1.帽子岳の山頂で

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良かった「ようこそ北澤さん」っていう横断幕作らなくて、もしもの気まずい状況を想像して胸を撫で下ろした。 もう一度丸山さんを見るとある違和感に気づく、思わず「あれっ。丸山さんスーツじゃない?」と小声で呟いてしまった。 丸山さんは紺のビジネススーツを着ていて、上は水色の半袖シャツに赤いネクタイをしていた。流石に上着は暑いらしく右手に抱えている。 今から山登りをするっていうのに。いつも服汚れたって怒っているのに何故? そんなことを思いながら丸山さんの背の高い後ろ姿を眺めていると、校長先生が「担任もうすぐ来ますので」と言ったのが聞こえた。 すぐにその場に行くと「初めまして担任の山浦です」と帽子を取り挨拶した。 丸山さんは「丸山です。先生、今日はよろしくお願いします」と言って、爽やかな笑顔をくれた。 テレビの神経質なイメージと違い、普通のいい人じゃん。 スタッフの方主導で軽い打ち合わせが始まった。 校庭が段々と騒がしくなってきた。丸山さん達より一足先に靴を履き替え、校庭に出ると、秋の澄み渡った青空が絶好の登山日和だということを教えてくれていた。 カラフルなリュックサックを背負った浮かれ顔の子供達が続々と校庭に集まってきている。 「おはよう」と二十一人全員と言葉を交わすと、子供達を並ばせて、校庭で出発の会をした。 私の「実は今日東京から、みんなと一緒に登山してくれる人が来ています。丸山さんどうぞ」という合図と共に丸山さんが鶏小屋の後ろから登場し、子供達は歓声をあげた。 鶏達も子供達につられて朝の雄叫びをあげている。 帽子岳へは学校の裏山を登っていく、先頭は道を知っている私が行かなくてはならない。私の次に丸山さん達のテレビ局、そして子供達、最後に校長先生という順で登りはじめた。 最初の三十分は子供達はウキウキしていた。普段とは違う野外活動、そしてテレビでしか見れない芸能人がいるということではしゃいでいた。 次から次へと丸山さんやスタッフの人に他愛のない事を話しかけていた。 「俺の兄ちゃん緑色が好きなんだ」と子供が言うと丸山さんは「俺は黒が好き」と邪険にすることなくしっかり応答してくれていた。 テレビと違って親切な人だ。 歩き始めて三十分が過ぎると段々と山道になって行く。 足元が斜面になっていたり木の根が出ていたりするので慎重に歩かなくてはいけない。 おまけに藪の中で周りの景色も殆ど見えないという条件の悪さ。 極め付きに大きめの蛾までヒラヒラと沢山飛んでいる。 案の定、躓いて怪我をし弱音を吐き始める最初の一人が出てきた。 大きな石に司くんを座らせ、擦りむいた膝を消毒し、絆創膏を貼る。 司くんは目に沢山涙を溜めて訴えてきた。 「亜紀先生、疲れたもう無理、足も痛いし」 「頑張ろうよ、いい思い出になるよ」そういうと「嫌だよ、何の為に山登るの!」と彼は叫んだ。 司くんの叫びに私は答えられなかった。私も心の中では同じことを思っていたからだ。 その時、丸山さんが突然叫んだ。 「何で山登るかって、それはそこに山があるからだ!」 「……ジョージマロリー?」と呟くと丸山さんは私を見てニヤリと笑った。 何故か司くんは「そうか、山があるから登るのか」と納得した。 「あの勢いだけの言葉で納得したの?」と呟くと、校長先生が「よしっ!もうちょっと頑張ろう!山頂から食べるおにぎりは美味しいぞ!」と励ました。 校長先生に被せるように他の子達も「司くん頑張って」と声をかけ、丸山さんも「頑張れよ」と優しく声をかけてくれ、司くんのやる気は回復した。 再び立ち上がると彼は元気に歩き出した。 また暫く歩いていると丸山さんが私に話しかけてきた。 「先生、名前あきって言うんですか?」 「そうです、九代亜紀さんと同じ漢字です。亡くなった祖父がファンだったんです」 「そうなんだ、でも僕九代亜紀さんの漢字がわかんないな」そう言って丸山さんは笑った。 一呼吸おいて丸山さんは子供にも聞きやすいようにゆっくり話しはじめた。 「実は僕も名前にあきって入ってるんです。丸山何というか知ってますか?」 すると子供達が喜び次々に答え出した。 