姉が亡くなった夜のこと

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 姉が亡くなった夜のことである。  姉は二五歳の誕生日を間近に控えていたが、幼いころから体が弱く何年かに一度は体調を崩して病院に担ぎ込まれる生活を送っていた。今回の入院はいつになく長期にわたり、入院当初は初雪の便りを報じていたテレビからはいつの間にか九州地方の梅雨入りを知らせるニュースが流れていた。今回ばかりはもういけないだろうと家族のだれもが覚悟をしていた。  それまで見舞いの家人を和ませるため軽口をたたいて気丈にふるまった姉も、今度ばかりは弱気な言葉が幾度も口をついてこぼれるようになっていた。  長い期間病床に伏していたため姉はひどく痩せて、日に日に数が増えていく点滴のチューブや心電図のワイヤが絡まる(いましめ)のように痛々しく見えた。  その日、姉が亡くなったのは夜七時を少し回ったときだった。  姉のベッドは四人部屋の窓際の一角にあった。なぜか廊下側の一角にはベッドがなくがらんとしていて、姉のベッドを挟んで対角線上に置かれたベッドにはどちらもカーテンが引かれていて中を窺うことができなかった。  医師が臨終を告げると、母は姉に縋り付いて声を上げて泣いた。私はカーテンの向こうに寝ているはずの同室者に迷惑になることを気にしたが、不思議とどちらのベッドも静まりかえっていた。看護師が寄り添うようにして母を姉から引き離し、そのまま遺族は姉の遺体から遠ざけられた。いったん病室の外に追いやられた私たちは、姉が看護師たちの手によって最後の処置を受けている間に、静まり返った廊下の隅で声を潜めて親戚や近しい何人かに姉が亡くなったことを告げる電話をかけた。いくつかの連絡を終えて振り返ると、長椅子に腰を落としうなだれたまま身動きしない母の姿が影のように滲んで見えた。  やがて、看護師たちに最後の処置をしてもらった姉は新しい浴衣にくるまれて再び私たちの前に姿を現した。病み疲れた姉の死に顔がほんの少しまともになったのを認めて私は看護師に礼を言った。看護師は私に向かい、葬儀社が手配する納棺師が化粧をすればご遺体はもっと綺麗になりますよと言った。  それから姉はストレッチャーに乗せられカーテンの間の狭い隙間をすり抜けて病室を後にした。振り返ると、ついさっきまで姉が寝ていた窓際のベッドからはいつの間にかシーツが取り除かれはだかのマットレスだけが寒々しく横たわっていた。カーテンで遮られた二つのベッドからは相変わらず何の気配も伝わらなかった。 姉を運ぶストレッチャーは病院の入り組んだ廊下を進んで行き、私たちは小走りでそのあとに続いた。  見舞い用とは違う搬送用の広いエレベーターに家族ともども乗り込み、一階に降りると扉の外は通用口の目の前だった。  外には葬儀社のワゴンが待機しており、黒い上着を着た年配の男性がそばに立っていた。エレベーターの扉が開くのを確認するとすぐに男性は動き出し、後ろのドアを跳ね上げ、葬儀社の備品のストレッチャーを降ろし始めた。  ストレッチャーは荷台に取り付けられたレールの上に置かれていて、引き出されると折りたたまれた脚が勝手に飛び出し高さを保ったまま地上に降り立った。看護婦たちは運んできたストレッチャーをその横につけ、慣れた手つきで姉が横たわる薄い布団ごと持ちあげて移し替えた。あまりに軽々と持ち上げられた姉を見て少し胸が苦しくなった。  移し替えられたストレッチャーをレールに沿って荷台に押し込むと、先ほどとは逆に脚が勝手に折りたたまれ、滑るようにワゴンの中に収まった。  ものの五分程度の作業だった。  看護婦たちは神妙な顔つきで通用口の前に立ち、ワゴン車が出発すると深々と頭を下げてそれを見送った。  私たちは自分の車に乗り込みワゴン車の後について自宅に向かった。  車を運転するのは兄で助手席に兄嫁が座り、後部座席に母と私が並んでいた。  後部座席から、先行するワゴンのテールランプが揺れるのが見えていた。兄夫婦は小声で何か話し合っていたがなかなか聞き取れないので、私はあきらめて母に振り返った。  母は相変わらず黙り込んだきりじっと窓の外を流れていく夜を見つめていた。  家に帰りついたのはもうすぐ一〇時になろうとするころだった。庭が狭いため車は近くの空き地に止めることにして、私と母は玄関先で先に降りてワゴン車を家の前に誘導した。