのは、れんげと同じ学校の制服をきっちり着こなす黒髪の男子生徒の姿で、全体にきりっとした雰囲気が要のそれと似ている。
吸い寄せられるように近づくと、やはり要に間違いない。
東條君、と抑えた声で呼んだ。
「っ! あ、いや、これは、は、早川さん!」
なぜか慌てふためく要を訝しんで見上げるが、5秒ほどでいつもの要に戻った。
「驚いたな、こんな所で会えるなんて、運命を感じるよ」
要の大げさな言葉はスルーして、先ほどまで見ていたらしい本の表紙を覗き込む。
「えっと、お菓子の本?」
要が見入っていたのはお菓子作りの本だ。
たっぷりのシロップがかけられた美味しそうなふわふわのホットケーキが、表紙を飾っている。
意外に思えるが、パティシエなんかも男性が多いのだし、れんげとしては男の子が見ていることにそれほど違和感はない。
ただ、要が、となるとあまり似合わないな、という感想を持つけれど。
「これは息抜きに眺めていた程度だ。決していつも見ている訳ではない」
要が言い訳をすることで「いつも見ているのかな」と思ったが、この真面目な顔で真剣にお菓子の本を眺めているところを想像すると、急に要が可愛らしく思えて吹き出してしまった。
「ふっ、ふふっ」
「君に笑われるような事を、僕はしただろうか」
キリッとした表情を崩さない要に、れんげは首を振る。
「ううん、そんなことないよ。ただちょっと、東條君にも可愛いところがあるんだなって」
「さっきも言ったが、これは息抜きだ」
「そうなんだね。私も息抜きしようかな。じゃあ、また」
軽く手を振り去って行くれんげの後ろ姿を、要は恨めしげに見送る。
この本屋に立ち寄った事を、要はとても後悔していた。
始めこそ参考書を眺めて過ごしていたが、下校時刻から時間が経過していたため油断してしまった。
れんげに自分を知ってもらおうと思ってはいたが、まさかこんな格好悪いところを見られてしまうとは。
眼鏡のフレームを押し上げて、要はそそくさと店を後にした。
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