ルカのヒミツ(5)

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ルカのヒミツ(5)

「ねえ、イグニス。あなたはどうして、ルカのことを〝思い出した〟のかしら」  胸を凛と張り、背筋を伸ばした。ヒールの音は、女の威圧。美しさは男を惑わせもするし、委縮させもする。 「それが私も不思議なのですよ。急に、記憶が……戻って……」  自分で言いながら、イグニスは私の言葉の違和感に気づいたようだ。 「……なぜあなたは、被検体110の記憶が私から抜け落ちていたことを知っているんです? まさか、あなたが記憶を消したのですか? そういった類の魔法は、自分にもなにかしらの反動があるために禁忌とされているはずですが……」 「あなたは全てを知ったように語るけど、なにも見えていない。誰を抱いたのか、誰との子を作ったのか、ここにいる私が誰なのかもわからないんだから」  カツンッとヒールを鳴らし、フィンの隣に並ぶ。イグニスは理解できないとばかりに、眉間に深いしわを刻む。 「誰、って……あなたはリッカ・ヴェルツキンでしょう。それ以外の何者だというのですか」 「私は……」  すう、はあっと深呼吸をする。  今、このときだけ私は、リッカ・ヴェルツキンである自分を切り離す。この下種男にわからせてやるのだ、どんな女を敵に回したのかを。 「初めまして、私は篠崎六花、前世は教師よ。半年前から悪役令嬢リッカ・ヴェルツキンに転生した、別世界の人間なの。よろしく」 「て、転生? そんな夢物語みたいなことが、あるわけが……」  半信半疑の様子だが、イグニスは怯えを隠しきれずに四肢を震わせている。  滑稽だと思わない? リッカ……。  強くもないのに強がる姿は憐れだ。 「つまり、なにが言いたいかと言うと」  私はその場をうろうろしながら、さきほどのイグニスの口ぶりを真似た。 「リッカはあなたに殺されて、本当は半年前に死んだの。でも、どうしても死にきれない願いがあった」  ルカを守りたくて、あなたが憎くて、許せなくて……。複雑な感情の中で、彼女が選び取った願い──。 「だから狭間の魔物、パウパウと契約し、私が代わりにリッカ・ヴェルツキンに成り代わったというわけよ。あなたから、ルカを守るためにね」  生徒たちに話すつもりはなかった。私はリッカ・ヴェルツキンとして生きることを決めていたから。  でも、今回ばかりは……話さないほうが不誠実だ。ここまで一緒にルカを探しに来てくれた、彼らに対して。 「わ、私にはリッカを殺した記憶などありません! 口から出まかせを言うのは……」 「出まかせじゃないパウ。僕がリッカをこの世界に残すために、つじつま合わせをしたパウ。リッカが死ぬはずだった日を、なかったことにしたパウね」  足元に来たパウパウを見て、イグニスが不振気味に目を瞬かせた。 「これが狭間の魔物……とでも言うんですか?」 「そうよ。リッカだから召喚できた。あなたはこの世で最も恐ろしい女を敵に回したのよ。そしてそれは……」  私は「オーフェン」と唱え、イグニスに翳す。ありったけの魔力を込めて、リッカとルカの未来を自分の研究欲を満たすためだけに奪った男に、鉄槌を下す。 「この私が、新しいリッカ・ヴェルツキンが、彼女に代わって、お仕置きをしてさしあげる」  赤い光──リッカがくれた、今は私の魔力の輝きがイグニスを包み込む。「うああああっ」と悲鳴をあげたイグニスの身体は、みるみる小さくなり……。 「ブ、ブヒ……?」  イグニスは白衣を着た黒豚へと姿を変えた。本人は一瞬自分の身になにが起こったのか理解できなかったようで……いや、受け入れられなかったようで、自分の蹄を見て、ガクガクと震えている。 「あなたが女性やホムンクルスたちを実験動物として扱ったように、私はあなたを家畜として扱うわ」  私はレイピアの先で、豚野郎の顎を持ち上げた。イグニスは涙と鼻水をたらしながら、「ブヒッ、ブヒーッ」と悲鳴をあげている。 「ごめんなさいね、私には豚語はわからないの。自分の意志に関係なく命を脅かされる気持ちを、その身を持って知りなさい、この豚野郎」  腰に手を当てて、笑みを崩さず、豚野郎を見下ろす。