cene1

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「――――終わったか?」  ベリーハイドとして数十センチほど土を掘っておいた窪み。  彼女はそこに収まりながらぼくにそう尋ねた。今回の戦闘で彼女は十発放ち、発砲数より二人ほど多くの敵兵を無力化した。ノルマなんて厳密な指定があるわけではないけれど、期待された役割は十二分に果たしたと言えるだろう。  ぼくは単眼式の望遠鏡を、反射光を発しないように動かしつつ、枝葉越しの風景を改めて一望した。相手の制圧下にある村に隣接した丘から、草葉に紛れ、見下ろすようにして全体の状況を視認する。戦場から限りなく遠く、疎外された立ち位置からの眺め。 「負けはしなかったらしいね。今、村で動いているのは味方だけだ。ただ……」 「まだ息を潜めている相手が居ると?」 「らしいね」    ぼくが小さく頷くと、彼女は窪みからほんの僅かに匍匐のまま出てきて、自身の銃に備え付けられたスコープを覗いた。本来観測手なんて必要としない彼女にぼくが付き従っているのは、こういう雑務による疲労を軽減するためなのだけど。 「西の外れにある小屋だ」と、ぼくは一応教えた。    その建物は年数のせいか戦禍のおかげか、古小屋という形容が似つかわしいほどにくたびれていた。村全体にはもう少し小綺麗な建築物があるから、そこを兵器庫や食料庫としてわざわざ使用する必然性はなさそうだ。つまり、物資を調達するにしても、捜索では後回しにされそうな場所というわけ。    彼女もその建物の周辺の様子を、すなわち、古小屋を幾人かの見知った顔が神経質そうな顔で取り囲むさまを、確認したらしい。いつでも銃撃可能な体勢のまま、口を小さく動かす。 「相手に籠もられたようだな」 「窓もないから、ここからじゃあ手が出せないよ。移動するかい?」  ぼくとしては軽い冗談のつもりだったけれど、彼女は首肯した。相手に気づかれないように、ぼくは小さく溜息をついた。    丁度そのとき、戦闘中は殆ど沈黙してお荷物になっていた無線機が鳴った。戦闘自体が終結したという合図が。まるで、ぼくたちのやり取りを見計らっていたかのよう。バッドタイミング。    ぼくは結局、彼女と共に周囲に展開しておいた荷物を回収し、しぶしぶ下山することにした。  崖というほどではないけれど、ぼくたちの前面は急な斜面となっていた。少なくとも、村側からは装備もなくてはこちらには近づけない程度には。なので、状況は落ち着いているとはいえ、多少遠回りになったとて、安全に村へ入ることの方がよほど大事だ。くだらない死に方というのは、この世に有り触れているものだし。    そういうわけで、村とは直線距離にして一キロ程度しか離れていなかったけれど、実際にたどり着くには結局一時間近くの時を要した。ぼくたちが通りを歩いて件の寂れた小屋に近づくと、まだ銃を構えた仲間がたむろしていた。それどころか、人数はむしろ増していて、村の正反対の方に居たはずの先遣隊も混じっていた。  仲間と意見を交わしていた神父と呼ばれている男性が、ぼくたちに真っ先に気づいた。頭一つ高い長身の体格のせいか、周りの些細な変化によく気づく。あるいは、かつての職業上で培われた感覚なのだろうか。 「君たち……アリシアも、怪我はしていませんね。安心しました」と、彼は口元を緩めた。 「こちらの台詞ですよ、それ……」ぼくは彼に軽く手を振って答え、「状況は。事の始まりをぼくたちは見ていないんです」 「一人、あの小屋に閉じこもってしまったようです。ここからもご覧の通り、扉は内から閉められたまま。それに不確実ですが、銃を持っているかも知れない、とのことです」    神父の言い回しに、ぼくは首をかしげた。情報の不確かについてではなく、形容について些細な違和感。彼女がそれを明らかにしてくれた。 「その一名とは、敵ではないのか?」  神父は少し返答に間を要した。そういうことか、とようやくぼくも合点がいった。 「子供ですか?」  直接的にぼくは尋ねた。案の定、神父は物憂げに顎を動かした。 「わたしが行こう」と、彼女。 「馬鹿なこと言わないでくれよ……」  思わず彼女の肩にぼくは手を触れた。神父でも口にすることをはばかったのに、彼女ときたら。  レンズ越しではなく、目の前に展開される現象となると、どうにも人情臭い。まったく、倫理観とか道徳の類いは、やっぱり毒だ。嘆息するぼくに、彼女は目をやった。 「敵かどうかは、確かではないだろう」 「スコープの中で赤の他人が銃を持っていたら、君はいつも撃つよね。なのに、急にどうしたんだい」    彼女の視線という光が、まっすぐにぼくの目に飛び込んできて、あまりの鋭さに痛みすら幻覚しそうになる。そこで、自分が彼女の肩に手を置いていたことを思い出して、腕を引いた。さすがに、すぐに小屋へ突っ込んでいくような真似はしないと、そう信じたい。 「戦闘は終わった」と、彼女は言う。「なら、殺しは避けるべきだ。わたしたちは獣ではない」  人間ほど獣らしい生き物はいないと思うけれど。  これまでの日々を通して、未だにそんな感性を抱き続けられるなんて、立派なものだ。    そういったことを口に出してもナンセンスなので、ぼくは肩をすくめるにとどめ、 「少なくとも、わざわざ君が出張ることはないと思うけれど。拳銃すら携帯していないだろう。もし相手と撃ち合いにでもなったら、そのライフルじゃあ間に合わないよ」 「お前の拳銃を借りるさ」 「へぇ」と、ぼくは内心でしたり顔。付け入る隙を見つけた。 「説得の類いが通じると信じているのなら、銃なんて必要ないんじゃないかな。君も危険は十分すぎるほど考慮しているわけだよね。なら、わざわざ優秀な狙撃手である君を、周囲の人間があの小屋の中の子供と対面させるわけにはいかないとか。そのへんのことも分かるはずだ」    図星なのか、彼女は硬く口を結んだ。神父も根っこの部分では思うところがあるのか、眉にしわを寄せ、ぼくたちの成り行きを見守っていた。  背後で、古木が摺り合わされたような不快な音がなった。 「来るぞ!」と、誰かが叫んだ。    閉まっていたはずの扉が開いていた。中からぼくの半分も生きているかも怪しい男の子が飛び出してきて、何やら叫びながら拳銃を発砲した。  それまで遠巻きに事態を観察していた者達が、一斉に物陰に身を潜める。    ぼくも皆と同様、彼女を押し倒すようにして路地に潜り込んだ。    発射音をカウント。二、三、四、五……。  銃の型から判断して、ちょっとした裏技を用いても七発が限度の筈。    六発目が鳴り響いた後、物陰から幾人かの者達が示し合わしたかのように応射。  ぼくの視界には床と彼女がいたけれど、あの男の子がどうなったかは確認するまでもないだろう。原型をとどめているかも怪しいものだ。    彼女に軽く詫びを入れ、立ち上がって振り向くと、神父が自身の銃を下ろすところだった。表情には、亡き者を悼むときにみせる皺。静かな腕の下ろし方だったけれど、それがどこか胸をなで下ろすそれと重なって見えたのは、ぼくが信仰心の欠如した人間だからだろうか。    その場に蔓延した空気を言語化するように、誰かが言った。 「幸運だったな。死人も怪我人も出なかった」
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