ソーダアイスと入道雲

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 手元のソーダアイスが、暑さに耐えきれずにポタリ、と雫を落とした。  ジリジリと刺すような太陽の日差しを、アスファルトが無駄に照り返す。空に浮かぶあの入道雲が太陽を覆いつくすほど巨大化してしまえばいいのに。  きっと今、落ちたこのアイスは誰にも知られない内に、あっという間に蒸発するだろう。  ————もしかしたらアリか何かが集まってくるかも。それで、ちょっとしたおやつにでもなったらいいな。  ————いや、でも余りのこの暑さに、アリも巣の中で涼んで出てこないかも。  なんて、どうでもいい想像を浮かべる。  そうやって、少しでもこの暑さを感じないように、思考を張り巡らせるのだ。  「……あちぃな」  その瞬間、俺の努力がパキリ————といとも簡単に折れる音がした。  「……言うなよ。考えないようにしてるのに」  隣を歩いていた隆二が、持っていたラムネをぐいっと呷る。ラムネの瓶が、太陽の光を反射してキラリと眩しく光る。隆二の喉元がぐっと音をたてて、みるみるとその口に透明な液体が吸い込まれていく。  瓶からカラン、カラン、とビー玉の揺れる涼しげな音がした。  「……ッ……プハァッ! やっぱ、夏のラムネは最高だよなぁ~!」  「……なんか、むかつく」  「なんだよそれ~、やっぱりラムネが羨ましかったか~? 明里は」  隆二は挑発するような視線を俺に向けて、口元に垂れたラムネを左手で拭った。  「……別に」  “明里” という名前は嫌いだった。男らしく振舞えない自分を、まるで体現されているかのようだったからだ。  それでも、あれはいつの日だったか。隆二に「いいじゃん、明里って名前。俺は好き」、そう言われた時から ”嫌い” と言えなくなってしまった。それほどには自分は単純で、そんな自分がやっぱり嫌いだった。  「……俺もラムネにすれば、よかった」  隆二は空になったラムネ瓶を持つ手とは反対の手で、自身の白いシャツを無防備にバタバタと仰ぐ。俺はそんな隆二の仕草に呆れたような顔をして、チラリと視線を向ける。部活で鍛えたられた腹筋が、シャツの隙間からうっすらと覗く。その素肌は少しだけ汗で光って見えた。  その瞬間、俺は後ろめたさを抱くのだ。    *  これは恋なのだ、と自覚した時のことははっきりと覚えている。  ただ何気なく繰り広げられた会話の中の事だったと思う。  「俺ら、友達だしな」と言った、隆二の言葉に俺は「うん」と返した。  それだけのことだった。  それでも、その時確かに感じた感情は、 ”罪” だった。  ————もしも。  もしも俺が女の子だったなら。  もしくは隆二が女の子だったなら。  そうは思わなかったのだろうか。  答えは今でもわからない。  ただ大事な友達に ”嘘を吐いている” 。  その事実だけは確実で、苦しくて、どうしようもなかった。    それを悟った瞬間。  これは恋なのだと知った。  *  「何難しい顔してんだよ……? 暑さでとうとう頭がいかれたか」  「別に」  もしも、今。  『俺、隆二が好きなんだ。……バカみたいだろ』  そう笑って、口に出してしまえたらどんなに良かっただろうか。  その瞬間、隆二はどんな顔をするだろうか。  「ふざけた事言うなよ」と笑い飛ばしてくれるだろうか。それとも「俺も明里が好き~」だなんて、冗談まじりに返してくれるだろうか。  でもきっと優しい隆二は、少しだけ驚いた顔をして、俺の言葉に真剣な顔を向ける気がする。  いっそ、気持ちが悪いと拒絶されてしまえばいい。  いっそ、はっきりと失望を向けてしまえばいい。  俺を嘘吐きだと暴いて、断罪して、この醜い感情を完膚なきまでに捻り潰してくれたなら。  そうしてくれたなら、今日こそはゆっくりと眠りにつけるだろうか。  それでも、もう数えることすらできないほど、何度も何度も考えたこの想像が、実行されることはない。    「明里! ……アイス、めっちゃ溶けてるぞ」  「……え」  持っていたソーダアイスは気づけば大分溶けて、右手はベタベタに濡れていた。  俺は胸の内に沸いたドロドロした何かを飲み込むように、アイスを慌てて頬張った。半分ほど溶けたアイスは重力に逆らえずに、大きな塊がボサリと地面に落下した。  「あぁあぁ、……もったいない」  俺は隆二のその言葉に急に悔しくなって棒を少ししゃぶる。ほんの少しのソーダの甘味が名残惜しいように口内をくすぐった。  棒から僅かに香る柔らかな木の匂いに、少しだけ気分が落ち着いてくる。木の葉をザワザワと揺らす風の音と、煩いくらいの蝉の音が急に耳に入ってきて、騒がしい夏の真っ只中に居ることを思い知る。  「夏だねぇ~」  俺はその隆二の言葉の響きに、何故だかどうしようもなく切ない気持ちを抱いた。  永遠にこの夏が終わらなければいい。  そんなことはあるはずもないのに。  俺は隆二の言葉に何か返答しようとしゃぶっていた木の棒を口から外し、右手に持った。  そしてふと、棒に何やら文字が書かれているのに気付いた。  「……どうした?」  隆二がこちらの手元を覗き込む。  「……当たりじゃん!」  アイスの棒の先端には ”アタリ” と書かれていた。これを持っていけば店でもう一本同じ商品と交換してくれる、幻のものだ。  おそらく、記憶の中ではアイスで当たりを引くのは初めてのことだった。  こんなタイミングに仕掛けてくるなんて、まるで神様のイタズラみたいだな、なんてそんなことを思った。そして、それと同時に、俺はとある考えを思いつく。    「……なぁ、隆二」  「……ん? どうした、明里」  俺の言葉に少しの真剣味を感じたのか、隆二は視線をこちらに向けて、人懐っこい笑みを浮かべた。  いつまで一緒に居られるかなんてわからない。  友達の振りを続けることが正解かなんてわからない。  それでも、いつかは『好きだ』と胸を張って言える日が来たらいいな、なんて思ってしまう自分を、何故か許してもいいと、そう思えた。  「……来年の夏休みに、またあの店行こうよ。それまでこの棒、持っているからさ」  俺の思い付きの言葉に、隆二は少し不思議そうな顔をした。  そして少しだけ何かを考えるように間を空けてから、「……なんか、いいなそれ」と、まるで独り言を呟くように、そう言った。
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