cene2

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「あ、おい……お前!」 「じゃ。その小さな連中とせいぜい仲良くね」  彼女に何かを言われる前に、ぼくはその場から立ち去ることにした。周囲で事の成り行きを見守っていた顔見知りたちが、物珍しげにぼくを横目で見送る。  すると、出口に至る途中で腕を引かれた。神父だった。その格好は野戦服のままだったけれど、日常のぞれと同様の穏やかな微笑を、あたかも美術画の中にしか存在しそうにない表情を浮かべていた。 「まぁ、座りなさい」と、神父は笑った。  特段断る理由もないので、ぼくは向き合うような形で座った。普段から彼と行動を共にしている他の面々はこのときはいなくて、テーブルには彼一人だった。何でも、ぼくと彼女との攻防を目にし、神父以外は下手な飛び火を被る前に退散したとか。どこでもフットワークが軽いと、上手く立ち回れるものだ。足の速い奴は得をする。    神父は、ぼくの視線が最終的に彼の分と思われるスープに落ち着いたことに気づいた。 「多少冷めていますし、肉切れも入っていません。それでも宜しければ、どうぞ」 「そんな……。そこまでぼくもがめついてはいませんよ」 「おや、私には遠慮するんですか。構いませんよ。だって、あなたも私のような年長者からすれば、彼らと同じ立派な庇護の対象ですから」    ぼくはうめき声のようなものを漏らしそうになった。結局、ばつの悪さらしいものを感じつつ、彼の善意を受け取った。 「君は、女の子に弱いですね」 「どういう意味です、それ。まぁ、彼女には頭が上がらないのは確かですけど」  ぼくは意図的にはぐらかした。  神父の言いたいことは分かっている。両親に昔通わされた教会の神父ないし牧師は、空虚な言葉を発するだけの張りぼてのようなものだった。けれど、彼は違う。本物、という表現は声杯が生じるかも知れないけれど。  だから、一対一の関係となると、ぼくは具合が悪い。こちらの内心が相手には骨まで透けてしまいそうな気持ちになるから。 「あの小さな女の子には、随分と肩入れしているようですね」    この人には、本当に何が見えているのだろう。ぼくは息を吸って、尋ね返すことにした。 「仮にぼくがそうしているとして、何故、あなたはそんなにも嬉しそうな顔をなさるんです」 「分かりませんか?」 「……こんなのは、人間の美点なんかじゃありませんよ。弱点や隙に相違ありません。それも、とびきり致命的な」  その点では、ぼくよりむしろ、神父や彼女たちの方が心配になるくらいだ。  生きる上で足を引っ張るのは、力の弱さや技術の不足よりも、下手に培われた良心や倫理観だ。平和という幻想上の期間にのみ適応されるべき概念。内心に根をはらしてしまったそれらは、ふとしたときに顔を覗かせてくる。  そのタイミングが、まさに敵と目が合っているときならば、良心とかいう不要な機能は、自分の命より銃口やナイフの切っ先を向けてくる敵を優先しかねない。つまりは、認知や判断のエラー。それが、自分の中でも生じかねないという可能性が、ぼくには怖い。  そんなことまで分かっているのか、あるいはそう見せているだけなのか、神父は言う。 「妹さん……あるいは、身近にああいった子が、君の過去に居たのではありませんか?」 「あなたには、本当にぼくの何が見えているんですかね……」  「良ければ、聞きますよ。他人に言葉で伝えると言うことは、自分の曖昧模糊とした心証を少しでも抽象化することです。そして、抽象化すると、物事や概念は根本の部分が目に見えやすくなる。そのまま放置しておくよりは幾分か、ですがね」    ぼくは、迷った。  神父が信じるような、そして過去に通っていた教会に捧げていた祈のような信仰は、とうの昔に捨てていた。それも余分なウェイトだと気づいたからだ。エラーの要因の一つだと。    けれど、もし、ここで彼に記憶の一片でも打ち明ければ、少しはぼくの内情も浄化されるのだろうか。    間違いなく、ぼくは彼女の隣にいた物言わぬ少女に、アリヤの、妹の面影を重ねた。自覚できているほどだから、重傷にもほどがある。  過去の想起とそれが引き起こすぼくの中の逡巡は、どれくらいだったのだろう。きっと、目の前の神父には、伝わってしまっている。ぼくの脆さとかが。それが分かっているから、素直に答える。 「残念ですが、それは嫌です。答えたくはありません」  すると、神父はぼくに頭を下げた。顔を上げたとき、その微笑は違う種類のものに変化していた。どこかビターな、焦げた穀物を噛みしめたときのような顔に。 「我ながら、出過ぎた真似をしました。深入りしすぎましたね。すみませんでした」 「いえ……」    何故謝られるのか、そして自分もまた何故ぺこぺこと曖昧な動作を行うのか分からなかった。ぼくに社会的ないし習慣的な儀礼が備わっていたとするなら、驚きだ。他人への共感なんて、なんでそんな機能が人間に備わっているのだろう。    ぼくはまだ、子供なのだろうか。    他人事のように、考える。ほんの一瞬だけだけど。  神父から貰った器は、もう空っぽになっていた。
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