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☆ ☆ ☆
時刻は夜の八時半。夏織は待ちかねてソファーで微睡んでいた。ピンポンピンポンと間の抜けたチャイムが二回鳴らされた後、ガチャリと鍵を回す音が静かな部屋に響いた。
「夏織? ごめん、遅くなった」
雨に濡れた夏彦は玄関から呼びかけた。しかし、返事はない。夏彦は靴を脱いでそのまま洗面所に向かうと、バスタオルを手にしてリビングへ向かった。ソファーに横たわる夏織を見つけ、そっと近寄り髪を撫でる。頬には涙が乾いた跡があった。一度玄関に戻った夏彦は、大きな箱を持ち出した。夏織を起こさないように、慎重に中身を出してセッティングする。スイッチを入れると、狭い部屋の天井は瞬く間に星空に変身した。
夏彦は眠ったままの夏織に近づき、慈しむようにキスをした。額に、瞼に、頬に、そして、唇に。夏織は薄く目をひらく。
「夏織、ただいま」
「あれ? 夏彦、おかえり」
夏織は欠伸をしながら体を起こした。そして、部屋に浮かび上がる天の川を恍惚とした表情で見上げた。
「夏織、ここを帰ってくる家にしてもいいかな?」
「あっ、流れ星! 夏彦、見た?」
夏織は天井を横切った流星を指差した。夏彦はその様子を見てくすりと笑う。
「うん、だからさ、俺の願い事叶うかな?」
「願い事?」
夏織は首を傾げた。夏彦は彼女の膝裏に手を差し込んで抱え上げると、自分の膝に乗せるようにしてソファーに腰掛けた。
「夏織。俺の話聞いてなかったでしょ」
「ごめん、だって、星が綺麗だったんだもの。ねえ、願い事って?」
「ここに会いに来るんじゃなくて、帰ってきたいんだ。夏織がいるところに。俺と、結婚してくれませんか?」
夏彦の首にしがみついて、夏織は「私の願い事も叶った」と小さな声で言った。夏彦はそれを聞き逃さなかった。いつの間にか部屋にはたくさんの星が降り注いでいる。それは、ふたりを祝福しているようだった。
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