ルカのヒミツ(3)

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ルカのヒミツ(3)

 どれくらいの時間が経ったのか、リッカは地下室に閉じ込められていた。  下半身に感じる痛みは、裂けてなにかが外に出たことを物語っている。  それに黙り込んたリッカだったが、すぐに手足に嵌められた手錠に目をやり、嘲笑した。 『私をホムンクルスを生産するための道具にでもするつもり?』  用済みなら寝ている間に殺せたはず。そうしなかったのは、リッカの言う通り、新しいホムンクルスを産むための繁殖用の女……として生かされたのだろう。 『これなら、娼婦のほうがずっとマシね』  あれは人を人として抱くもの。イグニスは私を道具としてしか見ていない。 『さて、と……』  リッカは魔法を弾く細工がされている枷と格子を見た。そして──。 『──オーフェン・ジン・バルムス』  魔法をかけると、みるみる枷も格子も朽ち溶けていく。 『こんなもので私を縛れると本気で思ってるなんて、私の魔力を舐めるんじゃないわよ』  ふんっと笑い、牢を出たリッカ。 『このまま帰るのも、すっきりしないわ』  自分を軽んじて研究の道具にした男への怒りと、望んでいなかったとはいえ、自分の腹から生まれた我が子の存在。そのどちらもケジメがついていないのが気がかりだ。 『ホムンクルスなんて、胸糞悪いわ。ましてやそれが、私から生まれただなんて吐き気がする』  ……ならば壊そう。あの男が愛してやまない研究成果をこの手で。  リッカはそう決め、『オーフェン』と唱えると、闇のレイピアを手にした。  牢を出ると、ここが地下であることが判明した。 研究成果──ホムンクルスは、すでに天文台から連れ出されている可能性もあるが、ここは見る限りイグニスの家だ。 そのときは、ここへ帰ってきたところを問い詰めればいい。  そうしてイグニスとその研究成果を探していると、なにやらブクッと水音がした。  リッカは警戒しつつ、音がした部屋に入る。  そこはどうやら実験室のようだった。最奥まで進むと、中央には大きな試験管。その中身──緑色の液体に浸かるものを目の当たりにして、リッカは言葉を失った。  試験管の中には、酸素を入れるためか、チューブのついたマスクをつけている男の子がいる。  おそらく、十歳かそこらだろう。  恐る恐る歩み寄れば、試験管のそばにある机に、【被検体110の経過録】と書かれた冊子がある。  記録を確認したリッカは、後ずさった。 『この子が……私の子供で……ホムンクルス……?』  ホムンクルスというのは、こんなにも早く成長し、こんなにも人間と同じ形をしているのか。その事実にショックを受けていたのだろう。  レイピアの柄を握りしめ、突きの構えを取る。 『ひと思いに、壊してあげるわ』  この世に生まれてきてはいけないものだと、本能で感じた。  けれど、そのときだった。試験管の中の我が子が目を開けたのだ。 『……っ』  この子は、空の青さも、海の広さも、美味しい食べ物も、親の愛情も、恋も知らずに、一生をその試験管の中で終えるのか。そう思ったら……。  ──壊せない。  私はレイピアを持つ手を力なく下ろした。  生きてる、自分の子供が目の前で、その心臓を動かし、息をして、私を見つめている。 『は……はは、最悪ね。私の中にも、母性なんてものがあったの……』  リッカは深く息を吐き、再びレイピアを構える。そして、試験管のガラスだけを叩き斬った。  ガッシャーンッと音を立て、大量の水の中から出てきた我が子を抱き留める。 『子供とか、本当にシャレにならないわ』  そう言いながらも、我が子を抱えて走るリッカは自嘲的に笑った。  そうして、天文台を出たリッカは、簡単に逃げられたことに違和感を覚えつつも、邸に戻る。  急に子供を連れ帰ったリッカに、お父様は気絶した。  数時間後、目覚めたお父様にリッカは事のあらましを話した。 『一夜の過ちでできた子供です。今まで隠れて育ててたけど、いい加減別邸に通うのが面倒になってきたから、うちで面倒を見るわね』  この世界では十七歳で既婚、子を持つことは珍しくない。 『いつか、お前ならやらかすと思っていた……』  普段の素行の悪さも相まって、お父様はリッカの話を信じた。 『それで、名前はなんという』  お父様に言われて始めて、この子に名前がないことに気づいた。  さっき生まれたばかりで、状況が状況だけに名付けている時間も余裕もなかったのだ。  そんな事情をお父様に話せるわけもない。イグニスの研究は、個人の資産で行える規模のものではない。  必ず、投資している人間がいるはず。それも貴族などの身分の高い協力者が。  