魚釣りに行ったりするんだと思う

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 遠くでセミの鳴き声がする。じりじりうねる太陽の熱が、麦わら帽子の隙間から僕を焦がした。もう何年も使っているボロの自転車は、こぐたびにガシャコ、ガシャコといってセミよりもうるさいし、へこんだ鉄の荷台に座る僕の尻は痛みで悲鳴を上げていた。舗装もない土手の上を父は黙々とこぎ続けるし、おかげで自転車はぐんぐん前に進んでいた。僕の目の前はごつごつした父の背中で塞がっていたから、横に向いてスクロールしていく田んぼや林の緑を見た覚えがある。父の着ていた白いTシャツは、湿っぽくて汗のにおいがした。 「ここらへんでいいかなあ」  前方を行った兄の声がして、返事をした父の声の振動を背中伝いに僕は聞いていた。  僕らがどこに向かっていたのか、今となっては覚えていないけれど、きっと魚釣りに行ったりしたんだと思う。自転車から降ろしてもらい、痺れた尻でふらつく足下のまま、良く晴れた空に入道雲を見たことだけは覚えている。  父は寡黙な人だったかもしれない。それとも、子どもと接するのが苦手なだけだっただけかもわからない。それは僕も同じで、平日は仕事で帰りが遅い父とはあまり話す機会もなく、いざ一日一緒にいるとなると、子どもながらにもぎこちなさがあったと思う。  そんな親子でも、日暮れまで遊ぶうちに少しずつお互いのことがわかってくる。でも、せっかく打ち解けてきたところで、また月曜日になってしまうのだ。そんな日曜日は繰り返され、いつの間にかなくなっていた。  子どもとはいえ、人を乗せて自転車をこぐのは、仕事で疲れた体にはこうも応えるものなのか―最近になって気づかされた。子どもの頃と違って筋肉痛も日焼けの痛みもすぐにはひかないし、明日からまた一週間働かなくてはいけない。でも僕は、息子と過ごす貴重な一日を楽しみにしている。それにこの時間が息子にとって大切なものになるということは知っていたから。  今、僕の後ろにいる息子はなにを思うだろうか。息子が普段なにをしているのか、なにが好きなのか―僕は妻から聞くことばかりだ。やっぱり僕も父に似て、子どもと接するのが苦手なのかもしれない。僕も子どもだったはずなのに。  でも、久しぶりに息子と顔を合わせた土曜日に、「明日どこかに出かけようか」と訊ねた時、目を輝かせて返事をした息子を見たら、そんな不安もどこかに吹き飛んでしまった。  日曜日の朝、僕らは早起きをして家を出る。荷台には座布団を敷いてあげよう。そして僕らは、魚釣りに行ったりするんだと思う。 おわり
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