玄関前には自動車一台がやっと止められるだけの隙間があり、バックで大型車を入れるのは少し手間がかかった。葬儀社の男性は車から降りると後部席から枕飾りの道具を取り出し、遺体はどこに安置するかと訊ねた。  私が玄関わきの縁側に面した座敷に案内すると、男性は持ち込んだ道具を組み立てて簡単な祭壇を作り北はどっちかと訊ねた。私が指さす方向を確認して安置する遺体を邪魔しない場所に祭壇を置くと、母に布団を敷く場所と向きを指示し、そして私に向かって申し訳ないが手伝ってほしいと言った。  母が布団の用意をする間に私たちはワゴン車に戻り、ワゴン車の後ろのドアを開けてストレッチャーを引き出した。  どうやってこれを家に上げるのかと訪ねると、男性は布団の下が担架になっているからそれだけを運ぶと言った。男性は私に頭のほうを持つように言い、息を合わせてストレッチャーから姉を乗せた担架を持ち上げた。あまりの軽さにまた少し胸が苦しくなった。  縁側は開けられていたのでそこから姉を運び込んだ。  その時、私の頭の上を何かが横切った。  見上げると、それは小さな蝶々だった。  今年初めて見たと思い、次に何の疑いもなくあれは姉だと思った。体と一緒に姉の魂が家に帰ってきたのだと思った。  母が用意した布団に姉の体を移し終えたとき兄夫婦が戻った。それから枕飾りに香が焚かれ私たちは入れ代わりに手を合わせた。  兄夫婦と母は明日以降の段取りをするため葬儀社の男性と別の部屋に行ってしまったので、私一人姉の枕元にポツンと座り続けた。  姉は、目が少し落ち窪んで頬骨の下がこけているのでそこに影ができて少し苦しそうな顔をしていていた。  ふと思い出して天井を見上げたが、蛍光灯の薄暗い灯りのせいかさっきの蝶々の姿は見つけられなかった。  翌日、枕勤めの僧侶が到着する前に葬儀社が手配した納棺師がやってきた。  納棺師は、姉とさほど年が違わないと見える若い女性だった。よろしくお願いしますと丁寧に頭を下げ線香を一本あげて、作業に取り掛かる前に個人に着せてあげたい衣装があれば着替えさせますと言った。  母は、姉の成人式の振袖を着せると言った。  兄嫁がそれに賛成し二人で振袖を取りに姉の部屋に行き、やがて水色の生地に花模様をあしらった着物を手にして戻った。私はそんな着物を姉が着たことさえ忘れていた。納棺師は着物を受け取ると、それではこれから作業をするのでしばらく席を外してほしいと言った。  作業の間私たちは茶の間に腰を下ろし、何をするでもなく時間をやり過ごした。窓の外はどんより曇っていて、今にも雨が降り出しそうな様子だった。兄は休みなく煎餅をかじり、母と兄嫁は何度も注ぎ足しながらお茶をすすり、私は新聞のあちらこちらを拾い読みしていた。やがて兄がテレビを点けて落ち着きなくチャンネルを変えはじめ、母と兄嫁が近所の噂話をし始め、私が新聞にめぼしい記事を見つけられなくなったころ、納棺師が姿を現し出来栄えを見てほしいと言った。  私たちが姉の姿を認めたとき、初めに母が口元を抑えて嗚咽を漏らし、兄嫁は感嘆の声を上げ、兄と私は息を飲んで立ち尽くした。  姉は綺麗に化粧を施されて眠るように横たわっていた。含み綿を入れたのかふっくらと張りを取り戻した頬に紅が入り、唇にはやや濃いめの紅が注され艶やかに輝いていた。病み疲れて艶がなくなっていた髪も綺麗に櫛が入り枕元に広がっていた。それは体を包む振袖と相俟ってそれまで私が記憶していたどれよりも姉を美しく若々しく見せていた。  私は、幼いころに親しんだ元気な時の姉の記憶をたどり、姉は確かに綺麗な顔立ちだったことを思い出した。  母は泣きながら納棺師に何度も礼を言い、姉の枕元に座り込んで声を上げて泣いていた。その場の全員がそれにつられて涙を流した。  葬儀はその二日後に執り行われ、姉は振袖と一緒に荼毘に付された。  火葬場で姉が骨になるのを待つ間、家族は取り留めのない会話で時間を潰していたが、母が不意にこう言った。 「なんだか不思議なのよね」  何が不思議なのかと兄が訊ねると、母は曖昧に笑いながら答えた。 「気のせいかもしれないけど、あの子に着せた振袖のちょうど左胸のところのお花の模様に小さな蝶々が止まってたでしょう。あんな蝶々いなかったと思うのよね」
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