そうなると、迂闊にホムンクルスの研究やイグニスのことは話せない。 大臣であるお父様にも被害が及ぶかもしれないし、お父様を通して敵にこの邸の警備体制が筒抜けになる可能性もある。 『おい、まさか……名前も付けてやらず、育てていたのか』  リッカが黙っている間に、お父様は妄想を膨らむに膨らませて、『子供は家畜じゃないんだぞ!』と怒り始めた。  教育者なだけに、こういう道徳的なことに関しては熱が入るのだ。 『名前なら、あるわよ』  面倒なので嘘をつき、リッカは改めて我が子に目をやる。  自分と同じ紅い瞳には、なんの感情も映っていない。  知性や身体は成長していても、心が育っていないように思えた。 『……ルカ……この子は、ルカよ』  光をもたらすもの、この世界ではそう言う意味のある名前だ。 『ル、カ……』  初めて私の前で言葉を発した我が子──ルカは、その瞳に僅かに光を灯す。  名前は、母親として、リッカが初めて我が子に渡した愛情だった。  こうして、突然できた我が子との生活が始まったものの……。  いきなり母親になどなれるわけもなく、リッカとルカの関係は親子には程遠い同居人だった。  息子に愛着がないわけではないが、どう接していいのかがわからなかったのだ。  そして、注ぎ方のわからない愛情の代わりに、リッカがとった行動。 それはルカをイグニスやその協力者から守るため、自分の『男遊びが激しい令嬢』という悪評を利用し、夜な夜な飲み屋を渡り歩くこと。 イグニスに繋がりそうな男をひっかけまくっては、その行方を探し、直接懲らしめることだった。 『あいつらはまた、ルカを狙ってくる』  お父様には『子供を放って遊び歩くなど、それでもお前は母親か!』と叱られたが、今自分にできることといえば、これしかなかったのだ。  そうしてイグニスを探すこと、一ヶ月が経とうとしていた頃。 『今日も無駄足だったわね』  リッカは馬車に乗り、邸を目指していた。窓枠に肘をつき、鬱蒼と茂る真夜中の森を眺める。  ルカはもう寝ているだろう。私は夜に出歩いているせいで昼間は眠っているし、夜は決まって飲み屋街に出かける。そんな母親に、あの子は失望しているかもしれない。 『誰かのために生きるのは、難しいわね』  自分の欲求のままに生きるより、ずっと。  裏切られたことで諦めていた愛情というものを、あの子が自分に取り戻させようとでもしているのか、この身体をエサに男に抱かれている間も、心にはあの子を守ることしかない。 『これが、愛だというのなら……いつか、あの子にまっすぐ注げる日が来るのかしら』  そうだといい、そう思ったとき。ガコンッと言う音とともに馬車が大きく傾いた。 『何!?』  馬車の中に捕まるところなどなく、リッカは壁に頭や身体を打ちつける。  そして馬車はどこか斜面を転がり、地面にぶつかった。 『ぐっ……うう……はあ……』  腹部が熱い。大きく息を吸おうとすると、鋭い痛みが走る。リッカは浅い呼吸を繰り返し、横転した馬車の扉からなんとか這い出た。  すると、車輪がひとつ外れてなくなっている上に、御者までいない。斜面を転がる途中で投げ出されたのかとも思ったが、辺りにその姿がは確認できなかった。  状況が状況だけに、偶然、車輪が外れたとは考え難い。助けに来ない、助けを求めても来ない御者も、グルだったのではないかとさえ思えてくる。 『この私が……嵌められた……?』  間違いなくそうだろう。早くイグニスを探さなければルカに危険が及ぶと焦っていたせいもあり、積極的になっていた詮索が敵を刺激したようだ。  腹部に刺さった馬車の木片と、先程打ち付けた頭の傷からするに、出血死は免れないだろう。  こんな夜更けに、しかもこんな森の中で、助けが来ると思うほうがおかしい。 『私……ここで……死ぬの……かしら。……散々な一生……だったわ』  でももし、ルカと出会ってなければ、この先続いただろう人生は今この瞬間に終わる人生よりも散々だっただろう。  幻のようだった愛の輪郭を、少しでも見つけられたのだから。  なら、この人生は私のもの。他の誰でもなく私が、自分で幕を閉じる。  リッカは土に汚れながらも、手を伸ばして、ありったけの魔力を引き出す。  これが、最初で最後の魔法──。 『──オーフェン……ジン・ドール』  目の前に赤く光る魔方陣が現れ、ズブズブと音を立てながらなにかが出てくる。残された力を使って、リッカが召喚したのは……。 『パウパウパウパウッ、五百年ぶりの召喚パウね』  ──狭間の魔物。  ルビーの宝石のような瞳をした黒猫。首や尻尾にはパステルパープルの大振りのリボンがついていて、てっきりドラゴンみたいなのが出てくると思っていたリッカは拍子抜けだった。 