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ルカのヒミツ(4)
***
「おいっ、おい、リッカ!」
肩を揺すられ、はっと瞬きをした。その拍子にぽろりと落ちた涙が、頬を伝う。
「大丈夫か? あんた、急にその記録読みだしてから、動かなくなったんだぞ」
ベッドのそばにある本棚を調べていたフィンは、私の様子がおかしいことに気づいて、そばに来てくれたのだろう。お礼も言えず、机のそばに座り込み、放心している私の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「あんた、ルカのことで心労が祟ってるんだろ。ずっと体調が悪そうだ。シアンたちのところに戻って、少し休んだほうがいい」
労わるように優しく、指で涙を拭ってくれるフィン。でも私は首を横に振りながら、彼の手を掴んだ。
「やらなきゃいけないことがあるわ。やっと……全部、思い出したから」
私はすべて知っていたパウパウに視線を移す。パウパウはようやく出番かとばかりに、私たちの目の前に座る。
「パウパウ、あなた絵本になってるそうね。なんでも、魂と引き換えに願いをひとつだけ叶えてくれるんだとか」
「おい、それって狭間の魔物の絵本の話だろ。パウパウは関係な……」
「このパウパウが狭間の魔物だから」
フィンの言葉を遮って断言すれば、隣で息を呑む気配がした。
「あなたは暇つぶしで私のそばにいたと言っていたけれど、あれは嘘ね。元のリッカの魂を喰らったから、外に出られたんでしょう?」
「そうパウ。あとは一時的に忘却させていた、ルカにまつわる記憶を戻す機会を窺っていたパウ」
だから私のそばにいたわけね。
「私とルカの絆がちゃんと育まれたから、私は思い出したのね。ってことは、イグニスやルカも……」
「忘却の魔法が解けるタイミングは個人差があるパウ。イグニスのほうが記憶を思い出すのが少し早かったパウね」
「それで私がいない間に、ルカが狙われた……ってこと。あなた、世界の均衡を保つために、これからは悪役を積極採用中だから、私を転生させたって言ったじゃない」
「それはでたらめパウ。〝元の〟リッカの対価を受けて、天国にいくはずだった六花の魂をその身体に入れたパウ。ルカにまつわる一切のことは口止めされてたパウから、仕方ないパウ」
邸に帰る途中で、馬車に細工されて死んだのは本当。男の恨みを買ったのも、あながち間違いではないけれど、『ここで退場されると世界の善悪の均衡が崩れる』とか、それっぽい理由で右も左もわからない私を騙したわけだ。
「世界の狭間に住まう魔獣は、魂を死後の世界に導く役目があるっていうのは……」
「役目のひとつではあるパウ」
「でたらめ、でまかせ、ああ言えばこう言う。いろいろ、あなたって性格が歪んでるわ」
「よく言われるパウ」
私たちが話し込んでいると、ついていけなくて耐えきれなくなったのだろう。
「ちょっと待て、話が読めない」
そうフィンが割り込んでくる。私も先ほど理解したばかりで、フィンのことまで気が回らなかったのだ。
「悪いわね、フィン。でも……私も詳しく話せるほど心の整理ついてないの。今は一刻も早く、あの子を迎えに行かなくちゃだから」
私は机に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。
「迎えに行くって、まだ居場所がわかってないだろ」
「地下室……地下室だと思う」
ホムンクルスを育てるための試験管。あの設備がまだ残っていたとしたら、ルカはきっと地下にいる。
「あんた、なんでそんなことがわかるんだよ。天文台に来ようって言ったときも、どこか確信がある言い方だったろ」
「……行けば、説明するまでもなくわかるわ」
元のリッカの愛と、自分の出生を知って傷つくだろうルカの痛み。その両方に胸を押し潰されそうだった。
フィンはため息をつくと、私の身体を抱き上げる。
「フィン……?」
「まだ本調子じゃないんだろ」
事情は聞かずに、私の望みを叶えてくれるフィンに温かい感情が込み上げてくる。
私は、ひとりで戦っているわけではないのだと──。
一度みんなと合流し、私たちはリビングの本棚を横にずらすと、地下の実験室に向かった。
「これは……不気味だねえ」
シアンがうげえという顔をしながら見ているのは、いくつも並ぶ大きな試験管のひとつ。その前で、緑色の液体の中に浮かぶ人間になり損ねた〝肌色の物体〟を凝視していた。
「なんか、やばい実験してたんじゃない?」
エリアルがコンコンと試験管を拳で軽く叩くと、その中にいた物体の目がギョロリと開いた。
それにライリーが「あ、あああ……」と言葉にならない悲鳴を上げる。「なに?」と眉を寄せたエリアルは、背後を振り返り……。
「ぎゃああああっ」
