願いを叶えて

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 夏織(かおり)は苛立っていた。約束の時間は三十分も過ぎているのに、夏彦(なつひこ)が現れないからだ。電話をかけても繋がらない。送ったメッセージには既読マークすらつかない。 「連絡ひとつ寄越さないで……もしかして今日は来ないつもり? ずっと楽しみにしていたのに」  苛立ちは次第に不安に変わっていった。付き合い始めてすでに三年が経っている。年に数回しか会えない夏彦が、知らないうちに他の女性に想いを寄せていた、なんてことは絶対にないとはいえない。だが、それは考えにくい。昨日の夜、ふたりは電話をして、お互いに今日会えることを楽しみにしていると言い合ったのだ。 「ひょっとしたら、来る途中で事件や事故に巻き込まれたのかも」  夏織は部屋の中をただうろうろと行ったり来たりするしかなかった。夏彦が来るからと、午前中から掃除をしたその部屋のダイニングテーブルには、彼の好物であるコロッケが準備してあった。来る時間に合わせて作られたそのコロッケは、すでに湯気を出すことをやめてしまって、衣は徐々に水分を蓄え始めていた。  時刻は夜の七時半。夏彦が今すぐここに現れたとして、一緒に過ごせるのはたったの四時間半。日付が変わる頃にはまた出かけないといけないと言っていた。夏彦との逢瀬は毎回時間との戦いだ。星空の写真を撮ることを生業としている夏彦は、家を持たずにホテルを転々としているから、恋人である夏織ですらどこにいるのかわからないことが多い。夜は仕事に集中してしまうのか、連絡もつかなくなることがほとんどである。それでも、約束を破ったことは今までなかった。夏織はカーテンを開けて窓の外を見る。外は雨だった。 「仕事……じゃないよね。こんなに曇っていたら星なんか見えやしないもの」  そっと窓を開けると、生温い風が流れ、湿った空気が部屋を満たしていく。 「早く会いに来てよ。今、どこにいるのよ」
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