『僕を呼び出したということは、なにか望みがあるパウか? 対価は魂パウ。それでも叶えたい願いパウか?』 『ええ……そうよ。この魂を対価にしてでも……叶えたいの』 『ああ、自分の命を助けたい、っていうのは聞けないパウ。狭間の魔物にも、できることとできないことがあるパウ』  人が死にかけているときでも、特に動じることなくパウパウは世間話でもするような調子で話す。 『違う……わ。私の……子供、ルカを……守る存在を見つけてちょうだい。私の身体、地位、悪評のすべてを使って……イグニスたちから、あの子を守る……抑止力……になれる存在を……』 『リッカ・ヴェルツキンの存在を消すことなく、その器に別の魂を入れる……それが願いパウね。そうなると、リッカ・ヴェルツキンが死んだという事実がなくなり、そもそも今日という日がなかった……と、つじつま合わせをする必要があるパウ』 『つじつま合わせついでに……私を含む、ルカの事情を知る者たちの記憶から、天文台で起きたこと、ルカがホムンクルスであることのもろもろを……ちょちょっと消すことは……できない?』  ルカを守る役に選ばれた新しい魂は、この身体に入って混乱するだろう。そこで万が一にもルカの正体をうっかり口外されては、イグニスだけでなく、ホムンクルスの研究に興味がある人間たちが息子をこぞって狙いにくるはずだ。そのためにも、ルカにまつわる一切の記憶を消さなければならなかった。  これが確実な安全策なのだけれど、パウパウは『無理パウ』と即答した。 『あくまで、今日、リッカ・ヴェルツキンの存在が消えないための記憶操作までが許されてるパウ。それ以上は魂ひとつぽっちで叶えることはできないパウ』 『ケチな魔物ね……』 『どうとでもいうパウ』  さすがは魔物、捧げられたものに見合った働きしかしないわけね。 『……なら、一時的に忘れさせる……でも構わないわ。新しいリッカ・ヴェルツキンが、ルカとの絆を育むことができるまでで……いい。これは譲れないわ』  ホムンクルスだと知っても、ルカへの愛が変わらないくらい、心を通わせることができたなら……。  自分が人でない事実を知っても、ルカはきっと乗り越えていける。そのために、ホムンクルスだという先入観のない愛情を、新しいリッカ・ヴェルツキンに注いでもらいたい。 『もしできないのなら……取引は……破棄ね。あなたのような狭間の魔物を呼び出せる強い魔力の持ち主が、また現れるといいわね』  ぐぬぬ、とパウパウが押し黙る。  そもそも、闇魔法である魔物の召喚は、自分の魔力を上回る魔物は呼び出せない。それに加え、闇属性の魔法使いは希少で、先ほど本人も言っていたが、召喚されるのに五百年かかるほどだ。リッカを逃せば、次は何百年年後になるかわからない。  パウパウは『はあーっ』と深くため息をつき、項垂れた。 『わかったパウ。頭の回る人間パウね。その傲慢さとずる賢さは、魔物以上パウ』 『お褒めに預かり、光栄よ……。じゃあ、くれぐれも、新しい私にも……時が来るまで事情は話さないでちょうだいね』  一時的に忘れさせるため、つじつま合わせに植え付ける記憶は、ルカが一夜の過ちでできた子供で、今まで隠れて育ててたけれど、いい加減別邸に通うのが面倒になってきたから、うちで面倒を見ることになった……という、お父様への嘘をそのまま利用する。  リッカは子供を置いて夜遊びする母親で、ルカと親子として接したことはない。これはまあ、記憶を改ざんするまでもないのだが、とにかく、ただの同居人のような間柄だったと思わせる。  ルカが自分を慕っていなかったことが、なによりの救いだ。母親に旅立たれるのはつらい。二年前に病に倒れて他界したお母様を思い出しながら、リッカはそんなことを考える。 『できることなら……研究に関わってるやつら、も……私を嵌めた……あの男、も、私が血祭りにあげて、やりたかった……のだけれど……』  他人に大事なものを託すというのは、なかなか死んでも死にきれない。 『取引……してあげる、わ。いくらでも、私の……魂、持っていきなさい』 『取引成立パウね』  狭間の魔物の目がピカッと赤く光り、リッカの身体を包む。不思議と、死というものが怖くなかった。  託すべきことを託し終えて、ほっとしたからかもしれない。ただ、心残りがあるとすれば……。  リッカは濃紺の空に手を伸ばし、儚く瞬く星を抱くように手で包む。  ルカ……私に光をもたらした、ルカ……。この手でもう一度、あなたの体温を、鼓動を感じたかった。その口から、『お母様』と呼んでほしかった。 『ル、カ……』    ──どうか、あの子の心にも、色とりどりの光が生まれますように。
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