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彼の部屋で
湊が咳をしていた翌日、授業が終わるとすぐ、れんげは教室を飛び出した。
駅とは反対方向へ、衝動のままに駆け出す。
正門から真っ直ぐ西へ向かい、500メートルほど行ったところで交差点を右へ曲がる。クリニックの前を左へ曲がれば湊の住むマンションが見えた。
やや緊張しながらチャイムを押して数十秒待つと、スウェットにTシャツ姿の湊がドアを開けて目を丸くした。
「何してんの」
「えっと、休みだったから心配で。具合どう?」
心配そうに訪ねてくるれんげを目にした湊は、わざとらしく咳き込んだ。
「ゴホゴホゴホッ」
「大丈夫? 薬は? 熱とか」
焦るれんげを見て、今度は急に笑い出す。
「フッ、ハハッ」
「何? どうしたの?」
きょとんと小首を傾げるれんげに、湊が珍しく優しい笑みを零している。
「別に。必死に走ってきて髪ボサボサの女が、なぜか可愛く見えるやばい病気らしいな」
「っ!」
(可愛く、って言った? え、なに? 冗談だよね?)
れんげが慌てて押さえた髪を、湊の大きな手が優しく整えてくれる。
嬉しいけれど、こんな時どうしたらいいのか、恋愛経験のないれんげにはわからず俯いた。
走ったせいで顔も火照って、体も熱い。
「入れば、誰もいないし」
「でも」
誰もいない、という事に二人きりなのだと意識させられてしまう。
すでに熱いと感じているのに、余計に体温が上がったようだ。
「風邪なら治ってる。熱もない。誰かが勝てなくてもいいとか言うから、ムカついて休んだだけ」
(それって、勝ってほしい、って言ってもらいたかったみたいだよ)
からかわれている可能性を考えると、言葉にはできなかった。
それでももう少し、一緒にいたい。
二人きりの時はいつも傲岸不遜な態度の湊に対して、いつからこんな風に思うようになったんだろう、との思いが過ったけれど、少しだけなら、と心の中で言い訳をした。
「ちょっとだけ、お邪魔します」
「こっち」
通されたのは湊の部屋らしかった。
家具の色や置かれた物の配色が自分の部屋の雰囲気とは異なり、新鮮に感じる。
ダークトーンでまとまったファブリックが「男の子の部屋」であることを、れんげに強く意識させた。
「適当に座れ」
「うん。あ、勉強してたんだ」
テーブルの上に広がった教科書や参考書が、使われていた形跡を残しているのを見つけた。
「ああ。ムカつく奴二人、見返してやろうと思ってな」
ぽん、と頭に掌が触れ、ドクンと心臓が跳ねる。
「暑いなら脱ぐ? 顔、赤いし」
「ぬっ?!」
頰に手をやると、確かに熱い。
ニヤリと笑みながら部屋を出て行った湊の背中を見送ると、れんげはペタンと座り込んだ。
優しくされたりからかわれたりで、れんげの心は右往左往と忙しい。
なんだか、湊が甘い――。
不満を口にするくせに態度は優しくて、今日はなんだか変だ。
(可愛いって言ったり、髪を直してくれたり。それも全部からかってるだけかな。でも、どうしよう、かっこよすぎる)
こてん、と頭を乗せたベッドは湊のもので、意識するとまた顔が熱くなってしまった。
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