「丸山元気」「ブッブー、俺そんな元気じゃないだろ?」 「丸山純一郎」「どこかの元総理みたいだな!」 「丸山祐太郎」「だからあきってつくって言ったじゃねえかよ!」 「丸山山丸」「タケヤブヤケタと一緒にすんな!」 丸山さんが何か返す度に面白くてみんなで笑った。 明らかに口数が減り疲れてきた子供達を元気付けようとクイズを出してくれる、優しい人だ。子供達の解答も一通りで終わった頃 「丸山さん、私答えたいです」 そう言って私は後ろを振り向いた。 「はい亜紀先生どうぞ」丸山さんが私を指名した。 「重なるっていう字がついてた気がするんです。なので二択になるけど、勘で丸山重明さん」 すると丸山さんは五秒ぐらい間をあけて「はい、正解!」と言った。 「やった!」両手を挙げて喜ぶと子供達が拍手してくれた。 「じゃあ丸山さんもアキって呼ばれる事ありますか?」「あー昔そう呼ぶ人いたな」と呟くとすぐにまたおふざけモードに入った。 「正解者には熱いキスのプレゼントです」と叫んだ。 子供達が「キャー」と叫び始めたので「丸山さん、小学生に刺激が強すぎる冗談言うのやめて下さい!」 そう怒ると「亜紀先生ごめんなさい、じゃあ正解者には熱い口づけをあげます」とまた声を張った。 騒然とする子供達に負けないように「丸山さんそれ一緒でしょ?」と叫び返した。 丸山さんと子供達とくだらない話をしながら登りはじめて一時間、見晴らしの良い広い広場に出ると笛を吹いた。 この広場から遠くに自分たちの住んでる村が見え、さらに遠くには佐久平がミニチュアサイズで広がる。 反対側には隣の山の頂が霧を被りながらもでんと構えているのが見えている。 子供達は「やった」と歓喜の声を上げている。1回目の休憩時間だ。 子供達を班ごとに大きな石やベンチに座らせ、食事係に班の人数分の塩飴を渡した。 熱中症対策に塩飴はかなり有効なのだ。ふと辺りを見渡すとスタッフの人達も汗だくになっていることに気がついた。 仕事とはいえ重いカメラやら道具を運んでいるスタッフさんも大変だな。 私は近くにいた子供達に飴を渡した。 「これスタッフの方達に渡してきて」 すると「もう疲れた歩けない」と言われたので「大人って不思議と子供達から貰ったら元気出るんだよね。ほら見てあんな重そうな物いっぱい持ってるよ。だから特別な仕事、スタッフの人達元気づけてきて」 そう言うと子供達は「わかった」と輝く笑顔で飴を渡しに行った。子供と機関車ドーマスは特別な仕事が好きな法則の発動だ。 ふと隣に丸山さんがいることに気がついて、「近くに子供達がいないので、申し訳ないです。私からなんですが食べてください」と渡すと「いやいや光栄です」と飴を受け取ってくれた。 丸山さんは飴を口に入れると「この飴美味しいですね、こんな美味しい飴初めて食べました」と言った。 「そう思いますよね、でもこの塩飴ゲレンデマジックなんですよ」 「ゲレンデマジックって?」 「ほら、ゲレンデで恋に落ちた人とゲレンデ外で会ったら恋が覚めるってやつです。 私三年前にもこの山登ったんですけど、その時食べて感激したんです。 塩飴ってなんて美味しいのって、でも家に帰ってお風呂に入ってクーラーが効いてる部屋で食べたら」 そこでやめておいた、私は今教師としてここにいるからだ。しかし丸山さんが続きを口にした。 「思ってた味と違ったと」 私は思わず笑ってしまった。 「何で止めた事わざわざ言っちゃうんですか、子供にどんな物でも作ってくれた人がいるから、全ての食べ物に感謝しなきゃいけないって綺麗事押し付けてるのに」 と言うと「綺麗事押し付けてるんだ」と彼はひっひっひと笑った。 「熱中症対策には必要で有能な飴なんですけど、ゲレンデマジックだって思いました」 丸山さんは何故か「じゃあ先生は本当のゲレンデマジック経験したことあるんですか?」と聞いてきた。 何でこんな事を今聞くと思ったけれど 「ないです、私スキー場っていう寒くておまけに体動かさなきゃいけない場所嫌いですもん。家が最高ですよ」 そう答えると彼は「俺もその気持ちわかる。先生と同じ陰キャだから」と言ったので「バレちゃいました?」と二人で顔を見合わせて笑った。
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