紫陽花の咲く

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 ノリさんは知っていたのか……。  葵登は小さく笑った。おかしくてたまらなくなる。あんなに必死に隠して誤魔化して歪ませてしまった気持ちを、もっと正直に伝えていたら、ノリさんはちゃんとフッてくれたのだろう。  葵登の笑いにつられて、ノリさんも笑った。 「ほんとバカだね、おれたち」  互いが互いを思っているようで何にもわかっていなかった。  ひとしきり笑うとそれまで黙っていた直が怖い顔のままノリさんの前へと歩み出た。怒られるのかと身をすくめたノリさんの手を取り「倫幸」と囁く。呼びなれない本名にノリさんは目を瞬かせた。 「お前たちのわだかまりが解けてから言おうと思ってたことがある」  真剣な直の表情にシンと場が静まる。 「直……」  ノリさんの不貞を今更責めるのかと慌てる葵登を直は視線だけでとどめた。その迫力に思わず黙り込む。 「倫幸」 「はい」  向き合う二人の間に緊迫が走った。  真剣な表情で直がポケットから何かを出した。それはシンプルなデザインに輝く指輪だった。ノリさんが息を止めるのがわかった。 「結婚しよう」  直はノリさんの細い指を持ち上げると指輪を滑らせた。 「ノリの家族になりたい」 「……直」  指の付け根で光る指輪をじっと見つめるノリさんの瞳が揺らぐ。ぽろりと透明なしずくが零れ落ちると「うそ」と呟いた。 「嘘じゃない。ずっと言いたかった。でも葵登とお前の問題が解決しなきゃ、ノリを幸せにはできないと思った。だから今まで待った」  どれだけ長い時間を直は待ったのだろう。友達から始めたと昔話してくれたのを覚えている。葵登が想像できないほどずっと、もっと深くノリさんを愛していた。ノリさんにその時が来るまでじっと待ち続けたこの人にならノリさんを任せられる。  葵登は「おめでとう」と祝福の言葉を贈った。 「良かった。ノリさん、幸せになってよ」  それは嘘偽りのない、心からの気持ちだった。ようやくまっすぐにノリさんの幸せを祈ってあげることが出来た。 「葵登……」  ポロポロと泣きながらノリさんは直に抱きついた。キスを贈りながら「ありがとう」を何度もつぶやいている。  ノリさんの幸せを願っていた。彼が嬉しそうに笑うのが好きだった。 「おめでとう」  この家で過ごしてきた3人の暮らしは時とともに姿を変えていく。だけど気持ちは変わらない。いつだって3人で過ごした時はかけがえのない宝物なのだ。  その日ノリさんは誰よりも幸せそうに見えた。これからもきっとそうだろう。  並んで映画を観ながら、葵登も恋をしたくなった。  いつかきっと、ノリさんと直のように大切に思いあえるパートナーをみつけたい。そして幸せに笑わせたい。誰よりも大切にしたい。 「寝たみたい」  あの頃のようにノリさんの小さな声が聞こえてきて、葵登は安心したように眠りの世界に足を踏み入れた。まるで子供のように安心しきった寝息を立てて眠る葵登も誰よりも幸せだった。  ここは大切な場所。  紫陽花の咲くこの家をいつまでも覚えていようと思う。いくつになっても、どれだけの時を重ねても、ずっと。   fin
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