ズサササーッと後ずさる。だが、その背後にはまた試験管があり、エリアルはひとりで悲鳴をあげながら実験室の中を暴れ回っていた。
「この化け物、生きてやがんのか……?」
レオに悪気はない。ただ、私はその〝化け物〟がなんなのかを知っているせいで、ひどく心が沈む。
許せなくて、こんなふうにルカを奪われたあとも被検体を作り続けたのかと思うと、イグニスに殺意がわく。
フィンに下ろしてもらった私は、みんなが他の試験管に気を取られている間、どんどん奥に進んだ。
そして、あの試験管の前に辿り着く。緑色の液体に浸かっているのは、エリアルと同じ、十四歳くらいの男の子だ。裸で、膝を抱えるように浮いている。
「……ああ、ルカ……!」
その場に崩れ落ちそうになりながらも、私は試験管に歩み寄った。ガラスに手をつき、悔しさに涙をこぼす。
「そいつがルカ? 冗談だろ、あいつは十歳じゃなかったか?」
驚愕しているフィンに、私は俯いたままなにも答えられないでいた。イグニスは光魔法で、あのスピカの光をルカに照射したのだろう。研究記録によれば、一時間で一歳成長すると書かれていた。
「それはホムンクルスだからですよ」
敬語なのに人を見下したような、あの男の声が響く。私以外のみんながいっせいに実験室の入り口を振り返る気配がしたが、私は試験管もほうを向いたまま動かなかった。
わざわざ確認しなくても、私が……リッカがこの男の声を聞き間違うはずがないからだ。
「魔法天文学が生んだ私の最高傑作、被検体110……ああ、今はルカ、という名称があるんでしたね」
名称、いちいち癇に障る言い方をするわね。
私はゆっくりと振り返り、白衣を着た憎い男を睨み据えた。
「名称、じゃなくて名前と呼びなさい。イグニス・トラー」
「あなたは変わりませんね。個体じゃなくて、子供。生殖じゃなくて、愛し合う……細かいことにこだわる女性だ」
変わらなくなんかない。私は六花であり、リッカなのだ。ふたりでひとりだから、前にあなたに対峙したときよりも、ずっと強いんだってこと、思い知らせてやるわ。
「知り合いって雰囲気じゃねえな。てめえ……ルカになにしやがった?」
レオが「オーフェン」と言い、拳に炎を纏わせると、イグニスの前に立つ。その横に立ったライリーも、緊張の面持ちで腰の剣柄に手をかけた。
「なんだかよくわかんないけど、縛っとく?」
エリアルはいつの間に呪文を唱えたのか、ツルをしゅるりとイグニスの周囲に這わせている。
「今回ばかりは賛成ー。俺も、あいつのアレなら、ちょん切ってもいいと思うよー。ルカをあんな目に遭わせたわけだしさ、マジでムカつくし」
指でハサミの形を作り、イグニスの下半身に翳して見せるシアンだが、その顔にはいつもの調子のいい笑みが少しも浮かんでいない。
「お前ら、ちょっと待て。そのホムンクルスってのはなんだ」
「簡単に言えば、精子を提供した女の身体に、スピカと呼ばれる星の光を照射すると、母体内で急速に出産可能周期にまで被検体が育ちます。そこからは母体の外に出し、試験管を使って目的年齢まで成長させるのです。スピカの照射一時間で、一歳ほど身体と知能が発達します」
自分の実験結果を誇らしげに語りながら、うろうろとその場を歩くイグニス。それを生徒たちは、耳を疑うような顔で聞いていた。
「このホムンクルスの素晴らしいところは、配偶者の魔力や知能を確実に引き継ぐ点です。そこにいる被検体110……ああ、ルカは私の知能とリッカの魔力を受け継いだとても優秀な個体」
個体、の単語に苛立ちが募る。ぴくりと身体を震わせた私になど少しも気づかず、イグニスは不愉快極まりない演説を続ける。
「リッカがここからルカを連れ出したあと、しばらく野放しにしていたのは社会性を学ばせるためでしたが、正解だったようです。かなり人間らしい振る舞いを身につけたようだ」
「らしい、じゃないわ。ルカは人間よ」
「これは失礼、気分を害しましたか。つまりなにが言いたいかと言うと……」
かつんっと靴音を鳴らして足を止めたイグニスは、両手を広げて天井を仰ぐ。
「いちから戦士を育てなくとも、戦士の遺伝子を持つ配偶者を使えば、先天的に戦士を産み出せる。すぐに戦闘可能な年齢まで成長させ、すぐにでも軍事利用が可能、ということです」
「……なるほど、あんたが頭のイカレたやつだってことがわかった」
フィンは空気をもその威圧感で支配するように、ゆっくりとその手を上げる。
「──オーフェン・ジン・ストリング」
ピキンッと光の弦を放ち、周囲の試験管を貫き割った。バリンッ、バリンッとガラスが割れ、液体とともに人になれなかった子供たちが床を滑っていく。
それでもイグニスは、平然とそこに立ち続けていた。
「被検体110は貴重な成功例ですから、傷をつけられると困りますが……。これらは失敗作ですから、いくら壊れようと構いませんよ」
