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___いつまでもイジイジしていても仕方ないと、もう一度メールをひらき返信マークを押した。
離れてから必死で生きてきた。
ずっと3人で暮らしてきたから一人の静かさに慣れるまでには時間がかかった。あれから恋のような真似をして戯れに誰かと付き合ったけど、ノリさんに対するような熱情を感じた相手は見つからなかった。
本当はノリさんに会いたかった。
ずっと一緒に暮らしたかった。忘れたくても忘れられない時間の積み重ねがさらに愛おしさを増していた。
「お久しぶりです。おれは変わらず元気です。あの家の取り壊しは悲しいです」
そっけないメールの返信にすぐに電話がかかってきた。ノリさんだ。震える手で通話ボタンを押すと、受話器の向こうから懐かしい声が聞こえた。
「葵登?」
「ノリさん……」
かすれ気味のノリさんの声。あの時、葵登の下で喘いでいたノリさんの甘やかな声。
「元気だった? ごめんね、ずっと連絡していなくて……」
「いえ、こちらこそすみません」
何年振りかに聞くノリさんの声に時間が戻っていくようだ。社会人になって働くようになってあの頃とは全然違うのに、ノリさんと話している自分はまだあの時のままのような気がする。
「家をね、取り壊すから……その前に遊びに来ないかなって」
ノリさんと暮らしたあの家がなくなる。それは帰る場所をなくすように胸をえぐった。
「何で壊すんですか」
「なんでって、もうだいぶ古くてメンテナンスも追いつかなくてさ。あの頃でさえ結構ギリギリだったから……もう壊してもいいかなって」
離れてからノリさんはあの家でどんな時間を過ごしてきたんだろう。まだ直と続いているんだろうか。それとも1人になったのだろうか。
葵登の疑問は聞く前に答えが出た。
「今は直が買ったマンションに引っ越す準備をしているんだ」
そうか、2人はずっと一緒にいたんだ。葵登が繋げなかった関係をずっと結んだまま。
「そうですか」
「よければ週末にでもおいでよ。最後にまた一緒にご飯を食べよう」
切れた通話の先に並ぶ2人を思い描いた。
あの家でノリさんは幸せに暮らしてきたんだ。その隣にはずっと直がいた。
「は」と葵登は息を吐いた。
ずっとずっと心に燻ぶっていたものをようやく手放せる気がする。長い間迷子だった自分。消化しきれず後悔に苛まれ、目を背けていた時間。それらをノリさんが掬ってくれようと手を伸ばしてくれた。
スケジュールを見るとちょうと今週末は何の予定も入っていない。
ノリさんの好物は何だったかな、と遠い記憶を手繰り寄せる。
行こう。あの家に。
ノリさんの好きなものをもって。そうだ、映画をなにか借りていくのもいい。今度は葵登が好きなものを教えてあげよう。
長く閉じ込められていた時間がようやく息を吹き返していく。
あの家のアジサイは今年も綺麗に咲いているのだろうか。
葵登は立ち上がるとぐっと背を伸ばした。
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