そんな彼にエリアルとレオがじわじわと近づいた。 「じゃあさ、手早く豚の丸焼きとかやっちゃう?」  エリアルはツルを操り、イグニスの手足を縛ると、逆さに吊った。 「いいじゃねえか。火加減は苦手だからな、丸焦げになっても文句言うんじゃねえぞ」  レオは極悪な笑みを口端に滲ませ、「オーフェン!」と唱えると、下から物凄い火力でイグニス豚を焼いていく。 「ブヒーッ、ブヒブヒッ!」  イグニス豚はあまりの熱さ暴れているが、ここにいるホムンクルスたちの苦痛に比べたら、軽いものだろう。 「ど、動物虐待の絵図にしか見えませんが……どうしてでしょう、全然罪悪感がありません」 「温厚なライリーが言うんだ。あいつ、マジもんの悪党だよ」  焼かれる豚をライリーとシアンが遠めに眺めている。  私は踵を返すと、ルカのいる試験管に戻った。するとそのあとを、フィンも追いかけてくる。私はフィンの方は見ずに、前を向いたまま、ぽつりぽつりと気持ちを吐き出した。 「元のリッカは、自分の魂を対価にしてでもルカを守りたかった。だから、私はこの異世界に呼ばれた……」 「あんたに初めて会ったときから、噂に聞くリッカ・ヴェルツキンの悪女ぶりとは違うなと思ってたが……。それもそのはずだよな、中身が違うんだから」 「悪役ぶりが足りなかったってことかしら?」  おどけて見せれば、フィンは苦笑いする。 「十分だ。間違っても磨きをかけようとするなよ」 「ふふっ、善処するわ」  私は笑いながら、試験管に手をつき、大切な息子の頭を撫でるようにガラス面を撫でた。 「この世界に来たときは、わからないことばかりで不安だったし、元の世界に残してきた家族のこと、心残りだって少しはあったわ。でも、ルカが家族になってくれたから、寂しいって思う時間がなかった」  本来そこは、私の居場所じゃないのかもしれない。でも、お父様もゴルゴンも使用人たちもいる、あの邸──帰る場所ができた。  そして、特別クラスの生徒たちに関わる日々に生きがいも感じている。私の人生は、決して散々なんかじゃないわ。 「自分よりも大事な存在ができて、私は初めてこの世界に居場所を見つけられたの。だから、ルカが何者であっても、私の息子には変わらない」 「俺も……あんたたちと暮らしてる時間は、結構気に入ってる。俺みたいなのでも、慕ってくれるルカは可愛いしな」  私の手に重ねるようにして、フィンも試験管に手をつく。 「ルカはあげないって言ったじゃない」 「またそれか」  私たちは顔を見合わせて笑うと、同時に魔力を高めた。そのときだった、ルカがそっと瞼を持ち上げる。 「お母……様……」 「ルカ、おはよう……っ。すぐに、そこから出してあげるからね」  じわっと込み上げてくる涙もそのままに、私はルカの目覚めを笑顔で迎えた。 でも、まるで閉じこもるように足を抱えているルカの表情は陰っている。 「……僕は、人じゃなかった……。あそこに、ゴロゴロ転がってる物体と……同じ」  ──人じゃなかった。ルカの口から、その言葉を聞きたくなかった。  ズキッと胸が痛むが、それでも私はすべてを知ってしまったルカの心に巣くう闇を受け止めるべく、耳を傾ける。 「僕の存在はきっと、外に出ちゃいけない。だって……僕みたいな……僕みたいな生き物がいるって知ったら……戦争が起こる」  頭がいいから、ルカは余計なことにまで気づいてしまう。子供なら、知らなくていいことにまで予測がついてしまうのだ。 「……壊したほうがいい、僕みたいな化け物……」  それを聞いたフィンが「それは違……っ」と言いかけたが、私はそれを首を横に振って制した。 「ルカ、抱えていた苦しみは、それで全部?」 「……え?」  ルカはパチパチパチと目を瞬かせる。初めて元のリッカがルカと目を合わせたときにはなかった、色とりどりの感情の輝き。  リッカ、この子はちゃんと成長してる。その心を豊かに、温かく、育んでいる。それは、この瞳の輝きを見ればわかるわよね。 「それなら、今度は私が吐き出す番ね。私は……」  まっすぐ息子の目を見て、はっきり告げる。 「あなたを愛してる」 「……! どうして、お母様は……いつも僕のことを大事にしてくれるの。今のお母様は、僕を産んだお母様じゃない、のに……」  ルカは、忘れてしまったのだろうか。 