第一話 勇気の花

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◇一話 勇気の花◇  桜舞う季節。  いくつもの桜の花びらは別れを告げ、旅に出る。  ひらひらと風に揺られ、踊る姿は美しい。  でも、ここの桜の景色を見るのは今年で最後。  高校三年、校庭の桜を横目に野原詩音は憂鬱な気持ちになる。 「新学期が始まりましたが、今年は進路について真剣に考えなくてはいけません」  来年の今頃、この教室にいる仲間たちは、桜の花びらのようにそれぞれのところへ旅するのだろう。  担任の話しに耳を傾けながら、詩音は進路について考えを巡らせる。  巡らせると言っても、もう進路を決めている。  公務員。安定した収入。  冷めた子どもだと言われそうだが、それを聞いて安心した表情をする周りを見れば悪くはない選択だと分かる。  真剣に目指している者には申し訳ないが、詩音にとっては少しでも確かな未来が重要だった。  内部進学だったため、高校受験は経験なし。中学入試ぶりの受験勉強に耐えられるか些か不安ではあるが、まあ、なんとかなるだろう。  そうやって結論づけ、また詩音は意識を外の景色に戻す。  窓からくる風は心地よい。暖かい日差しもあるからか、うつらうつらとまどろみの世界に引きずられそうになる。  しかし、そんな穏やかな時間は青天の霹靂のごとくけたたましい音によって崩れ去った。  リュックに入れていたスマートフォンが音と振動によって詩音にその存在を主張する。  マナーモードにするのを忘れていたため、音は鮮明。教室中に響き渡る。  不意打ちにも近かったので、その音が自分のスマートフォンのものだと自覚するのに時間を要した。  気づいて、大慌てで音を止めようとするも、焦っているので動きがぎこちない。  やっとこさ取り出したスマートフォンの画面を見ると電話の着信履歴。差出人は詩音にとってのトラブルメーカー、兄だ。 「あいつ……!」  こちらは学業に勤しむ高校生。新学期初日とはいえ、授業時間。真昼間から電話をかけてくるなんて、なんて奴だ。  電話の主に怒りを覚えつつ、顔を上げると担任が目の前に。うすら笑顔で詩音を見つめている。 「詩音さん、授業中にスマホの使用は禁止って二年生の時に教わらなかったの?」 「あ……いや、教わりました」  その笑顔に背筋が凍るのは仕方ないだろう。  渋々ではあるが、詩音は担任が差し出す右手に自分のスマートフォンを渡す。 「今日一日は没収です。放課後に職員室に来てください。」 「はい……。すみません」  よっぽど詩音の慌てる様子が滑稽だったのだろう、腹を抱えてクラスメイト達は笑う。  そんな彼らにジト目で睨みつけ、詩音は大人しく席に座る。  授業後、さっそく後ろの席の人物に背中をつつかれた。 「災難だったね詩音」  振り返るとニヤニヤしながら橘真樹は詩音を見つめていた。 「ほんとだよ~。あの野郎、許すまじ」  普段は言葉に気を付ける詩音ではあるが、六年目の仲、特に真樹は中学入学当時からの交友関係であるため、遠慮せず電話の主への愚痴を言う。 「落ち着きなよ。でもさ、今日は次の授業で終わりじゃん」  確かにそうだ。一日没収とは言われたが、今日は始業式であるため、通常よりも授業数は少ない。  早めにスマートフォンが自分の手元に戻ってくるのはありがたいことだろう。 「まあ、だからといって、そんなにスマホ使わないけどね」 「確かに〜。詩音って休み時間とか使ってるのあんまり見たことないかも。空き時間はずっと口開けて、間抜けみたいにボーとしてるし」 「間抜けって失礼だなぁ」  口を尖らせ、反論する。  別に詩音の目には幽霊といった特別な何かが映ってるのではなく、ただそこにある景色を見ているだけ。  無意識に口もポカーンと開けているわけだから、よく真樹は間抜け顔と言っている。 「いや〜、詩音はこんな調子でボーとしてると、あっという間に高校終わっちゃうよ!」 「まあ、確かにもう三年生だしなぁ……。そういえば、真樹もそろそろ引退だっけ?」  真樹はバドミントン部に所属している。  ボブにウエーブがかった少し明るめの茶色の髪、短めのスカート。  一見チャラそうに見える真樹だが、練習にはストイック。中学からこの学校で真剣にやってきたのだ。バドミントンに対する思いは強い。  それを友人としてずっと詩音は見てきたのだ。気になるのも当然だろう。 「まずまずかな……? 個人戦で県大会までいけば団体戦のメンバーに選ばれるけど、ちょっと難しいかも」  苦笑いを浮かべ答える真樹を見て、詩音はおや?と、首をかしげる。 「いつもは自信満々に大丈夫!って、言うのに。珍しいね」  詩音とは違い、ある胸を張って頼もしい宣言をするのだが、今回はそうもいかないらしい。  四六時中見せる姉御気質をまとった余裕は、今だけは陰に隠れている。 「流石に引退試合、最後って思うと、不安にはなるよ。あんたと組んでいたらそんなことはなかったかもしれないけど」 「組んでいたらって……中一の時の話されても無理あるよ〜」  軽口を叩きながら真樹は詩音の白く弾力のあるマシュマロほっぺをつつく。  大きなマシュマロは困り眉をし、プクーと今度はほっぺを風船のように膨らませる。 「ジョーダン、ジョーダン。じゃ、もう授業始まるからまた後でね」  真樹は両手のひらで風船になった詩音の顔を潰し、満足そうな顔で授業の準備を始めた。  詩音も体を黒板側に向き直し、一応は授業を受ける姿勢にする。  そうか、真樹もそろそろ引退なのか。  最後に真樹がバドミントンをする姿を見たのは中一の夏。  当時は飽きるくらい見ていたはずなのに、今思い出そうとしても霧がかかったようにぼんやりとしか覚えてない。  まあ、所詮過去のことだ。わざわざ思い出さなくてもいいだろう。  あれから何年も経った。もう、真樹は詩音のダブルスのペアでもない。そもそも、詩音とは比べ物にならないくらい腕に磨きがかかっているだろう。  はぁとため息をこぼしながら、窓の外に目を向ける。  過去に意識を向けるよりも、まず詩音はこれから起こるかもしれない問題を考えた方が効率的だろう。  電話の主に多少の嫌悪感を抱きつつ、詩音は桜の花びらを目で追った。
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