父親を見上げて

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 父親というものに僕は苦手意識を持っている。  家に帰ってきて風呂からあがれば、まずはビールを一杯。それから焼酎を二杯が定番だ。ここまでくると、呂律もよくなくて、会話の記憶も翌日にはおぼろげになっている。  一緒に食卓について、小一時間ずうっとつまみと酒で食事をする。僕はその間に食べ終わって、食器も流し台に片付けてしまっている。酔いどれに付き合うのはいつも母親だった。  食事中は何かしらの会話をする。テレビもつけているから、バラエティかニュース、もしくは近状の話だ。しかし、この酔いどれは会話の半分も記憶しかないから、約束事や予定などの話をこのときにはできない。  というよりは、したくない。  酒を言い訳に自分の都合のいいことだけを記憶しているからだ。  果たせない約束は、あれそうだっけ? と惚けてみせる。一度本気で怒ったこともあるが、そちらの話も結局酒に流れてしまった。  ここまでの話でお分かりだろうけど、僕という人間は、自分の父親を苦手に留まらず好ましく思っていなかった。年相応の思春期も手伝って、極力近づきたくない存在にもなっていた。  税金などの面倒くさい書類は母親に投げて、趣味の園芸も薬関係の計算は母親任せ。苗を植える時期はまあ正確でも、それからあとの世話は知らんぷりだ。繰り返すが、彼の趣味は園芸だ。  育ったのを誇らしげに話すが、世話は母親が見ていたのを知っているので、内心呆れかえって聞き流している。  仕事して帰ってくるだけの、酒臭くてうるさい同居人が父親だ。学生で子どもの僕がおこがましくそのような印象を持ってしまうのは、普段の彼の素行があまりにも頼りなかったからに尽きた。  そんな自分も、父親になって、子どもが思春期を迎えていた。  とても難しい時期なのは、経験が教えてくれている。触られたくないだろうけど、ここで無関心を装ってしまっては、たぶん子どもはもう離れていく一方だ。  つなぎ止めていたい我が儘があるのを自覚しつつ構い、それでも子どもの成長のためにとあまり構い過ぎないことに努めた。  毎日他愛のない話をして、どうでもいいことで笑ってみせる。  考えるべきことには口を出してみて、悩んでいたら肩の力を抜いてみろと見本をしてみせた。  あんなに苦手意識をもって、嫌悪していた父親の像を、僕はいつしか参考にしていたのだ。彼しか父親というのを知らなかったというのもあるが、今でこそわかる、あのときの苦労を追体験していた。  たまに息子に構い過ぎて、どきつい言葉をもらうときもある。  そんなときは酒を飲みながらだが、反省する。彼もこんな気持ちだったのかと思い出してはしんみりするのも、僕が未だ彼の息子だからこそだろう。  たまには電話してみようか。今電話すると、あの酔いどれになっているから明日にしようか。  奥さんは気を遣って席を外してくれているから、今日はちょっと長めに飲める。久々に酒を飲みながらだが、父親と話してみたくなった。  酔いどれ同士、今ならちょうどいいかもしれない。 「もしもし、僕だけど。あのさ」  やっぱり今日も酔いどれの父親。  話題もいい加減で、あっちへほい、こっちへほいと散らかしっぱなし。いつもいつもテキトーに話す。  だから、この人は苦手なんだ。  そんな僕はたぶん、どうしようもないと笑みをこぼしているに違いない。
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