リッカ・ヴェルツキンとして生きると決めた日、私はルカを大事にすると言った。 悪役令嬢だけど、ルカの前でだけは跪くし、謝るし、嘘はつかない。毎日抱きしめて眠るし、耳がタコになるくらい『愛してる』を囁くって約束したのに。 「……僕には、ふたりのお母様がいます。僕を生んでくれたお母様と、育ててくれたお母様。僕にとっては、どちらも大切な人です」  ルカからもらった手紙を朗読すれば、本人は急になんだと目を丸くしている。 「僕を愛してくれて、ありがとう。そして僕も、お母様を愛しています。日頃の感謝を込めて、ルカより……。あの手紙の返事、今させてもらうわね」  私は片手で胸元にしまってあった髪飾りを取り出し、髪につけてみせた。 「私も自分のお腹を痛めて生んだわけじゃないけど、あなたが大切です。私を愛してくれてありがとう、そして私もルカを愛しています。お母様より」 「……っ、お母、様……」  ルカの目から、ボロボロと涙がこぼれる。 「いつまで、そこで引きこもってるつもり?」 「そうだぞー、ルカ。引きこもるなら、せめてロッカーにしなって!」  どうしようもない横やりを入れたのはシアンだ。 「それって、私のことですか……? でも、そんな冷たいところにいたら風邪を引きますから」  ライリーは手を差し伸べながら、ふわりと笑う。 「ルカ、てめえの敵は俺とエリアルでしばいといたからな」 「レオの焼き加減が悪かったせいで、丸焦げになったけどね。これじゃあ、豚の丸焼き食べれないじゃん」 「もともと黒いんだから、焼き加減なんかわかるわけねえだろ!」  レオとエリアルのくだらない言い合いを聞いていたライリーが、サッと青ざめる。 「あれ、食用にする気だったんですか? それだと、ルカはお父様を食べるってことに……」 「ライリー、やめて! 想像するだけで、オエッて感じだからっ」  通常運転の特別クラスのみんなを見たルカは、堪えきれずと言った様子で、ぷっと吹き出す。そして、外の世界を焦がれるように目を細めた。 「お母様……僕、いいのかな? ここから出て、お母様と、みんなと一緒にいても……」 「ルカ、外の世界にこそ、あなたの居場所はあるのよ。さあ、帰りましょう」 「うんっ」   泣き笑いを見せるルカ。私とフィンは「──オーフェン」と声を揃えると、闇と光で試験管のガラスと溶かし割る。  バッシャーンッと液体とともに、中から出てきたルカをフィンと受け止めたのだが……。 私の背を越すほど大きくなったルカは、それなりに重くて、私たちは後ろに倒れ込んだ。 「ただいま、お母様」 「お帰り、お帰り……ルカ」  どんな姿になっても、何者でも、愛してるわ。  その頭を抱きしめれば、ルカは私の胸に顔を埋め、しばらく動かなくなった。少しして、ルカはフィンとみんなを見回す。 「フィン、僕の代わりに怒ってくれてありがとう。もし僕にお父様がいたとしたら……きっと、フィンみたいなんだろうなって……思った」 「いつでも、俺を父親代わりだと思ってくれていい」  フィンは上着を脱ぐと、なにも身に着けていないルカの肩にそっとかけた。 「うん……」  嬉しそうにはにかんだあと、ルカはエリアルやレオ、シアンやライリーのほうを向く。 「僕、みんなといたい……。みんなといると楽しいし、わくわくする。心がたくさん動く感じがするんだ」 「そうだな、今のルカはざっと十四歳くらいだろー? いろいろ、知るべきだと思うんだ。いろいろ」  ニヤニヤと悪巧みしているシアンの頭をぐいっと押しやり、今度はレオがルカに顔を近づけた。 「まずは、うぜえ教師のあしらい方から伝授してやるよ」 「なに言ってんの? レオは全部拳で解決しようとするから役に立たないでしょ。世渡りに必要なのは演技力! 僕が水面下で人を騙して貶める方法を教えてあげるって」  本当に、うちの可愛い息子の教育によくない友達だわ。  私はみんなに囲まれて、照れくさそうに笑っているルカをこっそり見る。  でも、まあ……ルカが楽しそうなので、当面は大目にみてあげることにしたのだった。
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