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 西風がいつの間にか止んでいた。私は、読んでいた雑誌から目を上げて、ソファから立ち上がった。一階のリビングは庭に向かって壁一面大きなガラスになっていて、芝生の緑が鮮やかだった。芝生の先は真っ白な壁で視界が区切られている。壁の上に、黒っぽい濃い緑の木の枝がかかっている。  開いていたガラスサッシのすき間を閉めようと手をかけて、止めた。そこから、さっきまで気持ちのいい風が流れ込んでいた。風が止んだからと閉めるのはどうだろう。天気は気紛れ。また風を恵んでくれるかもしれない。  休日の午後、一人で好きな本を好きなだけ読めるのは、中年男にとって至福の時だ。仕事やら家庭の問題やら、煩わしいことを全部忘れられることなんて今までなかった。生まれて初めてかもしれない。エアコンをつけることもできるが、自然の風で涼をとりたい。自然派を気取るわけじゃない。今までの生活から、常に金を節約することを考えてしまうだけだ。  牢獄。  ふとそんな言葉が脳裏に浮かんだ。ここが牢獄だと言うのか。こんな心地よい場所なら、誰も出たくなくなるのではないか。世界中、新型コロナウイルス感染症が蔓延している。外に出るには、あの忌々しいマスクを着けなくちゃいけない。それがないだけでも、どんなに自由か。  そうだ。世間はコロナの第二波がやってきて、また外出自粛要請が出ていた。私も在宅勤務を命じられている。会社に行けない。会いたい人にも会えない。石川県の実家の父母は元気だろうか、しばらく会っていない……何か、大事なことを忘れているような気がした。
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