第二話 点灯

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第二話 点灯

ホームを滑り出ていった車両を、ミホは笑顔で見送った。 連休前日の新入社員歓迎会からの帰途、偶然乗り合わせた憧れの主任。 社内での雰囲気は一変していて、気さくでフレンドリーであった。 二次会に参加しなかったミホに理由を尋ねてきた片山主任。 ミホは社内での人間関係についての悩みを打ち明ける。 駅のベンチで飲み物を片手に語り合う二人。 そこから話題は飛びに飛び、話が盛り上がったのであった。 実はそれ程、歳が離れていない二人。 最終的には、社外限定で友人関係となったのである。 人についての小さな悩みは、やはり人によって救われたのだった。 実は不安だった今日という一日を、ミホは明日へと見送れたのである。 ミホは主任から貰った名刺を財布にしまおうとした。 名刺の裏には電話番号とアドレス、主任はメール派だった。 財布の中には、もう一枚の名刺がしまわれていた。 それも本日頂いたものである、それは…。 勤務時間内に社内食堂の片隅で開催された新人歓迎会。 まるで逃げられない様なタイムテーブルであった。 ミホも乗り気ではなかったものの、不参加は実質不可能。 参加したのは新入社員の男女6人と主任と課長のみ。 世相を反映した名ばかりの歓迎会である。 他の女子社員3人との関係をギクシャクさせてしまっていたミホ。 表情には出さずに黙々と飲食に専念していた。 そんなミホに個人的に話し掛けてのが片山主任。 社内ではバリバリのキャリアウーマン的な雰囲気の主任。 ところが話してみると意外に多趣味でオタク傾向が高かった。 文科系インドア派のミホと話題の接点が多かったのである。 一通り楽しく話した後に課長と仕事の話題に移行した主任。 その空いた席に移動してきて話し掛けてきたのが新人の一人。 武田である。 「森さん、隣駅ですよね?」 「えっ…?」 いきなり最寄り駅を当てられて、ミホは少し動揺した。 身に覚えのない噂と一緒に、個人情報も流されていたからである。 「あ…はい。」 「実は僕もなんです、知らなかったでしょ?」 「えっ、そうなんですか?」 「はい、ホームで見かけた事が何度か。」 ミホの最寄り駅は改札が両端に在る。 互いに商店街が発達しているので行き来は少ない。 ミホは武田に全く見覚えが無かったので少し焦ってしまった。 武田は自炊をしていなかったので外食店舗を行き来していたのだ。 「もし何か困った事が出来たらこれで。」 武田は名刺を渡してきたのである。 だが彼から名刺の請求は無かった、ただそれだけだった。 裏面にIDもアドレスも書かれていない、表面の電話番号のみである。 ミホは受け取って自分の名刺を返した。 それもまた電話番号のみ記載された名刺である。 受け取った武田は会釈をして、また同僚との会話に戻っていった。 …その二枚の名刺を一緒にしまって、少し幸福な気分になった。 出社する気持ちが、連休後は軽くなっているのは間違いないだろう。 他人がもたらしてくる重さは、やはり人によって軽減されるもの。 (今日は憂鬱だったのに、終わって見れば良い会だったな…。) 駅の改札を出て階段を降りる。 今日は買い物をする日ではなかったので、真っ直ぐ帰宅。 ミホの自宅は、駅から5分の線路沿いのアパートである。 既に築四十年は経っていて、アパートの名が体を表している。 …昭和荘。 ミホの部屋は一階で、かなり狭いものの庭が在る。 軒下には洗濯物を干せる様に物干し竿が掛けられる造り。 だけど若い彼女が洗濯物を干す事は無かった。 線路沿いの為に、電車から一瞬だけ見えるからである。 玄関の直ぐ隣が台所、キッチンと呼べる様な設備ではない。 その反対側が改築されたユニットバス、そこだけが平成を反映していた。 軽い足取りで帰宅してきたミホだが、その足許が止まった。 自宅の玄関を見た途端に、軽いパニックを起こしてしまったのである。 「えっ、電気…?」 台所の窓から明かりが漏れている、誰もいない筈なのに。 しかもその光が揺れている様に見えている。 それは誰かが明かりを遮っている様にも見える。 独り暮らしの彼女は、どうしてよいか分からなくなっていた。 (どうすれば…?) 線路沿いの通りに移動して庭から家の様子を伺ってみる。 確かに薄く明かりが漏れている、現実であった。 しかも何かに時々遮られる様に不安定に光っている。 (家の中に誰かがいる…!) 交番は駅の反対側の改札を出た所、行くべきか迷った。 こんな時間に泥棒する犯人なんて存在するだろうか…? (もしかしたら大家さんか管理人さんかも…。) 少し落ち着いてきたミホは、とにかく確かめたかった。 一体全体、誰が自分の家に勝手に上がっているのだろう…? (弟や妹も合鍵を持ってはいるし…。) ミホは咄嗟に主任の顔を思い浮かべた。 かなり打ち解けて仲良くなった上に、頼りになる存在だったのだ。 彼女は財布を開いて主任の名刺を取り出そうとした。 ところが先に取り出せたのが、もう一枚の名刺の方。 (あっ…、武田クン!) ミホは急いで番号に電話した。 武田なら同じ駅だし、反対側だから交番も近い筈。 「…武田クンですか、お疲れ様です森です。」 「あぁ森さん、お疲れ様です。」 「今どちらですか?」 「二次会も終わってまして、もう直ぐ駅ですが…何か?」 「実はですね…。」 ミホは現在の状況を話して、交番に寄って欲しい事を告げた。 武田は心配しながらも引き受けてくれた。 駅の改札で待っている様にとミホに告げる。 「ありがとうございます、助かります!」 ミホは電話を切って改札へ向かい、巡査を待つ事にした。 誰だとしても、無断で家に入るのは尋常ではない。 「森さん!」 改札のミホの目の前に現れたのは、何と武田一人だけであった。 「武田クン!…お巡りさんは?」 「それがパトロール中らしくて交番は空だった…。」 「それで来てくれたんですか…?」 「一応、武器も持ってきました!」 そう言いながら彼が見せたのは…、テニスのラケットであった。 「わざわざ、すいません…。」 ミホは、自分が落ち着いてきている不思議な感覚に包まれていた。 緊急事態であるにも関わらず。 二人はミホの家に向かった。 「…確かに、あの明かりは不自然ですね。」 「ですよね?」 「鍵を貸して頂けますか?」 「はい…、気を付けて下さいね。」 「もちろんです。」 武田は静かに鍵を刺して、ドアノブを廻した。 ミホは少し離れた位置で見守っている。 …かちゃ。 そっとドアを開けて武田が家に入る、テニスラケットを片手に。 彼の姿が見えなくなって、ミホは急に緊張が高まった。 相変わらず光は揺れている様に見える。 「…武田クン?」 「大丈夫です森さん、正体が分かりました!」 「えっ、本当ですか?」 ドアから武田が手だけでミホを呼び込んでいた。 促されて自分の家に入っていくミホ。 玄関から上がった途端に、彼女にも犯人が分かった。 「…蛍光灯?」 「故障したんでしょうね、点滅し始めてますから…。」 「そんな…。」 ミホは二つの理由で驚いていた。 一つは、この騒動の犯人が蛍光灯だった事。 もう一つは…。 「この台所の蛍光灯は、もう何年も壊れて点かなかったのに…。  母が亡くなってから消えたままだったんですよ…。」 「あの写真の方ですか…?」 ミホが蛍光灯のスイッチを切ってから振り返る。 武田が指差した写真立てには、赤ん坊を抱いた清楚な女性。 「そうです、赤ちゃんは私です。」 「綺麗な方だったんですね…。」 その言葉にミホは嬉しくなった、よく母親似と言われていた事も含め。 安心した彼女は、武田に対して急に申し訳なくなった。 「わざわざ来て頂いたのに済みません、お騒がせしました。」 「何も無くて良かったじゃないですか。  …急にラケットが恥ずかしくなってきました。」 武田は笑うと顔がクシャクシャになった、破顔一笑。 それを聞いたミホも、自分の家の古さが恥ずかしくなってきていた。 散らかってはいないものの、質素過ぎて余裕の無さが見える。 だが武田は何も気にせず、そのまま全てを受け入れていた。 「あの…、お茶でも飲んでいって下さい。」 「…はい。」 ミホは自分で自分の言葉に驚いていた。 武田も照れながら驚いていた。 写真の中の母親が、より笑顔になっていた。  
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