第一章

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第一章

放課後の教室は秘密に溢れている。中間テストが終わったばかりともなれば、開放感に浮かれてみんなさっさと教室を出て行ってしまい、いつも以上に密やかな空気が教室を満たしていた。  そこで始まったのが内緒話。わたしを含む四人の女子が教室の窓際の席に陣取り、誰もいないにも関わらず小声で始めたのは恋愛トークだった。  楽しそうにお喋りする友達を、わたしはどこか他人事のように眺めていた。 「私はね、加賀先生が好きなのよ。クラスメイトの男子なんて猿よ、猿」  宇多野詩織(うたのしおり)が長い髪を掻き上げながら辛辣に言い放つ。それに対して、白井美佐(しらいみさ)がグロスをたっぷり塗った唇を尖がらせた。 「えー、同級生でもイケてる子はイケてますぅ」 「あら、美佐は同い年に好きな子がいるってことね」 「ち、違うもん。そんなことないからっ」 「その顔、肯定しているも同然よ。ねえ、夕奈(ゆうな)」  突然話をふられてわたしは少し焦った。あさっての方向に飛んでいた意識を引き戻し、慌てて美佐の顔を確認してから答える。 「本当だ、美佐の顔焦ってるよ」 「ほら、ごらんなさい。白状しなさいよ、美佐」 「ダメダメ、アタシの好きな人は秘密なの!」 「私はちゃんと教えてあげたのよ、自分だけ秘密なんてずるいわよ」 「春花だって言ってないじゃん」  美佐の大きな目が黙り込んでいる宮園春花(みやぞのはるか)を見る。 「えっ、あっ、あの。私はその」  言葉につっかえる春花を、詩織のセクシーな垂れ目がじろりと見た。 「春花の好きな人はいいわよ。聞いてもつまらなさそうだし。それより美佐、あなたの好きな人を聞いているのよ」 「だからぁ、秘密だってばぁ」  きゃぴきゃぴと会話する美佐と詩織。除外された春花はしょんぼりと項垂れていた。 春花はわたしの小学校からの友達で、わたしと二人の時はよく喋る。だけど、美佐と詩織と喋る時は必要以上に身構えたり、大人しくなってしまったりする。 そのせいかわたしたち四人はよく一緒に行動しているものの、春花と二人の間には距離があるように見える。 春花と他の二人の間をとりなそうと努力はしているが、こればっかりは春花が積極的にならなければどうしようもない。  わたしと同じバスケ部の美佐も、吹奏楽部の詩織もクラスの中ではヒエラルキー上位のいわば花形生徒だ。 それに対して春花は地味で大人しい中間の立場にいる。本来、春花が美佐や詩織と同じ友達グループになる可能性は低い。 一年生の頃のクラスでは、家庭科クラブや合唱部などの地味な女子とグループを作っていたようだ。  それが二年になって小学校から親友のわたしと同じクラスになってわたしと過ごすようになり、さらにわたしが美佐と仲がよかったから、今のややデコボコな四人グループができあがったというわけだ。  春花も話に入れてあげればいいのに。 そう思ったけど、そんなことを言うのは春花に失礼だし、余計に溝を深めかねない。今のバランスがいちばんちょうどいいのだ。 それに何があってもわたしは春花の味方だ。春花にはわたしがついている。春花もちゃんとそれを理解してくれている。  それにしても、周囲に他の人がいなくなるといつも決まって恋バナが中心となるのはいかがなものだろうか。 俳優の誰それがかっこいいとか、先輩が同じクラスの誰かに告白しただとか、誰と誰が付き合っているとか。 美佐と詩織は飽きもせずそんな話ばかりしている。 二人の頭には恋愛のことしかないらしい。 この年頃の女子はみんなそうかもしれない。バスケ部の休憩時間も、ひっそりと恋愛の話で盛り上がることが多い。 「そういえば、夕奈は好きな人はいるのかしら?」  少し退屈になってきたところにいきなり詩織に水を向けられて、曲がっていた背筋を少し伸ばした。わたしは、と言いかけたところで美佐がカラカラと笑う。 「夕奈に好きな人?そんなのいるわけないじゃん」  美佐の言葉にまただ、と心の中で呟く。気付けばいつもそうだ。わたしは恋愛には縁のない存在になっている。  むきになって好きな人ぐらいると言うのも可笑しいので黙っていた。わたしの代わりにいないと答えた美佐が続ける。 「バスケ部でも恋愛トークするけど、夕奈の好きな人の話なんて一回も聞いたことないよ。夕奈は性別が女でも中身は男前だもん。下手な男子よりもカッコイイぐらいだよ。後輩の中にもね、夕奈をお姉さまって密かに慕ってる子がいるくらいなんだよ」 「あら、そうなの。まあでも、確かに夕奈はサバサバして女って感じは少ないわよね。中性的だから美少年っぽく見えるわね」 「でしょ!ジャニーズ系って感じ」  かっこいい。そう褒められるのはいやではないけど、嬉しいような虚しいようなで複雑だ。だけど自分でも思う、わたしは女子ではないと。 母親に子供の頃からずっと「あんたってば男の子みたい」と言われてきた。 男っぽくしないといけない気がして、小学校一年の頃から髪を伸ばしていない。ずっとショートヘアだ。服もズボンばかり穿いていた。 