床に転がる子供たちをまるで道端のゴミのごとく蹴るイグニスに、フィンの左耳にあるイエローダイヤモンドのピアスが黄金の輝を放ち、バリンッと弾けた。
「あーあ、兄様を本気で怒らせるとか、命知らず~。ま、当然だよねえ。先生とルカを人体実験に利用したわけだし」
「お、おお……なんかヤバい感じじゃない? これ、俺らも大丈夫なの?」
青ざめるシアンに、エリアルはケロッと「やばいに決まってるでしょ」と答える。
「王族って基本魔力高いけど、兄様のは別格。そこのチート教師ともやりあえるんじゃない? ってわけで、身を守る準備しときなよ」
エリアルはそう言うが、さっきからイグニスが逃げようとしないのが気になった。
フィンのこの絶大な魔力を感じてもなお、動じないでいられる理由があるはずだ。
そこで思い当たるのは、元のリッカを拘束したときに使われた枷だ。あれは魔力を抑えるためのものだった。そう言う小細工をこの男はしているに違いない。そう思ったとき──。
「──オーフェン・ステラ・ミラー」
イグニスが呪文を唱えると、頭上から光の雨がいくつも降り注ぐ。咄嗟のことでそれを防げずにいると、
「──オーフェン・ジン・ウインドランナーっ」
疾風の勢いで、シアンが私のところへ飛んでくる。そのままぶつかる勢いで、光の雨が当たらない場所まで転がった。
「……っ」
シアンが衝撃から庇うように抱き込んでくれたものの、床にぶつかった足首や背中は鈍く痛む。
「──っと、ごめん、センセーっ。とっさだったから、うまく庇えなかった!」
ガバッと上半身を起こしたシアンが、焦ったように私の顔を覗き込んだ。
「ありがとう、平気よ……それより、みんなは?」
シアンと先ほどまでいた場所に視線を向けると、エリアルはツルで自己防衛していたのか、無傷だったが……。
「いってえ……んだよ、今のは……」
ライリーを庇うように覆い被さっていたレオが、口端から流れる血を乱暴に拳で拭う。
「レ、レオ! すみません、私のせいで……あとは私が」
ライリーがレオの前に出て剣を構えたとき、イグニスはふふふふふっと笑う。
「先ほど王子が放った光魔法を、あれで跳ね返したのですよ」
イグニスはあれをご覧くださいとばかりに、天井に向かって手を挙げた。天井には、魔法陣が張り巡らされた鏡が張り付けてある。
「あれは私の作ったマジックミラーです。放たれた攻撃の威力を保ったまま吸収し、返すことができるんです。魔力ではあなたに劣っていても、頭の出来が、違うの……です、よ……」
イグニスは自分の放った攻撃を受けたのに、血だらけになりながらも立ち尽くしているフィンを見て目を見張った。
「あなた……どうしてまだ、そんな目をしていられるんです?」
「悪い、自分じゃ確認できないからな……俺がどんな目をしてるのか、教えてくれるか」
淡々と冷ややかに、フィンは言った。そして、その瞳は気怠さを消し──強く、討つべき者を貫くような目をしていた。
「リッカの身体を使って、ホムンクルスのルカを生み出したあんたには……。リッカの夫になる資格も、ルカの親にもなる資格もない」
「お、おや……? あなたはリッカの新しい男かなにかですか? それならご安心を。私は実験においての配偶者としては彼女に魅力を感じていますが、女性としては少しも興味はありません」
フィンの殺気に怖気づいたのか、イグニスは後ずさる。
「女性はあくまで、ホムンクルスを生み出すための道具ですから、リッカのことは好きになさればいい」
「好きにしろ、だと?」
バチンッと魔力が弾ける音がする。それに「ひっ」と悲鳴をあげながら、イグニスは腰を抜かした。
「リッカが自分の所有物みたいな言い方をするな」
フィン……。
こんな状況なのに、私とルカを大事に思ってくれているのがわかり、胸がじんとする。
ルカのこんな姿を見て心が弱っているからなおさら、彼の優しさが染みた。
「兄様、ちょっと落ち着きなよ」
エリアルが止めに入ると、フィンが少しだけ魔力の放流を抑える。
「いい加減……守られてばかりなのも、やられっぱなしも、性に合わないわね」
私は心の痛みを隠すように小さく笑い、立ち上がる。すると、シアンが慌てた様子で、腕を掴んできた。
「動かないほうがいいって! ここはフィンに任せて……」
「誰にものを言ってるのよ、シアン。私は負けっぱなしは嫌なの、倍返しで懲らしめてやらなきゃ気が済まないわ」
なんとか不敵な笑みを作る。命が尽きる間際まで、リッカがそうしたように。
「センセー……ほんと、そんな泣きそうなのに、いじらしいったらないわ」
苦笑いで、シアンが腕を放してくれる。私の気持ちを優先してくれたのだとわかり、前に進む足がしっかり地を踏みしめた。
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