中学生になってスカートを穿くようになったけど、いまだに慣れない。足元がスウスウする感覚が苦手で、制服の下にはいつもスパッツを穿いている。 「夕奈はかっこいくて羨ましいよ。男子よりもかっこいいんだもん、恋愛の悩みなんて最初っからないよね」  みんなによくそう言われる。だけど、本当はわたしにだって好きな人ぐらいいる。 わたしに好き人は誰とたずねてくる人はいないし、聞かれてもいないのに公言するつもりもない。いや、たとえ聞かれたとしても恥ずかしくて答えないだろう。親友の春花にさえも。  わたしと春花を置いてけぼりに、美佐と詩織の恋愛トークは続いている。 恋愛に対するアンテナが低いから話に参加するのは難しいけど、聞いているだけで満足だった。二人はわたしと春花は恋敵になりえないと思っているらしく、わたし達以外の交友関係で仕入れた情報を惜しみなく話してくれる。 それでもずっと聞いているとさすがに疲れてきて、窓の外に目を向けた。 空を夕焼けが染めている。 赤と青が混じった紫っぽい色。なんだか少し不気味な色だ。 「そういえばさ、七晩参りって知ってる?」  ぼんやりしていたところに唐突にふってきた耳慣れない言葉に、わたしと春花は首を捻る。詩織は知っているようで、にやにやとした笑みを浮かべた。 「なにそれ、知らない。七晩参りってなに?」  わたしが尋ねると、美佐はにっと唇の端を吊り上げた。 「七晩参りっていうのは、この中学に伝わる不思議なおまじないのことなの」 「おまじないねえ、丑の刻参りみたいな物騒な響きだけど」 「ちょっ、丑の刻参りみたいなヤバイのといっしょにしないでよ夕奈!そんなんじゃないよ、恋のおまじないだよ」 「恋のおまじない?」 「そう。この学校の裏庭に小高い丘があるでしょ、そこには小さな塚があるの。その塚に午前零時に七日間連続でお参りするだけの至って健全な儀式だよ」 「至って健全?深夜徘徊してるのに?」  呆れた顔で尋ね返したわたしに、美佐がほっぺたをリスみたいに膨らませる。 美佐は背が高いけど、まん丸の大きな目で小動物みたいに愛らしい顔をしている。同じ女のわたしでさえ、美佐の仕草の可愛さにクラクラすることがある。 「もぅ、夕奈!真面目発言は禁止!」 「ごめんごめん」 「あの、美佐ちゃん。それで、七日間お参りするとどうなるの?」  珍しく春花が自分から進んで話に入った。恋をしている相手でもいるのだろうか。 「あのね、お参りすると恋愛のお願いごと限定でぜったいに叶えてくれるんだよ!」 「それって、どんな神様が叶えてくれるの?」  春花の質問に美佐が眉をハの字にする。美佐はサイドポニーテールを揺らして詩織に助けを求めた。 しょうがないわね、という顔で詩織が肩を竦めて、語り部を引き受ける。 「裏庭の丘の小さな塚はね、昔戦争で敵兵である恋人と死に別れた姫のお墓なのよ。他の人が自分と同じような悲恋に見舞われないように、恋をかなえてあげようというお節介な美女が眠っているらしいわ」 何処かで聞いたような話をいくつかミックスしたような、なんとも怪しい話だ。 「ねえ、誰かやってみてよ。やって本当に恋の願いが叶うか教えて。春花どう?興味あるみたいだし」 「私は別に、興味なんて。好きな人なんていないし」 「ふうん、つまんないの。じゃあ詩織はどう?」 「いやよ、美佐がやればいいじゃない」 「ムリだよ。アタシ怖いの苦手なの。深夜零時に学校に一人で来るとかぜったいムリ!」 「それなら夕奈がやりなさいよ。好きな人がいなくても大丈夫よ。私に好きな人を下さいとでも願えばいいのよ」 詩織の期待に満ちた目に見詰められる。 恋のおまじないか、困ったことにこれっぽっちも興味がない。 仮に噂が本当で恋の願いが叶ったとしても、まじないの力で恋人を手に入れたって虚しいだけだ。 はじめのうちは愛する人を手にいれられて幸せかもしれない。でもきっとそのうち後悔することになるだろう。彼は自分を好きなのではなく、まじないの力で強制的にわたしの傍にいるのに過ぎないと悲しくなるに違いない。 少なくともわたしはそう思ってしまうだろう。ましてや好きな人を下さいなんて、妖しげな力で自分の心を操るようなものだ。そんなのまっぴらごめんだ。 それに、夜の学校に一人で行く勇気などわたしにはない。 気が強くて怖いもの知らずのわたしが唯一苦手といえるもの、それは幽霊だ。ほかにも苦手なものを探せばあるかもしれないけど、幽霊以上に苦手なものはない。 この年でお化けが怖いなんてお笑い種でみんなには隠しているが、怖い話もホラー映画も苦手だ。 「ねえ、やってみてよ夕奈」  詩織だけでなく美佐まで熱視線を送ってくる。さて、どう断ろうか。好きな人なんていらないから嫌とでも言おうか。 悩んでいると、快活な声が教室に響いた。 「ムリだぜ、世良(せら)が夜の学校に一人で行くなんて絶対に無理だ」  弾かれるようにみんなが一斉に声のした方に顔を向ける。教室に後ろの入り口のドアに、いつの間にきたのか山村涼助が立っていた。
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